満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

PACIFIC ADVANCE<柳川 芳命(as)マツダ カズヒコ(g)宮本 隆(b)木全 摩子(ds)>@バレンタインドライブ名古屋終了。

2019-11-30 | 新規投稿
PACIFIC ADVANCE<柳川 芳命(as)マツダ カズヒコ(g)宮本 隆(b)木全 摩子(ds)>@バレンタインドライブ名古屋終了。初共演となる摩子様(柳川氏がそう呼んでいる)のロック的な縦に刻まれるヘヴィなリズムに乗ったスリリングな即興であった。マツダ氏の引き出しの多彩さ、柳川氏の号砲と神秘さが交差する独特のサックス音に心地よさを感じ、4人で様々な場面を作れたと実感。今、録音音源を聴いているが、思ったより立体的な音像が聴こえてくる。私とマツダ氏がエレクトリックなので、フルボリュームになった時のサックスの溶け込み具合もいい。サックスという‘うわもの’だけが前に突出せず、サックス、ギター、ベース、ドラムの四つのパートのどれもが、交互に前後しながら演奏が続いていく結果になっている所が気に入った。初の組み合わせの4人だったが、音の相性というか4つのパートの必然を感じさせる演奏にも感じ、またやりたいと願っている。バレンタインドライブの音の響き方もほどよくデッドでやはり好感。平日にも拘らずお客さん結構来てくださり、充実のライブでした。

以下、柳川氏がご自身のブログにて私との出会いと共演歴をまとめてくださっており、資料的確認の為、ここに転載しておきます。

2016.5.2. 心斎橋のBASSOで開催された「Perspective Emotion」で初めて出会う。
2016.7.22 名古屋のなんやで行われた「トリオ祭」にそれぞれで出演。再会。
2016.7.30 大阪の創徳庵にてデュオで初共演。
2016.9.17 大阪の難波屋で、宮本隆+木村文彦+柳川のトリオで共演。
2017.12.20 名古屋のバレンタインドライブで、宮本隆、マツダカズヒコ、Meg Mazaki,、柳川の「MMMYプロジェクト」で共演。
2018.3.9 バレンタインドライブにて、「此の四人」と「宮本隆+向井千恵+一談」の交流セッションで共演。
2018.3.24 近江八幡の酒游舘にて、「レモンのテロル」(マツダカズヒコ+Meg+後藤宏光+柳川)と「3ミラーズ」(宮本隆+石神加寿也+木村文彦)で出演。
2018.7.15 神戸のビッグアップルでの「Perspective Emotion」にそれぞれ出演。
2018.7.17 大阪のゼロゲージで、「坂田明+ニコラスフィールド」と「宮本+柳川」で出演。
2018.9.9 ゼロゲージにて、「Trespass Trio」との対バンで「宮本隆+Meg+柳川」のトリオで共演。
2018.11.25 酒游舘で、AAの遺産「宮本+マツダ+Take-Bow+Meg+後藤宏光+柳川」で共演。
2019.8.10 難波ベアーズでの「アブストラクト・ミュージック・ミーティング」にそれぞれのユニットで出演。






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「my favorite things COLTRANE at newport」 『マイ・フェイヴァリット・シングス : コルトレーン・アット・ニューポート

2019-11-18 | 新規投稿
「my favorite things COLTRANE at newport」
『マイ・フェイヴァリット・シングス : コルトレーン・アット・ニューポート

映画「真夏の夜のジャズ (Jazz on a Summer's Day)」でその祝祭空間の記録を今にも伝えるニューポート・ジャズフェスティバル(Newport Jazz Festival)にジョン・コルトレーンは生涯で5度、出演しているが、その同フェスティバルに於ける63年と65年のライブを一緒にカップリングした安易な企画アルバムも、コルトレーンの1年、2年という時間の濃度が凡人の10年、20年に相当すると思えば少しは納得できる。コルトレーンの62年と63年は違う。64年も65年もみな、違う。変化に富む濃密な時間がそこにあり、まるで1ヶ月単位で音楽が変貌するかのようなスピードがコルトレーンの中にはあった。従ってこの企画CDには63年と65年に出演したコルトレーン・カルテットの違いを一つのディスクで確認できる利点があり、‘エルビンとロイの二大ドラマーの違いも楽しめる’ というCDの帯文句にあるようなメンバーの相違(ドラムが63年はロイ・ヘインズで65年はエルビン・ジョーンズ)以上のもっと本質的で大きな差異が両者に現れる。

このアルバムの意義、ハイライトは。それは65年の「my favorite things」が収録されている点だ。これはかつて二枚組のLPでリリースされた『THE MASTERY OF JOHN COLTRANE VOL 1‘FEELIN’GOOD’』(78)でブート音源でしか聞けなかった同トラックのマルチ正規音源による収録である。正式リリースされず簡易録音としての音源しか存在しなかった65年の「my favorite things」がいわば正式リリースされた。
ここで当然、思い起こすべきはその65年のニューポート・ジャズフェスティバルの録音として正規リリースされたJohn ColtraneとArchie Shepp両名の名義となるアルバム「New Thing at Newport」(Impulse A-94/1965年)についてである。この日の昼の部に出演したアーチー・シェップと夜の部に出演したコルトレーンをカップリングし、New Thingとタイトルがつけられた。しかしこの日、コルトレーンは先述した‘my favorit things’及び‘One Down One Up’を演奏したが、アルバムにはmy favorit thingsは収録されず、One Down One Upのみが収録となった。残りは全てシェップの演奏が納められ、アルバムの印象としてはシェップの音源としてリリースされてもいいくらいのバランスの偏りである。

「New Thing at Newport」John Coltrane / Archie Shepp
(Impulse A-94/1965年)
Side One
1.Spoken introduction to John Coltrane's set by Father Norman O'Connor
2."One Down One Up"
3."Rufus (Swung His Face at Last to the Wind, Then His Neck Snapped)"
Side Two
1."Le Matin des Noire"
2."Scag"
3."Call Me by My Rightful Name"

アトランティックとの契約上、‘my favorit things’をインパルスで収録することが66年5月までできなかった事がお蔵入りになった理由だそうだが、ここでの‘my favorit things’が仮に「New Thing at Newport」に収録されておれば、それはアルバムとして非常なインパクトを持つものになった事は想像に難くない。なぜなら65年の‘my favorit things’こそは数ある同曲のトラックの中でも特別に異彩を放つ演奏がされているからだ。そのことを私はこのトラックがブートまがいの音質で収められていた先述の二枚組LP『THE MASTERY OF JOHN COLTRANE VOL 1‘FEELIN’GOOD’』で知っており、実はここでの「my favorite things」を秘かに愛聴していた。秘かにという言い方もおかしいが、このエルビン・ジョーンズがけたたましく逸脱する演奏は一体、何だと感じていたのだ。このトラックに関しては「ジャズ批評」誌57号‘コルトレーン全セッション’の中でも‘エルビンがコンビネーションを掻き乱すように叩いている’と評され、この直後のパリ・コンサートでドラムを蹴飛ばしてステージを降りたといういきさつを紹介しながら、カルテットの‘カタストロフィー’を予見させてやまないと、のちの退団へとつながるエルビンの何らかの不満の表れとみられている。後にめでたく、この‘my favorit things’を収録した「New Thing at Newport」(John Coltrane / Archie Shepp)がいわば完全版としてリリースされるに至るが、このCDに於いてもその帯に’崩壊寸前。黄金のカルテット‘と記されてあった。
確かにエルビンはこの曲でいつも見せる流麗でポリリズミックなドライブ感を放棄し、リズムが激しく蛇行するようなフリーな演奏を展開しており、それが何らかの感情の揺れの表れである事を充分、感じさせるような感触もある。即ちこの演奏はグループへの貢献の意思というよりは不満の表現であると。ただし、これは聴く者各々の推測や評価によって印象は異なってこよう。私は個人的にはエルビンの意思に関係なく、このトラックを最高の演奏と見ている。

私は長く『THE MASTERY OF JOHN COLTRANE VOL 1‘FEELIN’GOOD’』での‘myfavorite things’を聴くに及び、結局、ここでのエルビンはただ、音楽上の実験を試みただけだと結論している。即ち、「ジャズ批評」誌57号‘コルトレーン全セッション’で評されたような‘攪乱の意図’ではなく、その数日前に行った「アセンション」でのセッションのようなフリー空間をこの「my favorite things」というそれこそこれまでに何度も何度も演奏しつくしている十八番の中で違うアレンジで叩いてみようという純然たる音楽的な動機だけなのだろうと。しかもこのトラックはエルビンのドラムばかりに注意が行きがちだが、実はピアノのマッコイ・タイナーの演奏もいつものリズムにジャストでアタックするような弾き方ではなく、適度にずらしながら、コードアウトさえする場面も聞かれる。マッコイの意識の中にも何か違う要素を試している意思が見られるのである。

63年と65年のニューポ-ト・ジャズフェスティバルの間には何があったか。黄金のカルテットの全盛期とも言えるこの時期に「a love supreme(至上の愛)」があった。しかし、この最高傑作を創造して以降のコルトレーンがもう黄金のカルテットを唯一のフォーマットとしての創造に執着する事はなかった。その後の過程はいわば、実験そのものであり、やがて集団即興による「ascensionアセンション」(65)に至る。65年のニューポートは「ascension」のわずか5日後の出演であった。

63年から65年へのコルトレーンは一般的にはよりフリーへの傾倒を深める時期と理解されよう。ただ多くのファンは歌の深化こそをこの時期に感じている筈だ。コルトレーンの歌う歌が、即興の激越さと共に深まっていく。それは『クルセ・マ・マ』、『クレッセント』を聴けば明らかであるし、『アセンション』や『オム』にさえその歌の崇高さをコルトレーンミュージックに感じる事ができる。つまりコルトレーンの進化とは感情の深化だった。感情表現の極みへのアプローチが<歌>としか言えないシンプルな営為を感じさせるものになる。後期になるほど、感情表現に振幅性が見られ、サックスの音、その息使いにある種の不完全性、揺れが見られる。感情の量が拡大し、複雑化する事で音楽の外形上では未完的感覚を残しながら、不思議な味わい深さを堪能できるようなものになる。
ジャズ音楽の理論やフォーマットからサウンドが逸脱し、新たな理論やスタイルを構築、あるいはフリーというコンセプトの名の下に音楽上の技術転換をしていったのではなく、全てはコルトレーンの思想や感情という人のテーマが音楽に強く反映されるようになったように感じられる。この事は音楽制作の上で失敗も起こりうる。いや、失敗すら許容しながら、もう別の次元での表現活動をコルトレーンが意識していた事を想起させるものだ。

コルトレーンは感情表現をより優先させた。そう自覚させるほど、その感情の量が年代と共に拡大し、深化していったのだと思う。その音楽は主観的な音楽だろうか。他者無きパーソナルな自己表現だろうか。孤高感が満載の音の襞を感じる。表面的には。‘ジャズの革新、更新を一身に背負った云々’というコルトレーンの評価はその孤高性を示す賛辞であろう。しかし一方で私達はコルトレーンが自身の音楽性を追求するに及び、その都度、様々な共演者、同伴者を欲し、その共同作業を持って、より良き道へ進んでいたことも知っている。来日時のインタビューではしばしば、‘なぜ、ファラオ・サンダーズという同じテナー奏者をメンバーに加えたかという質問を受けている。確かに一見、不思議であるコルトレーンの選択も、当人にしたら「彼がいい演奏者だから」というシンプル極まりない返答となってその本質が示される。当時は明かされなかったが、あの最高傑作「至上の愛 A love supreme」に於いても参加のテイクは採用されなかったがアーチー・シェップを録音に呼んでいる。シェップも同じくテナーである。コルトレーンにはリーダーたるエゴが更々なく、いつでも表現のサークルこそを必要に応じて形成していた。マッコイ・タイナー、エルビン・ジョーンズの脱退もそれは交代だったのではなく、自然に抜けてしまっていた事が後の様々な証言で明らかになっている。

2バージョンの「my favorite things」
63年のロイ・ヘインズと65年のエルビン・ジョーンズ。ヘインズはコルトレーンをプッシュし、エルビンは自分をプッシュしている。コルトレーンのテーマがドラムの影響で力感を増しているのが63年バージョン。コルトレーンのアドリブがドラムの影響で過激化し、サウンド全体が混濁するのが65年バージョン。いずれも最強記録更新。たった2年間に起きた出来事。その後40年以上、音楽全体が何も更新されていない。
2019.11.15
(2007.9.18投稿を改訂)



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needs realize 仁井大志(g)+ 宮本隆(b)+松尾哲治(dr)

2019-11-14 | 新規投稿
needs realize 仁井大志(g)+ 宮本隆(b)+松尾哲治(dr)


8月のベアーズでの演奏をアップ。
このユニットも定期的にやっていきたい
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DRAW SPACE FOLDS(辰巳小五郎×藤掛正隆) レコ発ライブ終了。

2019-11-11 | 新規投稿
DRAW SPACE FOLDS(辰巳小五郎×藤掛正隆) レコ発ライブ終了。出番トップはKAZUYA ISHIGAMI ×Sunao Inami。10年以上ぶりに共演したのが先日のspace eauuuでのライブだった二人の言わば、復活第二弾のライブ。静かなホワイトノイズから立ち上がり、徐々にボリュームを増していく。石上氏は砂の嵐のような重低音を敷き詰め、Inami氏がその上にリード的に音響を重ねる様はソリストのようなスタンスでもあり、ドローンに対するアンチとも捉えるべきロック、ニューウェーブ的な骨格感を感じさせる。その対比はある意味、絶妙であり、ユニットに相応しいと感じられた。伊達に長く共演を重ねてきた二人ではない。DUOをやる意味、意義をしっかりと見せつけてくれた演奏だったと言えよう。惜しむらくは演奏時間が意外に短かった事。次回は一時間くらいのロングバージョンでも聴きたいユニットだった。
そして宇都宮泰氏が2番目に登場。アーティスト名はYasushi Utsunomiaと表記。平野氏(zero-gaugeオーナー)によるキャッチは<大阪が世界に誇るマッドサイエンティスト>いや、そのままズバリのパフォーマンスだった。‘テレパスボイス’という仕掛けは宇都宮氏が話す声が実際は壁面のスピーカーから出ているのだが、オーディエンス一人ひとりの耳元で聞こえる。そして壁面に映し出される波形を操作しながら、単音による超音波を奏でる。その音はエレクトロでもシンセ音でもない。なるほど、これが宇都宮氏の提唱する‘超純音’なのだ。電子音楽の発祥の時期の音にも近いのだろう。何ものにもエフェクトされず、シンプリファイズされた純音がそこにあった。しかも緩やかな上下と音の振幅があり、心地よい。細く強烈な音が聴覚に突き刺すような超音波をイメージしたが、むしろ更に音楽的に響くのはやはり、ライブという場での生成の成せる業であったか。いずれにしてもすこぶる興味深く、あまり他では体験できない音楽だったと言えよう。
トリは2ndアルバム「NEURON VOYAGE」をリリースしたばかりのDRAW SPACE FOLDS(辰巳小五郎×藤掛正隆) 。アルバムの内容に沿った裡に沈むようなダークな音響をしばらく続けるのかと思いきや、SE的音響は短めに、藤掛氏のパワフルなオンビートに乗るジャズロック的展開が幕を開ける。辰巳氏はテルミンやガジェットを多用しディレイ、リバーブによる浮遊感系の音響を次から次へと繰り出していく。その音の全てが、とてもいい。バリエーションに富みながら全てがクリアであり、歪みがなく、楽器と機器に対するコントロールが完璧だと思った。つまり、音響を持て余してしまう事無く、全て意思に拠ってコントロールされている。ノイズを遮断する事にも長けていると感じ、このあたり、ライブの後、尋ねると、やはり、そういったノイズレスに関するこだわりを語ってくれた。それはエレキトランペットにも言え、電子音過多にならず、暖か味と深みのある快楽的サウンドであった。
さて二人の演奏に私が加わった後半戦。私はまず藤掛氏のドラムにシンクロさせグルーヴを作る事を心掛け、無理な冒険(ソロ的に前に出たり、リズムを外していったり)を避けた。何せ、藤掛氏との演奏は実を言えば長年の念願であり、それが叶ったのだから大事にいこうとやや、保守的になったのだが、ファットなドラムが気持ちよく、スケベ根性出して目立つより、ビートの快楽に身を任せ、シンプルに徹して正解だった。これまで何回か演奏を見て来て感じたビッグビートを真近で体感しながら、こんなドラムだといつまでも演奏したいと思った程。スネアの強さを微妙に変えたりする繊細さも感じながら、もっと自分はレベルを上げなきゃなと実感もした。秘かにずっと感じていたチコ・ヒゲ(フリクション)に通じる骨格感、土台の大きさを藤掛氏にイメージし、そのリズムの底辺に合致できるようなベースを弾かなきゃだめだと瞬時に思い、音色も含め、もっとジャストなベースを弾きたかったが、それはまたの宿題とする。いずれにしても藤掛、辰巳、両氏との演奏はこの上なく刺激的であった事を記しておく。
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宮本隆(ba)+石上加寿也(電子音)+OKAHASHI NOBUHIRO(電子音)2019.11.7

2019-11-08 | 新規投稿
◍宮本隆(ba)+石上加寿也(電子音)+OKAHASHI NOBUHIRO(電子音)
石上氏の怒涛のようなの重低音の嵐にオカハシ氏の美麗系アンビエントの混ざり具合が美しく、私は色を添えたり、E弦を更に低くして、低音を加えたりと、なかなか、楽しかった。持ち時間30分と勘違いし、スッと終えたのはやや物足りなかったか。40分が持ち時間だったので、しまった!と。
◍Nicolas Field(ds)+Gregor Vidic(sax)+秋山徹次(gt)
ニコラスとグレッグのユニットツアーに秋山氏がゲスト参加の形。ニコラスとは昨年、坂田明氏とのDUOの時、対バンしてるので、今日は再会。相変わらずのポリリズムックなドラム。しかもセットはシンプルこの上なし。グレッグのサックス、パワーに持続がすごい。2人のハイパワーなテンションが最初から最後まで切れ目なく続き、そこに秋山氏のテープエコーによる特徴あるサウンドが加わり、フリージャズで終わらない個性が発揮される。秋山氏とは3月にここでDUOをさせて頂いており、その時はまだギター的アプローチを交えていたが、今日の秋山氏はギターを抱えず、テーブルアプローチ的に膝に乗せたままで最後まで持っていった。三人の凄まじい音響が気持ちよく、そのスリリングな時間が終わった後の空間の静けさにハッとするほど。
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