満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

   MILES DAVIS QUINTET 『EUROPEAN TOUR 1967』(DVD)

2008-02-29 | 新規投稿
  
粒の立った音が物質のようにビシバシ響く。
切れ味が鋭すぎて、身構える体勢を余儀なくさせるよう。腹に力が入る。実にリラックスできない音楽。ライブ会場の緊張に満ちた空気感は一種、異様。エンターティメント性は見事にない。マイルスデイビス達は演奏だけを行っている。しかも、かなり無愛想に。
モノクロームの映像から伝わる音響磁場。その強度は音楽形式の進歩史観そのものの再考を強いるものだ。全然、古くない。今でも軽く最先端。40年も前のライブなのにこのラジカルさ(根源的で革新的)。60年代マイルスグループだけ聴けばジャズは事足りるんじゃないのか。

目も眩むようなウェインショーターのアドリブプレイの硬質な輝き。
そのメロディを圧縮したような演奏にずっと魅了されている。ウェインのアドリブこそが60年代マイルスを決定付ける要素だと思っている。迎合的旋律やブルース臭すらも消去するような硬質さ。メロディが容易く流れる事を意識的にカットし、ブレスによる小刻みなフレージングを持続させる。このクールさはとてつもなく現代的だ。現在の全ての音響的先端性に通じていると言ってもいいだろう。メロディの振幅を制御する方向が逆に、そのブルースの深化へ至る。歌の歌い方、その多様性の奥深さを思い知らされる。
そしてそんな演奏の一つの秘訣と言うか、必然が解った気がする。スピードだ。スピードを絶対法則とした当時のマイルスクインテット内の不文律がウェインをしてあのような演奏へ導いていた。そしてそのスピードをコントロールしたトニーウィリアムスという起爆装置がバンド全体の方向をも示唆していた。メロディの振幅を最小限にしたジャズの実験。しかもフリージャズを意識的に回避しながら、各自の発する音が物質化し、混濁する速度を一つの快楽原則とする当時のマイルスデイビスの自信が見える。彼によってスタンダードさえもフリーとなった。フリージャズよりもフリーに。

ここにあるのは内発性の極地なのだ。
現在のジャズの多くが、いかにジャズという形式や音楽技法を意識した演奏の放流に終始しているか。音楽芸能が細分化し尽くされた現在、多くのアーティストは技法への依存や快楽原則を様式美の中に閉じる指向性が顕著であり、‘現状’という外界、しかも多くの場合、視野に入れる必要もない他者ミュージシャンの動向を意識した活動さえみられる。商業主義に拘泥されたUKロックなどはその最たるものなのだが、ジャズとてその演奏技術の習得や作曲、即興さえも意識範疇の中に実は同時代音楽への過剰な視線を真逃れていない。ここに決定的に脆弱さがある。アーティストが本来、意識すべきは己の想像力に向かい合い、ある種の限界を知る事で、技術や感性を深化させていく事以外にないはずなのだ。

60年代マイルスデイビスグループは‘創造’という地平への眼差し以外に何もないような気がする。もはやジャズすら意識していない。先達の開拓形式の技術習得の後、それを一旦、手放す冒険性をいつも覚悟している。自発性とはイノベーターへの真の理解と尊敬、その継承を意識する事に始まる。しかも‘継承’とは様式の模倣ではなく、超克を必然的に要求するものだろう。‘無’からは何も生まれないが、‘無’を意識する事で表現の拠点たる原形を確固とし、イノベーターから連なる者としての新種のイノベーターたり得るのだろう。マイルスデイビスはそこに自覚的であったからこそ、時代ごとに変化、進化があったのではないか。

だからこそ文句を言うが、このDVDもジャケ写真を適当にはめ込んでいる。60年代のマイルス映像に70年代のマイルスの写真。この手のいい加減な制作はブートのみならず正規盤でも結構、ある。もはや間違いさがしゲームの如きなのだ。カッコいい写真だからと言って許されるべきではない。なぜならマイルスの場合、その時期ごとに音楽性ががらっと変わり、それがファッションやビジュアルの変化とリンクしている。周知の通り。
60年代マイルスグループはスーツ。正装に決まっておる。正装でキメてこのような高速のパンクジャズを客に媚びず、一気に演奏する。余計にこのアグレッシブな演奏が映えるのだ。しかも正装しているくせに挨拶もMCもお辞儀すらしない。不敵な態度を貫く。
だからカバーフォトもスーツでキメたマイルスのカッコイイイ写真にしてほしかった。いくらでもあるだろうに。ちゃんと仕事して欲しい。

2008.2.29


                                                                                 
                                                                                                                                                                                                                                             
                          
                 
                                                           

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突然段ボール 『純粋で率直な思い出』

2008-02-25 | 新規投稿
 
私はCDをよく買うがよく売る。好きなバンドだからと言って容赦はしない。熟考の末、聴かないと判断したものは、所有しないのが私の主義なのだ。コレクション癖は全くない。なのに私の妻などは、そこをどうも勘違いしているようで、「なんでこんなに集めてるの?」等と、のたまいやがるのだ。解ってないのだ。私はCDを集めているわけではない。音源を買い、聴く事は私の不可分な栄養補給なのだ。これを絶つわけにはいかないのだ。しかも、少しでも量を減らし、質を高めようとしている私の努力を何だと思っているのだ。1枚のCDを売るのに、熟考を重ね、苦渋の決断をして、売り払う時も多々あるのだ。それが解らんのか。全く。

突然段ボールのCDを突然、売ったのは3年前だったか。
この時も私は容赦しなかった。何枚かを残し、何枚かを売った。買ったばかりの新譜『お尋ね者』(蔦木栄一の急死後、初のアルバムだった)も売った。このバンドは大好きなので売るのは忍びなかったが、その時の私の精神状況がそれを決断させた。しかし、今、それを何となく後悔している。
今回の新作が素晴らしく、以前のアルバムを全て検証したい気になってきたからだ。特に故、蔦木栄一の歌詞をじっくり読みたいと改めて思った。売った時、私は音楽だけで判断してなかったか。

蔦木俊一のリーダーバンドとなった新生突然段ボールの二作目である『純粋で率直な思い出』は力作となった。歌詞は全て、故蔦木栄一によるものである。彼はバンドの中でまだ生き続けている。

このバンドを聴き続ける必然は何か。当初はフリクションと同じPASSレーベル所属故、偶然、聴いたに過ぎない。フリクションとはまるで対極にあったこのヘタウマバンド。しかし私は魅了された。蔦木兄弟のあまりにもカッコ悪いルックスの衝撃。「ホワイトマン」の脱力ロックの衝撃。作文のような歌詞の衝撃。全てが型破りのバンドだった。私は突然段ボールにアホらしい程の驚異感覚を見続けて、それを期待してきたのだと思う。

全く、突然段ボールを異端と呼ばずして何を異端と呼べば良いか。30年間の異端性がずっと変わっていないとはどうゆう事か。よく異端でも後から時代が追いつき、異端でなくなる事がよくある。ヘンな事も広くスタイルとして普及してゆく過程で、全然、ヘンでなくなっていく事はよくある。異端の質は時代と共にその基準が変化していくものなのだ。
しかし私達は突然段ボールを30年間聴くとき、時代が全く追いつく事ができない異端というものがここに確かにある事に気づくであろう。
あの他人に厳しいフレッドフリスとも競演し、ロルコックスヒルとは秀逸な即興演奏合作を時代を経て2作、残している。

兄、栄一亡き後、弟、俊二による突然段ボールはギタリストを加え、よりロックフォーマットになってはいる。聴き方によれば、オーソドックスだ。しかし、その発声や歌詞、表現ビジョンに、これ以上ないオリジナリティが充満する。このバンドは誠に30年以上に渡って、フォロワーを生み出さなかった。似ているバンドはただの一つもない。これぞ正真正銘の異端か。

『純粋で率直な思い出』はストレートなビートで押しまくるロック。突然で変態的、素っ頓狂な高揚感、グルーブが炸裂する。

『純粋で率直な思い出』

文節の回数 もう飽きた
文節の回数 もう飽きた
早すぎるんじゃなく 一区切りの距離が短い

率直さをかく ×3

対外的関係 もう飽きた
観察的態度 もう飽きた
感動が薄いんじゃなく 振幅の両極がつぶされてる

純粋さをかく ×3

率直な転回 もう飽きた
純粋な態度 もう飽きた
ひねくれてるんじゃなくて 過ごすのが難しいだけ

思い出をかく ×3

率直さを欠き 純粋さを欠き 思い出を欠く


アホらしいロックが生真面目に疾走する。突然段ボールにはまるで場違いのようなドライビンサウンド。私は心で叫ぶ「いけ。そうだ、いけ、いけ。いけ!」と。

2008.2.25



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DEE DEE BRIDGEWATER 『RED EARTH』

2008-02-18 | 新規投稿
      
1曲目の「afro blue」の斬新なアレンジにジャズボーカルの全く新しい地平を感じるも束の間、2曲目以降は全てアフリカ志向に統一され、既にジャズを超越したディー・ディー・ブリッジウォーターの境地を悟り知る。
ルーツを捜す旅に向かった彼女が辿り着いた故郷とは果たしてマリであった。彼女の確信は音楽で表現される。現地ミュージシャンとのコラボレーションという外来者的スタンスから更に踏み込み、共通の霊感を感受しながらの共同体的意識の元に歌う。いわば車座の状態で奏でられるシャーマニズム音楽の宴を彼女は繰り広げた。

カッワーリーとの類似性はアフリカへのイスラムの浸透という文脈で理解して良いのだろうか。ディー・ディー・ブリッジウォーターの驚異的な歌唱力、表現力故に可能となった器用なカバーリングと見るべきか、いや、この呪術的歌唱は彼女の覚醒による瞬発的マジックだろう。まるで、あのヌスラットファテアリファーンのような震えの持続を体現する彼女の歌唱の凄まじさ。アフリカ=アラブ文化圏の表現母体の連続性、広汎性を想起する。マリのミュージシャンの感性にあるのは‘強迫の反復に神を見る’リズムのミニマリズムというアフロビートのステレオタイプではなく、囀りのようなボイスや自然音の複合を空間的に表すもので、むしろメロディックなものを感じる。バンブーフルートの優しい音色や決して突出せず、しかし確かな鼓動が感じられるパーカッション群の響きの中に、幽玄の世界を感じる。リズムのグルーブも迫力よりも緻密、繊細というイメージだ。

ピアノのタッチに微かな‘ジャズ’が残存する。
しかしエラフィッツジェラルドへのトリビュート『Dear ELLA』(96)から随分、遠くへ来たものだ。エラを‘引き継ぐ者’としての自覚は、しかし彼女自身の抑えきれない探求心による路線変更に至った。ジャズボーカルの大御所を彼女はもはや捨て、未踏のオンリーブラックミュージックを創造したかに見える。ディーディーとカサンドラウィルソンを現代ジャズボーカル二強と認識していた私の愚かな事よ。両人ともジャズを逸脱しながら、現在進行形の大衆音楽を歌っている。いや、それこそが本来の‘ジャズ精神’だろう。

ディー・ディー・ブリッジウォーターの歌唱からジャズやソウルの保守性も想起される。それらは感情を歌いすぎている。内面過多なのだ。それが音に顕れる。ディー・ディーが実現したのは、そんな人間中心主義と自然観や宇宙へのベクトルが共存する歌世界だろう。
ジャンル化された‘ワールドミュージック’の辺境的保守性からも、アメリカンジャズ、ソウルの定住感覚からも、超越しながらより根源的な新種のブラックミュージックがここにある。

2008.2.17
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Paul Motian   『Time and Time Again』

2008-02-14 | 新規投稿

打音が宙に舞う。
様々な色のアタックが音階を奏でる事なく空間を綾取る。そこには確かな旋律やコードがある。打音が持続し、止まり、曲がりくねるようだ。律動が解体され、破片となった拍子が一筆書きのように永く連なる。その音象たるや空中に描いた水墨画の如し。現実という時に添うのではなく、異次元の中に固有のリズムを刻む時空が創出された。あくまでも静的に、定温な音響が浮上する世界。アンチクライマックスな感性は徹底される。これは最早、均衡の極意だろう。

ポールモチアン。
この人はドラマーなのか。いや、ドラマーには違いないが、一種の空間芸術家と言って差し支えないだろう。ビルエバンス(p)、スコットラファロ(B)とトリオを組んだ60年代から、モチアンのグルーブを解体、熔解させる試みは続いているのだろう。ミニマリズムへの明確な反抗がそこにあったのか。それは定かではない。しかし彼は明らかに‘アフリカ’から遠い地平を目指しているかに見える。ジャズの故郷、原形を意識的に回避する、そのリスクを引き受けながら、新たな原形=オリジンを創造したのだ。

メロディックドラミングと言っても良いだろうか。
ポールモチアンは拍を刻む定刻を旋律的にデザインする。それは複合(ポリリズム)でもない。広義のリズムからは離れたものと認識される、そのリズム世界はモチアンの心から発せられる‘歌’としかいいようがないものだ。ビートのグルーブではない言わば‘メロディグルーブ’をモチアンはピアニストやギタリスト、ホーンプレイヤーと同列に演奏する。いや、それらを‘うわもの’とさえ意識もしていないのだろう。夭逝した天才、スコットラファロもギターのようにベースを弾いた演奏者だった。モチアンはそんなプレイヤ-との対峙を必要とする経験を積んだ演奏家だ。その到達地点の奥深さ。推して知るべしだろう。

バップの‘熱さ’の後、メロディによる新たなグルーブ概念はマイルスデイビスも試みている。ただ、それはウェインショターとのホーンの応酬による実験であり、あくまでリズムセクションとの二分法と言う意味で、ジャズ音楽の構造全体の変革とは言えなかったかもしれない。白人トリオであったビルエバンストリオだからなし得た変革とは、三者によるメロディの自由演奏だったのだろう。それが結果的に固有のグルーブの創造に至った。ラファロとモチアンはエバンスの究極的メロディにリズムを提供しなかった。即興的なメロディで応酬する事でそれに対抗したのだ。そこには見えない闘争があり、スリルがあった。
‘メロディによるグルーブ’はアフロに端を発すビート形式やブルーノートのスケールから意識的逸脱を図り、西欧的対位法をジャズに持ち込んだエバンスの‘旋律世界’に対して旋律的インタープレイを提示したラファロ、モチアンのリズムセクションによって成されたのだろう。

『Time and Time Again』はモチアン、ビルフリゼール(b)、ジョーロバーノ(sax)のトリオによるニューアルバム。三人の奏でる単線メロディが空中に無作為に発せられる。作曲された一つのメロディを反復、変形させながらサウンドデザインしてゆく音楽。これはもはや音響世界。アンビエントな空間芸術だろう。
私はもう30回くらい聴いている。しかし全く記憶がない。空気のように耳に溶けていく。‘無’になるような音楽。いつも途中で音楽を意識していない。気付けば終わっている。ちゃんと聴いていたのか。いや、聴いていない。しかし聴いている。なぜなら心地よさが確かに実感できるから。多分、聴いていたのではなく、音楽が浮遊する空間に私はいただけなのだ。こんな音楽があってもいい。いや、もっとあるべきだ。
ポールモチアン。76才。誰もいない場所に行き着き、そこで演奏している希有なミュージシャン。

2008.2.14

 
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笠置シヅ子  『ブギの女王』

2008-02-07 | 新規投稿
    
美空ひばり、藤圭子、ちあきなおみ。
私にとっての‘御三家’が定まってもう久しい。途中、山口百恵、或いは青江三奈、桂 銀淑、山本潤子、高橋真梨子等が私を惹きつけ、御三家ならぬ四天王となるか際どい競り合いがあったが、結局、何れも退けられている。しかしその後、このBIG3を脅かす存在は思わぬ所から現れた。エネルギーの塊のようにシャウトする60年も前の大スター、笠置シヅ子だ。

YOU TUBEなんかで音楽を見る事に露ほどにも価値を置いていない私だが、笠置シヅ子の「買い物ブギー」のオリジナルフルバージョンを発見した時には感激した。それは衝撃に等しかった。CDでは削除されていた‘つんぼ’‘めくら’という歌詞の言葉がある事でこの曲の根本的なパワーが全く違っている事に気づいたのである。曲も新たなバースがあり、実際は更に長い曲だった事が判明。しかも‘わてほんまによう言わんわ’というサビにバックコーラス(掛け声)が重なっており、この曲のヒップホップ感覚が倍増されている。なぜ、以降のCD復刻はこれが採用されなかったのか。多分、このコーラスバージョンは‘つんぼ’‘めくら’という差別用語(今で言う)のあった原曲のみのワンバージョンだったのだろう。しかしこれが有ると無いのでは印象が全く異なるのは音楽の不思議な所。10回以上連呼される‘オッサン!オッサン!’のシャウトもこれがあってこそ生きてくるのであった。オリジナル、偉大なり。この見事な構成に圧倒される。ありがとう!YOUTUBE、と言うか投稿した人。

慌てるように買った3枚組CD『ブギの女王』。それまで持っていた簡易的なベストものは用なしとなり、売った。『ブギの女王』は笠置シヅ子の戦前期作品も含む最強盤。全編に尋常でないエネルギーがみなぎる。
53曲中、47曲が服部良一作品。多彩な楽曲を誇る服部だが笠置シヅ子への楽曲提供は全てがブギナンバー。彼にとってのブギとは新時代のリズムであり、今のロック、ヒップホップより先鋭なものだろう。そりゃそうだ。戦中、戦後期の洋楽の一般への浸透などたかが知れていよう。その異端性は推して計るものがある。ブギは大衆の陽性に火をつける爆弾的なものだったに違いない。

ところでこのブギとは何なのか。私は実はよく解っていない。昔、ステイタスクオーというハードブギーのバンドがあり、あのようなスウィンギーなロックンロールを想起させるが、リズム的には8ビートのみならず4ビートやシャッフルも含むような気がする。しかも服部良一は外来のブギーを日本の祭りのグルーブに通じるタメを基底にしながらそれをハイテンポに置き換える試みを通じ、和風ブギーの創出に成功したのだと思う。‘そのままやった’のではないところに昨今の‘なんでもそのまま直輸入’型の脆弱さがない創意工夫を感じる。(昨今、日本人がヒップホップやってもいいけど、カッコまで黒人真似る事ないのだ。カッコ悪い。余談)

いずれにしても服部良一がブギに特殊な生命力、時代を突き破るようなエネルギーを見出し、それを具現化、実体化する媒体として、笠置シヅ子の中に希有の存在性を見たのだろう。だからこそ、服部良一は笠置シヅ子への提供作品に関してのみ、その多くを作詞も自身で手がけている。なぜか‘村雨まさを’という変名で。しかしその歌詞がまた凄い。

「ブギウギ時代」(1948)

とかくこの世はブギウギ
猫もしゃくちも ブギウギばやり 
ブギを歌って八百屋へ行けば 
八百屋あわてて ネギをば出した 
これじゃトウキョウ ネギネギ 
ブギウギ ネギネギ ブギウギ 

とかくこの世はブギウギ
好きと好きなら 遠慮はいらぬ
ブギが取り持つ 二人の仲に
出来た子供がブクブク育つ
好きと好きとで ブギウギ

なんのこっちゃ。
この疑いなき肯定性の極みは何なのだ。
時は1940年代後半。戦後間もない日本の灰色の空に突き刺さるように響く笠置シヅ子の嬌声。アメリカの占領下にある我が国の一般のメンタリティとは‘自信喪失’だっただろう。食料は不足し、基幹産業は壊滅、GHQの巧妙な占領政策にはまる日本人。闇市での物資購入を余儀なくされ、貧困にあえぐ日々。娯楽の余裕などあるはずもない。なのにこの歌ときたら「ブギウギ時代」だ。‘とかくこの世はブギウギ、猫もしゃくちも ブギウギ’と脳天気に吠えている大口の女。いや、もはや脳天気を超えて春爛漫を大地に振りまくショック歌謡だ。しかも歌い方のパワーが桁外れだ。「ブギウギー」の箇所でノドを詰まらせたような男の声を醸し出す、この満面が口のような天才。

服部良一は自らの実験精神、遊び心を笠置シヅ子というマジカルボックスで奔放に試したのだ。奇妙な異言語を創りだし、それを笠置シヅ子のボイスを通じ、リズムの驚異感覚、ビートへの追走を世間に問うている。明らかに彼はこの時代、日本に何らかのメッセージを発している。作曲という‘要請されるお仕事’から離れ、彼は攻撃的姿勢を躊躇することなく貫いた。もしかしたら服部良一の膨大な仕事の中で、笠置作品こそが最もやりたい形だったのかもしれない。

バンジ バンジ バンジ バンジ バンジ バンジ バドダドダド ダドダドー
「ラッパと娘」
ヘイヘイヘイヘイヘイヘイ ラップダドダド ダドダダ
「ヘイヘイブギー」
ブッパー ブバップバ ブッパー ブバップバ バッドウデイ バッドウデイ バッドウデイバッドウデイ
「黒田ブギ」
ハーイハイ ハーイハイ ブッパブ ラットウラ バップバ ラットウラ ハッチャチャ ハッチャチャ
「ハーイ・ハイ」
シャンファン ラリララ シーサンライライ ショーハイライライ ニャンニャンライライ チャイナ チャイナ チャイナ チャイナ チャイナ ホット・チャイナ
「ホット・チャイナ」

リズムを主体に作曲した笠置作品での服部良一はビートを強化する為、独自のビート言語=スキャットを生み出した。意味性を無効にし、発声によって生み出させるグルーブを至上のものとした。歌は言葉=意味であり、それは美声によって心に浸透するという一般常識を服部良一は脇へ置き、別の価値をメッセージした。今は情緒に浸る時ではない。‘自信喪失’という民族的苦難の状況下にあって、服部良一は肉体の高揚、心の躍動を統一し、深刻化する現実に対する対抗基軸としての身体性を示したのではないだろうか。いや、大げさじゃないと思う。諫言すべきは果たして<元気>だっただろう。日本人の<元気>を喚起したのが服部、笠置コンビの時代的使命、役割であったのだ。
服部良一はブギを果たして音楽ジャンルと認識していたか。彼が戦時中にそれを発見した時、そのモダンな様式に魅せられたと同時に、そこにアメリカが先導する新時代の息吹きを感じ、翻って現在、総動員態勢に向かう国内の精神状況を想い憂いながら、しかし次の次代、戦後を見越していたのではないか。しかも祖国の敗戦という苦難をも。
ブギとは、そのリズム様式をかろうじて指すが、最新モードの先鋭の表現であり、服部にとってそれは、時代精神=新思想であったわけだ。

「コンガラガッタ・コンガ」

コンガラガッタ・コンガコンガ
コンガラガッタ・コンガ
コンガラガッタ・コンガコンガ
コンガラガッタ・コンガ
私はあなたが好きなのに
あなたはあの娘が好きなのね
あの娘にゃ あの娘の彼氏があるのに
そのまた 彼氏にゃ 彼女があるのに
あの娘は何も知らずに 彼氏に夢中で
惚れたの はれたの
惚れたの はれたの
コンガラガッタ・コンガ
コンガラガッタ・コンガ

何の歌なのか。それは愚問だろう。
以下の笠置シヅ子ナンバーの曲名を見渡す時、もう意味などどうでもいい爽快さと単純な核心だけが、提示され、スコーンと竹をたてに割ったような開放感に導かれる。
「ジャブ・ジャブ・ブギ」、「ザクザク娘」、「たのんまっせ」、「おさんどん」、「ボン・ボレロ」「セコハン娘」、「雷ソング」「たよりにしてまっせ」、「ジャジャムボ」、「恋はほんまに楽しいわ」、「めんどりブルース」、「私の猛獣狩」、「ホームラン・ブギ」、「エッサッサ・マンボ」

コメディソングではない。これらは笠置シヅ子のソウルミュージックだった。
昭和9年にデビューした笠置シヅ子が服部良一に出会うのは昭和13年(1938年)である。
CD『ブギの女王』の解説に記された服部良一の回想を引用しよう
<薬びんをぶらさげ、トラホーム病みのように目をショボショボさせた小柄の女性がやってくる。裏町の子守りか出前持ちの女の子のようだ>
「笠置シヅ子です。よろしゅう頼んまっせ」
<しかし稽古が始まるや舞台の袖から飛び出した笠置は「オドッレ、踊ッレ」と掛け声を入れながら、激しく歌い踊る。その動きと派手なスイング感は別格の感じであった。>

翌、昭和13年に「ラッパと娘」を世に放つ。昭和16年に笠置シズ子とその楽団を結成。時代は中国戦線の泥沼化から三国同盟締結、そして真珠湾攻撃へと戦時一色になる正に有事の時代。しかし、その暗い世相の中、笠置シズ子は絶叫した

  「ラッパと娘」

楽しいお方も 悲しいお方も
誰でも好きな その歌は
バドジズ デジドダー
この歌 歌えば なぜかひとりでに
誰でも みんなうかれだす
バドジズ デジドダー
吹けトラムペット 調子を上げて
デジデジドダー デジドダー
バドダジドダー
バンジ バンジ バンジ バンジ 
バンジ バンジ バドダドダド ダドダドー

戦後、堰を切ったように笠置シズ子のエネルギーは爆発する。
昭和22年、民族開放賛歌「東京ブギウギ」を皮切りに「さくらブギウギ」、「ヘイヘイ・ブギ」、「博多ブギウギ」、「北海ブギウギ」、「大阪ブギウギ」、「ジャングル・ブギ」、「ブギウギ時代」、「ホームラン・ブギ」、「ジャブ・ジャブ・ブギウギ」、「名古屋ブギー」、「ブギウギ娘」、「買物ブギー」、「アロハ・ブギ」、「大島ブギ」、「黒田ブギ」、「七福神ブギ」と昭和27年までの間にブギナンバーを連発する。特に「買物ブギー」(1950年)は世界初のラップミュージックとして認識されるべき、稀代の傑作である。

YOUTUBEで「東京ブギウギ」の映像に見入る。
歌メロでは両手を胸のあたりで円を描くような動き。独特の強拍感覚がある。そしてサビ及び間奏部ではステージを横断しながら狂ったようなジャンプアクションを展開。両手を上下に激しく振りながら奇妙なステップで駆け回る。この異常な弾け具合は普通ではない。なるほどこれが戦中、当局に睨まれ「マイクから半径1メートル以外に出てはならない」とお達しを受けた笠置シヅ子の衝動的動態だったのだ。この暴発するエネルギー。全身全霊の表現力を思い知らさせる。
この「東京ブギウギ」の時、笠置シヅ子はすでに三十路の子持ちであった。その子供は交際していた相手が急死した数日後に生んだという。結婚は相手の親に反対されたらしい。波瀾万丈、喜びも悲しみも全てを能動的に全身表現で繰り出す、その姿は戦慄的と言っていいだろう。
時代が彼女を必要とした。笠置シヅ子のブギーとは新時代への推進の力だった。

やがて高度成長のレールに乗って以降の日本が豊かになるにつれ、歌は心を扱うものとして原点回帰してゆく。1950年代以降の歌謡曲が日本的情緒に根ざした、‘こぶしもの’に回帰してゆく中、笠置シズ子の突き抜けたポップ感性は主流ではなく、異端的突出としての存在感に落ち着いていった。次代のスター、美空ひばりは笠置シヅ子の物まねからスタートしている。

歌手廃業後は乞われても二度と歌わなかった笠置シズ子
「私が歌う時代は過ぎた。今、必要なものではない」という理由だったという。

誰もが漠然とでも‘役割’を意識しながら生きた嘗ての日本人。薄っぺらい個人主義が蔓延する現在では推し測れない、‘公’の精神を持つ彼女も典型的な旧日本人であったようだ。<元気>を今よりも百倍、必要とした時代、笠置シズ子はその使命に燃え、歌い、踊り、それに殉じた。

私は黒沢明に凝っていた頃、『酔いどれ天使』(48)でキャバレー歌手を演じる笠置シヅ子の神憑りなステージを観ていたではないか。曲は「ジャングル・ブギ」だった。これも凄まじいナンバーだ。ラストは‘ボンバ!ボンバ!’の奇声の執拗な繰り返しでクライマックスに至る。最後は‘ギャー!’だった。

ウワオ ワオワオ ウワオ ワオワオ オー
ボンバ! ボンバ! ボンバ! ボンバ! ボンバ! ボンバ! 
ギャー!

最高!しかも最低!
しかし最強!!

2008.2.7

 






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