満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

FLYING LOTUS    『Los Angeles』

2008-08-22 | 新規投稿

デリックメイやジェフミルズを黒人音楽の新たな一形態とする見方があってもいいと思っていた。それは4と16のリズムバリエーションに収斂する黒人音楽をテクノビートによって拡大した側面をデトロイトテクノが持っていた、その突破性に対する感想だったが、そんな捉え方は当時から今もずっとない。黒人がテクノをプレイする事の違和感は実はなく、クラブミュージックがジャンルを人種に還元する細分化やルーツを強調するような差異のクローズアップよりも、むしろ差異を消去し大同に向かう志向性こそがより、顕著であった為だ。‘黒人が四つ打ちをやるとは’等と言うのは偏見であった。デリックメイ達はテクノの人種的差異の解消とその世界化を果たし、それは一つの共通言語の創造となったのだろう。

WARPの新人アーティスト、FLYING LOTUS。
そのサウンドはWARP特有の近未来的音象で、まるでオウテカの細胞分裂する音の自由な運動に通ずる緻密音響である。屈折した迷宮に入り込むようなその音楽は白人の偏執狂的オタクか理系出身のラップトップマニアによるもののよう。いや、こんな先入感は古すぎる。本名スティーブンエリソン。ジョン&アリスコルトレーンを叔父、叔母に持つアフロアメリカンである。しかし、やはり驚きはある。この<気色悪い音>の作り手が黒人でしかもコルトレーンの甥であろうとは。

リズムはマッドリブ風のアブストラクトヒップホップで音響は深海エレクトロニカ。しかし全編を貫くビートの太さが際立っており、血色の濃い黒々としたうねりがすごい。サウンドの根底にオールドスクールヒップホップの精神を感じさせるリズムの堅固さが特徴的だ。構成される音に既成の物質音や楽器音は皆無で、ジャングル的なリズムの重層的音響もプリミティブというよりどこか別世界的な違和感が先行する。ここでの音楽やジャケットカバーに見られる非=既視感性は何物にも収斂されない質感なのだ。しかしアルバムタイトルは ‘Los Angeles’。この特定都市名のタイトルは、何かしらのシンボル的意味合いか、都市の裏のスケッチ、或いは未来的イメージなのか。
いずれにしてもFLYING LOTUSの探求心は独特の混沌世界を表出し、体験する者の五官を満たすようなサイケデリック感を実現した。その志向は叔母のアリスコルトレーンの世界にも通じると言えなくもない。

2008.8.22












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JAZZ WARRIORS 『AFROPEANS』

2008-08-19 | 新規投稿

<ポストコルトレーン>という言葉でそのポジションについてよく議論があったのは80年代までだったという気がする。90年代以降、そんな言い方さえ、されなくなったのはある意味当然と言えるかも知れない。コルトレーンを継承するサックス奏者など生まれようもないのだし、世界はその存在の巨大さをコルトレーンの死後、数多のサックス奏者を見る事でますます実感する事になったのだから。
コルトレーンの死後、しばらくの間、ポストコルトレーンと目されたアーチーシェップやファラオサンダース、70年代後半はデビッドマレイがそれを期待され、80年代は新伝承派に対抗するニューアバンギャルドとしてのM-BASS派も台頭した。更にメインストリームでのデイブリーブマンによる‘探求’やテクニカルな‘接近’としてのマイケルブレッカー、あるいは<北欧のコルトレーン>ヤンガルバレクやヨシコセファーなどヨーロッパ圏のコルトレーンフリーク達の‘精神性’等が、<ポストコルトレーン>という評価軸を形成した。しかし、多くの人がそれらの音楽的限界とコルトレーンと比較する事の空しさの方こそを実感していただろう。コルトレーンに近い音楽すら存在しないという現実を思い知る事だけが、サックスをめぐるジャズの現実だった。

コートニーパインの『modern day jazz stories』(96)の衝撃は何であったか。
ジャマイカ移民のイギリス人。クラブ系ジャズ。私の注意、期待値はコートニーパインではなく、むしろ客演者であるジェリアレン、チャーネットモフェット、カサンドラウィルソンという当時、台頭したアメリカの先鋭ミュージシャンらのプレイであった事を告白する。しかしこのアルバムは私の先入観を打ち砕いた。しかも、全く期待していなかった<ポストコルトレーン>をここに発見した事が驚きであった。他のいかなるサックスプレイヤーからも感じ取る事ができなかった程の濃厚なコルトレーン色を事もあろうにこの英国のサックス奏者は醸し出していたのだ。当時、(我慢して)聴いていたM-BASS派やロフト系、ヨーロッパフリー等が色褪せていき、私は関心の対象をコートニーパインにシフトした。
しかし、その後のコートニーは方法論を二転三転させる多様な活動へと至る。クラブ系、自身の出身ルーツであるレゲエ、そしてアメリカジャズのメインストリームへの参入を試みた正統派ジャズへの回帰。更なるワールドミュージックへの反転。しかしその多彩な音楽性が、いずれも『modern day jazz stories』の重みには至っていないのは事実だろう。思うに『modern day jazz stories』の奇跡的な音楽性はコルトレーン的テーマ(歌)とアドリブの相互の応酬という要素にあり、それが欠落した他のジャズとの距離を大いに見せつけるものだった。そしてその要素の継続的培養が意外に困難である事を図らずもコートニー自身の以後の活動によって自らが証明してきた事も皮肉な事実だと言えようか。

コルトレーン的テーマ(歌)はサックスのみならず、ジャズ全体に見られる大きな欠落である。その意味で<コルトレーン以後>という言葉を使ってその死をジャズの大きな分節点とした嘗ての批評は正しかった。それはサックスという限定された器楽パートにおける技術革新の問題点ではなく、表現の根幹、ソウルに関わる大きな問題だったのだから。
ではなぜ、コートニーパインが96年というクラブミュージック世代の英国で創造した『modern day jazz stories』がコルトレーン的なテーマ=歌を持ち得たのか。私はそれをかろうじて起こりえた奇跡であったとしか思えないのである。

『modern day jazz stories』以前のコートニーパインもコルトレーンの影響下にあった。しかしその<オーソドックス時代>におけるコートニーの端正な演奏が、モードジャズを前進させる試みよりも、むしろ過去の遺産の継承と保守というニュアンスに覆われているのを感じる時、同時に数多のアメリカジャズの保守性(コルトレーンの影響を受けたと自称する多くのプレイヤー)と同じ均質性の域を出ないものとも感じられる。それはよくある‘熱き’ジャズを超えてはいなかった。『modern day jazz stories』に於いてそのコルトレーン性が顕在化したのは、コートニーのめくるめくアドリブや<歌>であり、同時に楽曲のフォーマットの斬新性であったか。ジャズ編成にターンテーブルのスパイスが程よくミックスされるそのスタイリッシュ感覚が決して演奏の原初性、熱さを損ねる事なく、逆にグルーブの倍増に貢献していた。この作品の素晴らしさはいま聴いても決して色褪せることはない。

JAZZ WARRIORSはコートニーパインが組織したビッグバンド。新作『AFROPEANS』は奴隷売買廃止法成立200周年の記念イベントでのライブ録音である。音楽コンセプトにもアフリカがあり、その現実に密着するテーマを扱うメッセージ色も濃厚にある。そして音楽性は完璧さを誇り、各々のソロも際立つ素晴らしさを発揮している。スティールパンを多用した海洋色とパーカッション群によるアフリカ内奥の呪術性をイメージさせる音象が連続的に現される。極めてスケールの大きい表現だ。コートニーは作曲と音楽監督に重きを置き、そのサックスによるコルトレーン的なアドリブが影を潜めているのはいつもの事。いや、それを期待する事の間違いを私は悟る。あれは一時の瞬間に生じたマジックだった。そしてこのJAZZ WARRIORSで露見される<アフリカ>にコルトレーンの晩年期に於けるアフリカ志向を重ね合わせる無理も確認する。もはや両者は関係ない。むしろコートニーパインは彼だけにしかできないオリジナルを創造している。

2008.8.19
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CASSANDRA WILSON 『LOVERLY』

2008-08-10 | 新規投稿

新譜が出たら必ず買うフェイバリットアーティストでも、時にはCDを買う事に躊躇する事もある。このアルバムジャケットは一体、どうしちゃったんですか、カサンドラさん。という感じ。まるで安物のゴージャス路線のような写真。しかもスタンダード集とくればレコード会社先導の安易な企画か。嫌な予感が漂います。まさか、カサンドラウィルソンでそれはないやろと念じつつ。

カサンドラウィルソンの先鋭的でクールハイセンスな音楽は一つの美学として、ジャケットカバーに至るまで徹底されていた。その全てが完璧でカッコいいのが彼女の凄さだった。スティーブコールマン&ファイブエレメンツのメンバーとして来日したのは確か1988年(89年?)だったか。M-BASS派の急先鋒として登場したカサンドラの歌もステージングも印象深く覚えている。セクシーだった。その後、瞬く間にジャズボーカルの最高峰にまで登り詰めた彼女であったが、特筆すべきはその実験精神の数々であり、それはジャズボーカルの可能性を広げ、前衛でありながら王道という嘗てのジャズジャイアンツ達を彷彿とさせるものだっただろう。私がジャズボーカルというジャンルを、その狭小さに関わらず(ソウルやブルースと比べれば明らかだ。ヒップホップという大樹は言うに及ばず)注視してきたのはカサンドラウィルソンを20年前、渋谷クアトロで観た事が発端になっている。

ジャズボーカルほど、現在の物より過去の物を聴くことが有益であると感じざるを得ないジャンルは他にはないという感想を私は持っている。ロックもソウルも今より過去がいい。これは常識。しかしジャズボーカルほどひどくはない。全くこのジャンルときたらスタンダードナンバーのみをムーディにお洒落に歌うというその保守的イメージに晒され、レコード会社のアイデアの無さや新たなスタンダード曲が新規に生まれないその過去束縛性に囚われの身であると言ってもいい。その意味でそれらのハンディキャップを乗り越えながら革新性を示すカサンドラウィルソンこそが、希望の道標であった。

新たなスタンダードが生まれない事がいわゆるメインストリームジャズに於いてボーカルに限らずスタンダードをめぐる表現方法の困窮の前提になっている。ならばその解釈を現在性にシフトするしかないのだが、その現在性をめぐる方法論が自閉しているのだから末期的だ。ハービーハンコックにニルヴァーナを弾かせる事が果たして‘ニュースタンダード’なのか。何の意味もない事を奇をてらったつもりで制作者側が意図しても企画倒れなだけで、ますますジャズファンが減る傾向に拍車をかけるだけだろう。

カサンドラウィルソンの新作『LOVERLY』はスタンダード集。
しかし、アルバムジャケットからイメージされた悪い予感ははずれで安心。ここにあるのは超クールなカサンドラ節。ボサノバ、アコースティック系から、ハイアップなグルーブで迫るナンバーといずれも装飾を剥ぎ取ったスタンダードの魂を歌いきっている。エルモアジェイムスの「dust my broom」という意外で嬉しい選曲もいい。発声がいつになくナチュラルで抑揚が効き、自然な風のような味わいを満喫できる。
その内容はモノクロームなカバーデザインがマッチするような研ぎ澄まされた音楽。よってグラマスクゴージャスなカバーフォトだけがハズレという作品でした。

2008.8.10

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   DAEDELUS 『LOVE TO MAKE MUSIC TO』

2008-08-06 | 新規投稿

ロックやポップミュージックに対してハードエッジなスタイル革新を求めてしまう傾向はデイダラスの新作でライナーを書いている小野島大氏だけに留まらず、ニューウェーブ世代に共通する性のようなものか。私がプレフューズ73の新譜を毎回、買っているのも、そんな‘革新’を期待している事と無関係ではない。しかし買ったその新譜を毎回、売っているのはどういう事か。他にもトータスやバトルスといったポストロック勢への大いなる関心と、聴いた後にいつも感じる醒めた感慨とのギャップを私は自分で上手く、言い表すことができない。何回も繰り返し聴くまで至らない、その一時体験的な感覚はもしかしたら音楽ではなく、自分の聴き方の変化にこそ要因がある気もするのだが。

ロックのフォーマットが喪失した‘ロック的’革新が、多くのエレクトロニカに残存する事が、私のプレフューズ73等へのチェックにつながっているのだが、そのラディカリズムに全面的に感覚移入できないのは、年のせいや、感性の鈍化ではなく、ラディカリズムに対する飽食のせいかもしれない。デイダラスを初めて聴いたのは前作『denies the day’s demise』(05)だが、プレフューズに類似するエッジの効いたロック的音響の中に印象的なメロディが散りばめられている独自性に注目した。

デイダラスの音楽には独特のハッピー感覚がある。そんな‘多幸感’が爆発しているのが新作『LOVE TO MAKE MUSIC TO』だ。90年代初頭のイギリスでのレイブに影響を受けたというデイダラスは、その音楽様式以上に、レイブのナチュラルヴァイブレーションこそに感化されているのだと思うが、最も認められるべきは、そのソングライティングの才能だろう。このアメリカ西海岸のヒップホップ/サンプリングアーティストは、DJカルチャー以前の時期なら間違いなく作曲に対する才能を発揮したはずで、サンプリングを要しない楽曲本位の力を提示できることをイメージさせる音楽を創造している。一つ一つの曲を熟考し、練り込み、作り上げる、その職人気質からは音楽への愛情が感じられるし、楽曲の開放的な響きは他者との連帯願望を想起させるものだ。

『LOVE TO MAKE MUSIC TO』の各曲は、それぞれがコンパクトに編集されたものだが、その短さが惜しいほどのアイデアに満ちており、一つのモチーフからもっと長大な展開に発展させてもいいと感じさせる。そして全編に貫かれたハッピー感覚に私は、あの幸福教の教祖、キャプテンセンシブルと同類の世界を思い出した。

2008.8.6






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VAN DER GRAAF GENERATOR 『Trisector』

2008-08-05 | 新規投稿

音楽に浸ることで鬱屈した精神に陥ったのか、或いは鬱屈した精神が音楽に浸る事で助長されていたのか。それは今となってはもう解らない。しかし、あの頃、音楽とは‘可能性’そのものだった。例え、その‘可能性’が青春期特有の‘勘違い’の上に成り立つルサンチマンによる妄想であったとしても、音楽の持つ未知の力、魔力は全方位に私を呪縛した。仄暗い生活は音楽によって慰められ、または音楽によって私は仄暗い生活に潜航していた。
外界との対峙という歪んだ図式があり、音楽を聴く事は、‘こちら側’に引き寄せる味方の獲得という儀式であったと思う。私には敵がいた。見えない敵が。従って音楽をめぐる自己愛が進行し、どうしようもない自家中毒に陥っていただろう。しかし、その時期を私は今、貴重な感覚として、自己対象化している。あの青臭い時期に聴いた音楽は素晴らしかった。いや、音楽の聴き方が尊いものだった。音楽とは‘向かい合うもの’という基本スタンスを今尚、持ち続けているのは、当時の習わしに私が従っている継続の証明だろうか。

悪い事に、と言おうか、そんな私の抽象感覚を言葉で補完し、示唆してくれる批評家が嘗て、何人かいた。彼等こそが音楽をめぐる‘可能性’の説教者であった。阿木譲、間章、北村昌士等は果たして音楽評論家だったのだろうか。彼等のある意味、偏った考えは、音楽を契機とする生き方そのものを読者へサジェスチョンし、その言論は彼等自身に向けての矛盾との格闘の記録であったと思う。その姿は真剣であり、従って音楽に対する容赦ない批評となって顕れる。自己の肥大化した観念を音楽に強引に当てはめ、そこに峻別される思想を創造していた。極めて独自的なイデオロギーに満ちた思想を。彼等は音楽の快楽に深化を設定し、その中心へと感覚と魂が向かっていたと思う。従って好みや考え方に厳格性が生まれ、厳格であるが故に度々、音楽に裏切られ、しかし尚も音楽を求めていた。

北村昌士が最大に評価していたのが、ヴァンダーグラーフジェネレーターだ。何せ彼の雑誌名「Fool’s Mate」はヴァンダーグラーフジェネレーターのリーダー、ピーターハミルのソロアルバムのタイトルからとられていた。高一の時、手にしたこの本の衝撃は大きかった。「ジャーマンロック史学」と銘打たれた特集記事もさることながら、その本の内容全体に貫かれたロックを愛する濃さや情熱が迸る誌面そのものに感動していたのだと思う。ユーロロック等、私にとっての未知なアーティストの情報を知り得たという嬉しさ以上に、音楽への熱き想いが伝わってくる誌面全体に対する共感だった。北村昌士は特にヴァンダーグラーフジェネレーターを熱く語っていた。彼の著作「キングクリムゾン 至高の音宇宙を求めて」の中でもヴァンダーグラーフのアルバム評になると、クリムゾンを脇へ置いて、それを凌ぐ価値を記していた事を面白く記憶している。

ヴァンダーグラーフジェネレーターが他のプログレッシブロックと一線を画していたのは、その脱構築的な‘熱さ’故だったであろうか。それは殆どソウルミュージックだった。プログレ特有の様式美を持ってはいたが、それすら解体を前提にしたもので、演奏の危うさが、その緊張感を一層、際立たせていただろう。しかもボーカリスト、ピーターハミルの感情爆発的な発声たるや、あからさまな静と動の振幅の大きさを現し、その劇的なスタイルでバンドカラーを象徴した。

ヴァンダーグラーフジェネレーターの音楽には感動を喚ぶサムシングがある。勿論、楽曲が良い。しかし楽曲以上に感動の基底になっているのが、その演奏性である。決してテクニシャンの集まりではない。しかし、ハミル(vo g)、ヒューバントン(key b)、ガイエバンス(ds)、デビッドジャクソン(sax)の四人は合奏やアレンジの完璧さより優先するものがあったように思える。曲に向かう激情と言うか、独特な入魂の演奏スタイルがあり、その気迫めいたものこそがヴァンダーグラーフジェネレーターの感動の秘訣だった。
「refugees」や「pilgrims」を聴き、手に汗を握った昂揚感を今の音楽に見出すことはなかなか難しい。しかもそれらの曲には今尚、エネルギーに満ちており、決して色褪せることがない。昨今の音楽の‘あっさりした’感じをもう私は掌中に収め、その快楽を日常としている。しかし嘗てヴァンダーグラーフジェネレーターが持ち得た凝縮されたような音楽の味わい深さは何物にも代え難い。旋律に涙し、感動に打ち震える。そんな種類の音楽だった。確かに。

『Ttisector』はグループの復活第2作目。デビッドジャクソン(sax)が抜けており、その経緯を私は知らないが、アルバムの完成度は増している。1曲目「the Hurlyburly」の意外なインスト曲で幕を開け、全編に力がこもる嘗てのヴァンダーグラーフ節に完全に回帰しており、充実した楽曲が並ぶ。大変、聴き応えのあるアルバムだ。発声レベルや演奏の力感が現状維持され、そこに変わらぬ表現の根拠や意志があれば、これほどの力作が還暦も過ぎて尚、創作できるという事か。私はソロで来日したピーターハミルを二度、観ているが、そのソウルシンガーぶりの凄さを目の当たりにすると、表現、永遠なり。と実感するだろう。

音楽的な注目点と言えば、ハミルの数多のソロアルバムには見られない、声に拮抗する楽器パートを再認識する。そう、ヒューバントンだ。ハミルの声がバントンのキーボードに混じる事で生まれるマジックがヴァンダーグラーフジェネレーターの核心にあった。バントンの音の細部に生命を宿すような演奏は詩人ハミルに拮抗し、相乗効果を生んだ。そのマジックがここに再生した。
70年代後半のギターに対する傾倒を長年、修復してきたハミルが今回のバランスは意外にもキーボードの大きな比重となって顕れた。しかしヒューバントンの力量はそれを自然なものとし、
しかも、2008年という今、このキーボードロックという古きフォーマットの意外な斬新さを感じさせてくれる。この演奏は誰にでもやれるものではない。

北村昌士が二年前に49才で亡くなっていた事を私は去年知った.
彼が抜けた「Fool’s Mate」はバカみたいな雑誌に成りはてたが、北村昌士本人も評論家を辞めてイボイボというつまらないバンドで活躍した。私は全く関心外だったが、その‘闘い’のスタンスだけは注視していた。彼はいつだって‘可能性’に対する‘闘い’を生きていた。美狂乱やフレッドフリスをめぐる言動やその支持の仕方にも、そんな姿勢が如実に顕れていたと思う。そして既存のアーティスト達の‘不徹底さ’を垣間見た彼は自らが音を発する事を選び、その醜態をも攻撃的な先鋭さとしたのだろう。
ヴァンダーグラーフジェネレーターの復帰作『present』(05)がリリースされて一年ほど後の北村昌士の死。今回の『Trisector』の方が充実した内容だけに、その死が一層、悔やまれる。いや、もしかしたら『Trisector』の音楽的完成度に彼なら、やや醒めた感想を持ったかも知れない。嘗て北村昌士にとってアーティスト達は自分と伴走する一方的な共闘仲間であった。その思いこみがエネルギーとなり、言語表現に結実した。北村昌士の脱構築的アナーキズムは成熟を拒むような性質があったように思う。言語から音楽への表現のシフトも‘逸脱’を常とするスタンスの顕れだろう。(逃走論者、浅田彰との対談もあった)

しかし当のアーティスト達は、自らの人生を生き、自らの要請に従って演奏していた。私はピーターハミルの長きに渡る多作な活動を思うに、彼にとって表現行為とは業のようなもので、その精神はアンビバレンツながらも、彼の安定したライフスタイルが基底にあるとイメージする。それはもはや、悲痛ではなく、いつでも成熟に接近するものだ。しかもそれは音楽を愛する上で否定要素にはならない。聴き手の側からも。
私はヴァンダーグラーフジェネレーターの復帰と成熟を北村昌士なら拒否したであろうと想起するに至った。

2008.8.5
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