満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Harold Melvin & The Blue Notes 『Black & Blue』

2009-01-28 | 新規投稿

以前、私はレコードコレクター誌「ロックアルバム ベスト100」でのビーチボーイズ『pet sounds』1位にケチをつけた。その後、やはり同誌が今度は「ソウル/ファンク ベスト100」を出版したが、マーヴィンゲイ『what’s going on』の1位以下、こちらはほぼ、納得の内容。と思いきや、だいぶ後になって、「そう言えばアイザックヘイズ『hot butterd soul』が入ってなかったな」と些細な事で再びケチがつき、昨年末、シールの新作『soul』で「if you don’t know me by now」を聴いて、「あっ、ハロルドメルビン&ブルーノーツのファーストも確か、なかったんじゃないか」と気がついて、本を確認したら、やっぱり入っていない。しかも、20人の選定者によるそれぞれのベスト20を隈無くチェックしたが、このグループは名前すらない。なんと。400件にも入らない。フィリーソウルの大名盤と思われるブルーノーツのファーストが完全に無視された。

『Black & Blue』は昨年、リマスターされたグループのセカンドで73年の作品である。
‘ブラック’と‘ブルー’で象徴したものは、ソウルバラッドとダンスであったか。超名曲「if you don’t know me by now」を含むファーストアルバムは大泣きのバラッド集だったが、本作では軽快なビートナンバーと重厚なソウル歌曲がバランスよく配されている。
この時点で結成20年。その容易ではなかった歩みが人生歌には勿論、ダンスナンバーにも深みを与える。ビートが深い。アッパーなリズムに歌を感じ、メッセージが顕れる。
長い不遇の時代を経てドラマーだったテディーペンターグラスが偶然にもリードシンガーとして開花し、グループの黄金時代が訪れる。主役を自認し始めたペンターグラスの脱退後はシンガーを変えながらグループは継続された。脇役に徹したリーダー、ハロルドメルビン死後も<ハロルドメルビン’ズ ブルーノーツ>とグループ名に冠されたハロルドメルビンの敬意の払われ方に、私はソウルミュージックに於けるコーラスワークの重要性が暗に示されている事を強く感じる。その存在はリードボーカルと対等である事は間違いないのだ。

「I’m comin’home tomorrow」の切実感に酔う。終盤、コーラスが離れ、ペンターグラスのソロパートになるその寂寥感も味わい深い。何かを暗示するようなその‘離れ方’に生きた人生観、ドラマ性が偶発的に盛り込まれる。ペンターグラスのバリトンボイスに力感が漲るのは、哀愁や悲哀さえ、ぎりぎりの底辺から浮上するような最後の明るさを有しているからか。「the love I lost」で歌われる愛の喪失が、スピード感に満ちたビートと高く舞い上がるようなコーラスに表されるポジティブな感性で表現される時、その相反する歌詞とビート感のアンバランスの融合感の妙を感知できる。内省的だが湿らない。前向きだが、哀愁を帯びている。そんな錯綜するような精神の複雑さをあっさりと表現するブルーノーツとは正に一種のボイスパフォーマンス集団であると私は理解する。極上のエンターティメントに酔いながらリズムの刻み方、発声の一つ一つ、コーラスの揺らぎ。そんな細部までしっかり聴きこみたい音楽。

2009.1.28
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MARVIN GAYE 『The Ultimate Live Collection』

2009-01-19 | 新規投稿

マーヴィンゲイのブートレッグを買い集めるようになったのは『the last concert tour』(91)を聴いてからであった。2チャンネル録音で無造作に制作されたこのブートまがいの作品によって私はマーヴィンゲイの凄さを改めて思い知らされたのであり、その内容は70年代の諸々の傑作に勝るとも劣らないと感じている。私にとっては衝撃的なアルバムだった。父親による銃殺という不幸な死の前年である1983年、マーヴィンゲイは復活のツアーを行い、嘗ての栄光を取り戻す勢いの中にあった。『the last concert tour』はそのドキュメントであり、従来の正規のライブアルバム『live!』(74)、『at London Palladium』(77)、『in Montreux』(80)等とは明らかに異なるエネルギーが渦巻いている。
この時期のマーヴィンのエネルギーが何かとてつもない魔力に引っ張られるような‘過剰’を産み、その音楽からは荒々しいラディカリズムが先行して意識される。長いブランクの影響なのか、整合感よりもエモーションの発露に力点が置かれ、振り絞るように歌われる歌は切迫感や焦燥感をも醸しだし、破滅へ向かう負のエネルギーを伴っているかのようだ。

何かが破綻していた。いや、生まれつつあった。
『the last concert tour』にある表面的な完成度、完璧な演奏やステージ構成、進行の妙もその及第点を無にするような、突破的な音楽の伝達の力、原始性こそを感じる。それはある種の破壊感であり、破綻の感覚である。だからこそ、この作品は特別なものを有していると信じる。それは比するならボブディランの『hard rain』、ジョンコルトレーンの『village vangurd again』、ヴァンダーグラフの『vital』等に匹敵する、渦巻くような凄まじいパワーが全編に漲る音楽であろう。壊れかけた聖なるもの、それを再構築しようとして苦闘するような意志。まるでマーヴィンが自らの終末を予見して、最後のエネルギーを一斉放射したかのようなイメージに囚われるのは私だけだろうか。そしてマーヴィンゲイは破壊と再生のスリリングなドラマを表現するという未踏の場所を目指していたのではないか。

タワーレコードで見つけたのは昨年、リリースされたらしい『The Ultimate Live Collection』というアルバム。80年のヨーロッパツアーと83年の北米ツアーの音源をそれぞれに収めた二枚組の作品である。何故かボックスになっており、蓋を開けたら安っぽいバッジとシールが入っていた。別に要らないが。しかし音楽は良い!音は案の定、ブートだが、そんなの関係ありません。80年と83年。両者の違いはここでもやはり顕著である。83年の北米ツアーとは、即ち『the last concert tour』と同じ時期の録音であり、圧倒的な熱さ、熱波の渦中にいるマーヴィンゲイの表現がここに聴ける。

この時期、マーヴィンゲイは恐らく第2の絶頂期へ向かいつつあったのだ。
それはスタジオ録音に於ける数々の革新をなし得たマーヴィンのライブに於ける革新の始まりだった。それが解る。
嘗てモータウンの制作方針に逆らい、自主性を貫いて制作した実験作がポピュラー音楽史上の最高傑作と言われる『what’s going on』(71)だった。マーヴィンはモータウンによるヒットメイキング至上主義を前提とした分業制やコンパクトなラブソング一辺倒のシングル志向を全て否定し、コンセプトアルバム、歌詞のメッセージ性、サウンドの革新を遂行した。結果、それはソウルミュージックの至高点となり、マーヴィンゲイが音楽史におけるイノベーターとなった瞬間だったのだろう。

そして長い不遇の時期を経て、『midnight love』(82)で奇跡のカムバック。
そんなマーヴィンゲイの第2の革新がライブパフォーマンスにおいて模索されつつあった。彼にとって83年の北米ツアーとはさしずめディランによるローリングサンダーレビューのような意味合いを持つ一つの祝祭の表現だったのではないか。ライブ前の緊張というその有名な病もこの時期、克服され、揺るぎない自信がそのパフォーマンスの充実に顕れた。緊張のあまり行方をくらまして、捕まえられたあげくステージに引っ張り上げられたというエピソードを持つマーヴィンゲイの姿はもう、ここにはない。あのステージの鬼、ジェームスブラウンを想起してもおおげさではない、そのディレクター的な感覚やステージの支配ぶりに感嘆する。

「god is love」の荘厳な響きをどう言い表せば良いか。
ピアノだけをバックにした独唱。この歌い込まれ方は、ちょっと特別な雰囲気だ。
以前のライブアルバムにショー的要素が過剰と感じられるのは、そこに音楽の聖性というマーヴィンゲイの表現の神髄が生かされていなかったからだ。それは悪く言えば俗世の表現だった。緊張によるミスを回避する為か、マーヴィンのボーカルも「AU!」のシャウトがやたら多く、ライブが義務化した一つの仕事と化していた。レコーディングにおける制約という観念がパフォーマンスにも影響していたのが、『midnight love』(82)以前のマーヴィンゲイの姿だったのではないか。

83年の北米ツアーで実現した聖の表現。いや、聖と俗の往来の表現と言うべきか。
『midnight love』収録の「rockin’ after midnight」が9分間に及ぶ怒濤のような演奏で再現され(『the last concert tour』での同曲の倍だ)、「sexual healing」のエロス満杯のうねりが五官に染み渡るかのように伝達される。最高だ。チープな打ち込みがずっと好きになれなかった『midnight love』の各曲の持つエネルギーを生演奏の力感によって思い知らされ、原曲の良さを再認識する。長いブランクで資金難に陥っていたマーヴィンが苦肉の策として用いたシンセのうちこみトラック方式がその後のソウル/ブラコンの一つの様式になっていったのも皮肉だが、マーヴィンの本来、意図したであろうフルバンド形式による迫力の「sexual healing」を眼前にした時、多くのオーディエンスはその歌の力におののいたであろう事を私はイメージしてしまう。

マーヴィンゲイが試みたライブに於けるソウルミュージックの新たなステップへの意図。それは突然の死によって、志半ばで中断された。以後、ソウルミュージックの実質的な死と共に形骸化した様式ソウルはマーヴィンゲイへの畏敬の念と共にその亡霊を背負ってゆく。

2009.1.19
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    ANTHONY HAMILTON 『THE POINT OF IT ALL』

2009-01-08 | 新規投稿

毎年、1月号だけ「MUSIC MAGAZINE」を買うのは年間ベストアルバム企画があるからだが、中村とうようのコラム、<とうようズ トーク>だけはたまに、本屋で立ち読みしている。なぜなら、氏による激越口調の反体制、反自民党、反日的言説を読むのがもはや、腹立たしさを通り越して、私の自虐的な楽しみと化しているからだが、今月号でも冒頭でいきなり、<アホー・ダロー。こいつが‘だろう’どころか正真正銘の‘どアホー’であることは、疑問の余地がなくなった>ときた。言うまでもなく麻生太郎首相の事を罵倒しているのだが、これまでも<アベが・・>等と政治家をこけにしながら、政府批判をぶつのはお得意のパターン。今回もその毒舌は絶好調で<‘田母神’なんて由緒ありげな名前の男がアホー・ダローとどっこいどっこいのとんでもヤロー。>ときて<今こそ自衛隊を解体せよとの国民の強い声を挙げるべきだ。>とそのアレルギー反応の如き軍隊嫌いが顔を出し、三段跳びで非武装中立論に落ちつきます。そして厚生省の元幹部が刺された事件や秋葉原の無差別殺人と田母神‘事件’をリンクさせながら、それらを昭和初期の金融恐慌、2・26、大陸出兵といった‘暗い世相’とオーバーラップさせてファッショ到来とでも言いたげな‘歴史は繰り返す’論を延々と述べる左派言論人特有の物言いはあまりにも古めかしい。

それにしても中村とうようの政治を語る時の口調の激しさは何なのか。音楽評論も辛口なので、それは一貫したキャラではあるが、彼の国家や権力者、体制といったものへの一筋縄ではいかない嫌悪感情に何らかの過去経験による反動なのか、ある種のルサンマチマン的な憎悪を感じる。皇国教育と平和(ボケ)教育という二極分断を経験した戦中世代特有の‘極端に向かう’メンタリティーか。べ平連や労組、全共闘運動隆盛時の反骨精神は時を経てソフトリベラルに落ち着く‘軟化’を許容せず、老いて益々、先鋭化する事で世の人に覚醒を促すべくオピニオンリーダーを自認する‘勘違い’に拍車がかかってしまったのか。解らない。

ただ、音楽業界や音楽ファンに総じてリベラル派が多い事を考えるに案外、中村とうよう氏の言論が音楽界に与えた思想的影響は大きいのかなとも思う。何せ70年代以降の音楽ジャーナリズムにおける氏は一つ権威であったと聞くし、その思想はミュージシャンにも影響を与えているのは事実だろう。田母神論文を‘ゾッとする’と評した朝日新聞の社説に‘ゾッとした’私などはむしろ少数派で中村とうようからすれば‘どアホー’なのか。

しかし、‘音楽村’にリベラル志向の住人が多いのは認めるとして、彼等の反戦平和や人権思想にある‘偏り’は指摘させていだだきたい。私は北朝鮮による日本人拉致は日本における国防意識を喚起させる大事件と認識しているが、多くのリベラリストはそんな事よりもイラク戦争を契機とする反米意識が優先し、ブッシュ=小泉枢軸を攻撃するその反戦思想の正義を疑わなかった。
色んな音楽ライターや三文ジャーナリスト、国内外のミュージシャンのイラク戦争反対メッセージを寄せ集めた「NO WAR」という本を何年か前に読んだが、これもその一言一句に逐一、反論したくなるような文章のオンパレードで、これまた‘腹立たしさを覚えながら読む’という私の自虐的な楽しみを大いに叶えてくれた本だったが(こだま和文氏(exミュートビート)の含蓄ある言論だけが有益だった)、全く、私は音楽屋さん達の判で押したような左翼マインドが実は嫌いなのだ。

機能不全に陥ったCIAによる虚偽情報(大量破壊兵器の有無)や戦争利権屋の謀略によってイラクへ戦争を仕掛けたアメリカの愚かさは狂気的な犯罪と言えるが、そのアメリカ(の核)による保護国並の防衛に守られながら、長年にわたって北朝鮮工作員の進入を許すという海岸線の防備の手薄さを露呈し、しかも国内においても朝鮮総連による拉致の手引きを半ば‘容認’してきたという無防備国家による戦後の経済的繁栄と平和など幻想であったと言っても言い過ぎではない。アメリカの戦争に反対する前に、拉致監禁日本人(遺骨も含めて)奪還の声を大きくする方が優先すべき事だと強く思う。我々、戦後の日本人が享受してきた‘平和’を拉致被害者にも平等に与える志向を持ってこそ、日本は正常な国なのだ。もしそれを軽んじて、反米、反日に走る反戦・平和思想があるなら、それは単なる‘平和イデオローグ’でしかない。イラク戦争ではなく、拉致こそが日本が直面している現在進行形の‘戦争’である。

日本の‘音楽村’でイラク戦争反対の唱和が大きいのも、普段、英米音楽を多く聴いて、そのアーティスト達の発言や思想に触れる機会が多い事で感化されるせいもあるだろうが、大げさに言えば洋楽を含む西洋という名の文化享受が大きくメンタリティーに作用しており、自分の足元からつながる近い場所の出来事より、日頃の趣味、趣向が生活に於ける関心の領域を作り、言わばバーチュアルな世界意識による‘戦争’という出来事の方により接近した感覚を持つ‘ねじれ’が起こっているのだと考える。
しかも反戦屋さん達の多くはブッシュやラムズフェルドの狂気を非難するが、ビンラディンにはあまり言及しない。反米だから仲間なのか。

アメリカがイラクを侵略し、その大義名分のメッキが剥がれると‘対テロ戦もやってますよ’とアフガンに行く。ロシアはグルジアに侵攻し、イスラエルがパレスチナを空爆した。中国はチベット、ウィグルで民族浄化のまっ最中。なるほど世界中で性懲りもなく人を殺す愚行は繰り返されている。確かに戦争反対の声は挙げ続けなければなるまい。しかし、同胞を何百人も誘拐され、殺されながら、取り返しに行こうともしない国家や国民の‘戦意無き’メンタリティーは一体、何なのだ。それは反戦という至高価値を掲げる以前に基本的人権の放棄にも等しい卑しさではないのか。外国の戦争に反対する前に日本国や日本人は闘う意思も資格もない腑抜けなのだ。敢えて言わしてもらおう。大義があれば闘うべきだと。

<自衛隊を解体せよ>と中村とうようは言う。
しかし我々の生活を脅かすものが忍び寄らないという安全が担保されない限り、国の守りという‘戸締まり’は不可欠ではないのか。強盗が徘徊するのに家の鍵を開けて良いのか。実際に拉致被害者は誘拐され帰ってこないのだ。話し合いによる国交正常化こそが解決の近道?だったら尚更、軍事は必要だ。外交交渉を決定するのは総合的な‘力’であり、そこには軍事力も含まれる。北朝鮮のような小国が六カ国協議などという茶番劇で大国を振り回すのも‘核’というパワーを持った‘気違いに刃物’と化したからだ。軍隊が国民を守らないのは日本が一番、経験してるじゃないかって?平和思想の観念肥大化で現実認識不能に陥ってる。中村とうようは<不穏な動き>と書いて、今にも自衛隊の青年将校が一部、‘決起’するかのような警戒心を露わにしているが、妄想だ。敢えて追論しないが。

日本に欠如しているのは、具体的な物量的数字で示される‘軍備’以前の‘防衛の気概’であると考える。国の守りや侵犯に対するメンタリティーとしての防衛不能を改善し‘守りの本能’を精神的に呼び覚ます必要があるのではないか。
その永年の欠如こそが北方四島、竹島の放置に顕れ、今、尖閣、対馬の危機といった由々しき事態をも、もたらしているのだ。

横田さん夫婦の日本政府への期待は被害者全員の問題解決としての金正日との対決、ケンカなのだ。恐らくその意識は当初の我が子の拉致という私的な悲しみから、国家、国民の精神不全を直感する全体意識へと高まっているのだろう。国民総体としての‘気概の無さ’を見抜き、警鐘を鳴らす公的精神にまで至っているであろう事をイメージする。従って、もはや自分の家族という私的根拠を超え、公の足場を意識しながら、今ひとつ反応の鈍い国家に対し、怒りを持つ事を求めているのだ。ケンカし尽くして、奪還できなければ、ある程度納得もできるだろう。それをケンカもしないでアメリカに期待したり、指をくわえて手をこまねいている政府に絶望しているのだ。そして拉致問題への関心がイマイチ薄い国民にも同様の失望感を持っている事だろう。

そして、‘音楽村’では拉致事件に対する関心は高いとは思えない。最大の関心はイラク戦争であり、アメリカの暴虐だ。私がイメージするに音楽業界の人種は文献や映像で追体験するベトナム反戦‘フェス’への憧憬があり、今、自分達で‘イラクフェス’をつくる。まるでビッグイベントだ。奴等はアルカイダに反戦メッセージを発する事はない。その偏り具合は、べ平連、小田実の北朝鮮礼賛以来の伝統のようだ。
拉致問題にはノーコメント。歌う奴など勿論、いない。横田めぐみさんの歌を作ったのは元ピーターポール&マリーのポール・ストゥーキー氏なんていう、引退したような、しかも外国人だった。ありがとう。って言ってる場合か。日本人よ。

おっと、<とうようズ トーク>の事に触れたおかげで、話が絶えなく続いてしまった。
「MUSIC MAGAZINE」の年間ベストアルバム企画の事だ。R&B/ソウル/ブルース部門で三人の評者が08年がいかに不作の年であったかを嘆いている。‘選考会も盛り下がりました’と。‘3位以下は順不同’ともはや投げやりです。1位キーススウェットか。ちょっと定番すぎる。2位ラヒームデヴォーン。これはよく聴いた。アルグリーンは6位ね。4位のアルジェブラに9位ライフジェニングス。うーむ、聴いてないな。評者の一人が‘たまたま08年が不作だったというより、アメリカ社会の弱さの反映’と書く。その本意は解らぬが、唯一の超大国としての地位を降りつつあるアメリカの総体的なパワーダウンは音楽界にも連鎖しているのか。しかし、待てよ、リオンウェア『moon ride』が入ってないやん。これ、必聴の傑作やで。
なんて言ってたら年の瀬迫った時に、文句なしの1位がでた。キーススウェット、どいて下さい。アンソニーハミルトンの新作。最強です。選考会に間に合ってたら、文句なし1位でしょうね。誰が聴いても。残念でした。曲、歌、エモーション、アレンジ、サウンド、全てが緻密です。最高です。それしか言えません。

2009.1.8



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