満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

                    木村文彦 3

2012-02-24 | 新規投稿
 

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初のアルバム完成をまじかに控えた木村文彦が最近、とみにライブ活動を活発化させている。先日は声色師Won Jik Sooとのデュオライブを行った。会場に着くと、いつにも増して楽器が整然と配置され、その周りをキャンドルライトで囲むセットになっている。ライブによっては多様な楽器を乱雑に放り出すようにステージに置く事もしばしばある木村であるが、今回は一つの手順と言うかコンセプトに則ったような楽器群の配置になっており、その視覚的効果も十分であると感じた。もっとも演奏が始まれば、この整然とした配置が崩れ、あっちこっちに楽器が移動して原型を留めなくなるであろう事も予測できるのであるが。

共演者、Wonは自らを‘声色師’と名乗るように様々な声色を駆使するボイスパフォーマーだが、唄も上手く、ギターやクラリネット、パーカッションなどの楽器も演奏し、ダンス、芝居、物真似、など様々な演目を縦横に横断する全くつかみどころのない一種のトータルな芸人といった感じの特異な存在である。私が今まで観たライブで共通する印象はその存在感の大きさであり、デュオでは必ず相手より目立ち、多人数のセッションに於いても共演者を食ってしまうその力量といってもいい。観る者を一瞬に引き込んでしまうそのパフォーマンスは唯一無比であり、今回は木村文彦とのジョイントであり、二人の存在性を賭けたぶつかり合いという様相を示すバトルになるのではないかという予感がする。さて軍配はどちらに上がるか。

ライブは木村文彦のソロから始まった。
静かに始まって、やがて激しくなる。このあたりはパターンとも言えるかもしれないが、割りと統制の効いた演奏で、ストーリー性を意図した秩序が感じられる。しかし、Wonが入ってくると様相が一変する。最初は舞踏を展開するWonの伴奏者めいた状態の木村であったが、Wonがループマシーンを使って低音の声明のような唸りを大音量で反復し始めると、その圧力に負けじとパーカッションの一斉射撃で応じる。Wonはボイスのループをバックに小声を挟んだり、見たこともない弦楽器(自作かなと思った)を涼しい顔でポロンポロンとマイペースに奏でている。つまり、木村の怒涛のレスポンスを軽く受け止めるように超然としているのだ。二本のマイクを使い分け、踊り、クラリネットを吹き、五木ひろしを歌う。その出し物の多彩さは相変わらずだ。
Won Jik Soo恐るべし。彼もまた木村と同じく、ほぼ関西エリアに拠点を絞ったアーティストであるが、その衝撃度は必ず観る者を圧倒するものである事は間違いない。

途中、Wonが客席から女性を呼び寄せ、上を向かせたまま背中に背負い、そのまま10分くらい静止するパフォーマンスを見せる。バックにはイタコのようなボイスのループに木村の猛叩き。一種、異様な雰囲気が会場を支配し、この儀式めいた風景に会場は一種のトランス状態と化す。背負われた女性が堪え切れずに崩れ落ち、そのまま憑依の舞踏を始め、木村はバケツやら地面を高速に叩き出す。玩具太鼓が飛び散り、私の足元までマレットが飛んでくる。もうこの時点で最初、整然と配置されたパーカッション群は、案の定、ごちゃごちゃになり、何がどこに行ったかわからなくなる始末。Wonは最後のあいさつで背負った女性を「東京から来たひろよちゃんです」と紹介していた。後で木村氏に聞いて喜多尾浩代というダンサーであった事が解った。

いよいよ、木村文彦のアルバムが完成する。
マスタリングを終え、ジャケット制作中であるが、もう完成を待つだけという段階に入った。4月15日、地底レコードから配給される事も決定した。私は制作者として自信を持って、この作品を多くの人に聴いていただきたいと思っている。

3月25日にはレコ初ライブが決定した。場所は大阪本町の地下一階。共演者はアルバムにゲスト出演した向井千惠(胡弓、ボイス)磯端伸一(ギター)、そして私も参加させていただく事になりました。乞うご期待。

2012.2.23
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                     PYROLATOR 『NEULAND』

2012-02-10 | 新規投稿

   

梅田の東通りにあったパチスロ店でバイトをしていたのは大学一年の時だからもう30年も前になる。
パチスロと言っても最近の小奇麗な感じの店ではない。大きなレバーをガチャと引き降ろしてリールを回転させる旧式の機械を使った、大阪でのパチスロ第一号店である。やや危ない感じが漂うギャンブル場といった趣の小さな店だったが、実際、客はヤクザや得体の知れない者も多かった。夜逃げしてきて、入り浸っているのや、クスリでフラフラしながら店内を徘徊するおっさん、台の下にあるコインが貯まるバケツが入ってる扉をこじ開けようとしたり、店員にいつも金を無心する客もいた。たまに顔を出すパンチパーマの社長に「ちゃんと客、見とけよ」と言われた私が目を細めて店内を見渡していたら、「何見とんねん」とヤクザに凄まれ、「こいつ、目え悪いねん」と助けてくれたのもやはり、常連のヤクザであった。バイト仲間の一人が、辞めたと思ったら、どこかの組員になって客で現れたり、ある日、なぜか常連が誰も来ず、翌日、来たので尋ねたら「皆、三代目の葬儀、行ってたからな」と言われ、そう言えばテレビで「田岡組長、死亡」とニュースやってたなという事もあった。そんなガラの悪い店で私はカウンターで番をしながら軍艦マーチのレコードをかけ、「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、お勤め帰りのひと時をジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ、張り切って・・・云々カンヌン」とマイクでアナウンスしていたのだった。

私はレコードを買うためにバイトをしていたので、東通りにある何軒かのレコード屋でレコードを買ってから店に入る事が多かった。ある日、亀田さんという大経大ラグビー部の3回生であるバイト仲間が私のレコードに気つき、「ドイッチェなんかも聴くんか?」と言った。私はそのセリフにびっくりした。まさか、こんなデカくてむさ苦しいバリバリの体育会系のしかも坊主頭の奴がそんなことを言うとは夢にも思わなかったからだ。しかもその亀田さんは‘DAF(ダフ)’ではなく、‘ドイッチェ’と言った。ということは‘DAF(ダフ)’という通称が定着する「Der Mussolini」収録のサードではなく、正式名であるDeutsch Amerikanische Freundschaft(ドイッチェアメリカニッシュフロインシャフト)と呼称されていたファースト、セカンドの頃からのリスナーであることも私はすぐさま直感したのだった。‘ありえへん’と私は思った。ロックやポップならまだしも、DAFという当時の日本ではパンク、ニューウェーブのファンでも知らない奴が殆どで、それは最新モードでありながらカルト的存在であったマイナーなグループを事もあろうに、ラグビー部の図体のでかい奴がその初期から聴いている。当時の私は体育会系の人間が生理的に嫌いで、偏見を持っておったので、余計に意表をつかれた感じだったのだ。しかも確か亀田さんはライヒとかのミニマルも聴くという。私達が音楽の話で盛り上がったのは言うまでもない。二人でPALMSにも行った。たまに私は買ってきたレコードを福ちゃんと呼ばれていたバイトリーダーがいない時に、店のターンテーブルでかけて、亀田さんと聴いたりしていた。当時のパチンコ屋などの遊戯店は‘軍艦マーチ’と相場が決まっていたので、客は「なんや?」と思ったかもしれない。よく遊びに来ていた亀田さんの後輩も皆、「なんです、それ?」てな感じだった。当り前ではあるが。

PYROLATORピロレイター(最初期はパイロレイターと言っていた)をそのパチスロ店でかけたかどうかは忘れたが、私はDER PLANより熱心に聴いていた。『inland』(79)が大好きだったし、『ausland』(81)が出たのがちょうどそのバイトをしていた頃だからLPコーナーで買って、かけたかもしれない。
私はピロレイターを当時、天才的なアーティストと感じており、ジャーマンニューウェーブシーンの‘本物’というか、ポストニューウェーブの中で数少ないミュージシャシップを持つアーティストだと認識していた。裏返せば、当時のエレクトリック系は実験的でアイデア一発的なアマチュアリズムを全面に出したよく言えば‘アート的’なものも多く、永く聴ける作品性は少なく、時代が時代だから仕方ないが、一過性のものも多いと感じていたからだ。対し、ピロレイターの個性はその作り込む職人気質にこそあったと思う。他のものとは味わい深さが違う。従って何度も聴ける作品至上主義がそこにはあった。しかし、彼は何故か90年代以降、沈黙し、シーンから退いてしまった。

『inland』(79)の先駆性は歴然としているが、あまり誰も認めていないかもしれない。‘ブッブッブッ’というカットされるベース音やインステゥルメンタルでずっとリズムが反復されるうねるマシーン音などにデトロイトテクノのオリジナルソースたる要素を発見できるし、無機的なものにズレを作ってグルーブを生み出す作業に緻密性が発揮される。そして何より顕著なのはやはり、その物語性である。安直な快楽志向ではない構成美はピロレイターの‘音楽作家’たる基底であろう。そう言えば過去の作品にはすべて『~land』というタイトルを付けており、強いコンセプト志向が伺える。

『NEULAND』は20年の沈黙を破った天才、ピロレイターの復活のアルバムである。私はアナログ12インチでシングル『NEULAND1』をあまり期待せず買ったのだが、これが素晴らしかったので、他の曲も聴きたくなり、あわててアルバムをCDで買った。つまりダブってしまったわけだが、12インチはイエローの盤でこれが綺麗で気に入っているので、良しとした。これは売らないだろう。
またしても‘land’を冠した作品を作り上げたピロレイター。その内容は現代のエレクトロニカを踏襲したもので、手法的には新鮮味はない。ただ、その‘作り込まれ方’にやはり脱帽する。そして今回は究極の暖かさとも感じられるヒューマンな音像をつくりあげた事に注目する。そのメロディセンスや構成の美しさにピロレイターはどこまでも物語作家だなあと私は感嘆した。かつて彼はテクノミュージックの時代を切り開き、その時代から離れた後、ここにきて再び、追いついてきたのだ。イノベーションではなく、その職人気質でシーンに参入してきた。曲はバラエティに富み、単純ではない。ピロレイターはここでハイダンスでもチルアウトでもない恒久的なリスニングミュージックをクラブシーンへ投じたのだと私は感じている。これはいわば彼に託された仕事かもしれない。それはアナログ時代を通過した者にだけ可能な‘濃い’物語の創作とも言えようか。
90年代以降のデジタルでクリーンな音楽世界はそのまま時代を映す鏡でもあった。それ以前、世界はまだ、どこか猥雑で、アバウトで未整理で人間味や手触り感を残していたと思う。そこに物語が生まれる契機があった。
あのパチスロ店もそうだ。勝手に好きなレコードをプレイしても「なにやってんねん!」で済んだ。客と店員の距離が近すぎて、哀れな客にコインをちょっと渡したり。極めつけは和歌山から夜逃げして店に‘住みついていた’情けない顔したオッサンがある日、店の制服を着てカウンターに座っていた事だ。パンチパーマの社長に拾ってもらったのだ。半分、ホームレスだったのだ。クサい人情、そんな時代だった。しかし客の時は我々に媚びへつらっていたくせに店の社員になった途端に偉そうにしてきたのを憶えている。「こらっ」と怒る時もあった。マンガである。画一化されたマニュアルやシステマティックなビジネスモデルへ何事も統合されていく無味乾燥な時代ではなかった。どこまでも‘人間’が介在した。
そんな時代にテクノがあった事の特異性を今、想う。それはいい意味でも悪い意味でも、次代の予見者たるメディアであったのだろう。
『NEULAND』で浦島太郎のように戻ってきたピロレイター。いわば以前と違う世界にやってきた彼がつくるヒューマニズム溢れる音楽はまたしてもその‘次代’を予見しているのだろうか。

2012.2.9
   
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