満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

    渡辺貞夫   『Sadao Watanabe』

2007-11-13 | 新規投稿
  
カッコいい裏ジャケである。ナベサダと高柳昌行(g)。
この写真に表現された動性、疾走感がここでの音楽を象徴するだろう。
『Sadao Watanabe』は72年のアルバム。二週間のアフリカ滞在にインスパイアされた楽曲は全タイトルがスワヒリ語である。しかし演奏からはアフリカの感覚は希薄。いくつかの小品に牧歌的なアフリカを想起させるものがあるのみ。むしろ秩序的緊張感に満ちた硬質な日本ジャズのハイレベルな演奏が聴けるアルバムである。

ワンコードで疾走する典型的な70年代(前半)ジャズ。この時代特有のファットな音質による録音がグッド。マイクの数が少ない。ドラムもベースもぶっ太い音。これがまずイイ。しかも高柳のノイジーなギターが絡み、エレクトリックなスパイスとなる。個人的には最も好みの形。最高。スタイルに於いてアフリカは最小に留められている。このクールな感性が嬉しい。

アフリカの影響をそのフォーマットの変化にではなく、音が目指す方向のチェンジという次元に反映させた渡辺貞夫。ビバップからモード、フリーへ。ジャズクラブから屋外へ。都市音楽から自然回帰へ。色々と言うこともできるだろう。しかしナベサダの中の科学反応的な変化は一種の悟りだったのではないか。

彼は日本ジャズのパイオニアとしてアメリカジャズという異文化の摂取、翻訳、実践、留学、更新、宣教、指導とそのトップたる責任を帯びた研鑽を自己目的化してきた。秋吉敏子はアメリカへ行ってしまうし、菊池や富樫、高柳は好きなことやって異端を楽しんでいる。彼は時代の要請に応え王道をひいた。みんなが後から通れる道を。メジャーになる必要もあった。そして最強ハードバッパーとなったナベサダはジャズを演奏する職人としての自分が内面と乖離するのを感じ始めたか。或いはジャズ演奏を高度化してゆく過程で、感性の原型が発掘され、楽理的法則による拘束を窮屈と感じ始めたのか。

彼のアフリカ体験は自由度の発見であり、日本、そして自分という足下の確認だったのではないか。自分らしさを音楽的追求と言うよりも、気持ちよさの実践を通じ、表現を自己開放した。「なにをやってもいいのだ」こんな悟りをアフリカで感じたのかもしれない。

裏ジャケはカッコいいが、この音楽の開放感を思えば、やはり表ジャケは満面の笑顔のドアップで正解だったか。ちょっと大きすぎるとは思うが。
ビバッパーから開放的ジャズへ。アフリカ体験であらゆる変化を肯定し自由な道を走り出した渡辺貞夫が後年、フュージョンへ突き進んでいくのは、もう本能とフィーリングが何よりも勝り、思考停止状態になったのか。違う。この人の尋常でない仕事の幅広さは、最早、自己表現と要請されたお仕事の区分けを無効にする異次元レベルの活動。それは一言で言えば、<音の生活>だろう。音の中に住んでいる本物の音楽家。彼にとって演奏の分別は私達、凡人に推し測れるものでないのは確か。

2007.11.13


 

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