満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

パンクという拠点 ストラングラーズ(前半)

2020-05-06 | 新規投稿

デイヴ・グリーンフィールド(ストラングラーズ)逝去。71歳。確かジャン・ジャック・バーネルがキーボード奏者をメンバー募集した際、「他のヤツはリックウェイクマンみたいにダラダラ弾いてたが、デイブだけが違った。サイケデリックだった」と語るインタビュー記事を読んだことがある。私にとってはパンクはセックス・ピストルズ、クラッシュではなく、ストラングラーズ、ダムドであり、その想い入れを拙書「満月に聴く音楽」に書いた。その文章をここにアップしました。日付を見たら<96年10月>とあり、その月日の流れの速さに驚きますが。

尚、全体の文字数が規定を超えているので(前半)(後半)と分けております。

 

パンクという拠点 

ストラングラーズ 

「something better change」

 

1979年来日したストラングラーズは京大西部講堂でのライブで「something better change」を5回演奏しただけでステージを降りた。それを「音楽専科」で読んだ私は当時、17才。ライブに行けなかった事を悔やんだ記憶がある。外タレによるこんなコンサートは前代未聞で以後もこのような例はない。何かに怒っていたようだ。それはエンターティメントではなく‘change’する事への意志と覚醒を聴衆に促す場としてのライブであった。多くの来日アーティストが観光気分も手伝って、普段より幾分ショーアップに心掛ける我が国で(露骨に手を抜く例も多々あり)このようなライブをするストラングラーズとは如何なるバンドなのか。しかしこのストラングラーズの行為こそパンクそのものである事に異論は無いはずである。

 

結論から言えばパンクとは音楽の一ジャンルを指す言葉ではなく、ストラングラーズのこの行為に象徴される一つの態度、在り方を問う精神の事であった。従って私が以前、立ち読みした‘ロックの歴史’なる本でパンクを‘70年代’という括りでグラムや、ハードロック、プログレ等と並列に論じていた文章に違和感を覚えたのもパンクを規定する‘音以外のもの’を無視している為であったと記憶する。

まずパンクは70年代の音楽ではない。それは言うなれば70年代後期に発生し、80年代以降の状況を用意した音楽である。そしてパンク以前とパンク以降の音楽界はまるで違う風景を持っていた事は当事者ならば、誰しもが実感する事であろう。しかもそれは音楽以外の社会的、文化的なものへの浸透力が大きかった点で他の音楽ジャンルとは別物であった。グラムなんかとは比較の仕様がないのが事実なのだ。

 

パンクを教科書的に定義すると次のようになるだろう。

ビジネスとして巨大化したロックをもう一度、ストリート文化に根ざしたものに変えようとする意志、そしてミュージシャンという特殊技能者だけのロックを誰もが表現できるものに変えようとする意志、活動の場所や作品の発表を企業が支配するロックビジネスに頼らず、固有の独立流通経路を通じ、表現の場を自分たちで確保していこうとする意志に基づいた音楽表現であると。勿論、その社会性、メッセージ性は際立つ要素である。

 

パンクはニューヨークパンクが先行し、風俗的レベルで話題の多いロンドンパンクがムーブメントを牽引したが当時はスキャンダルなニュースが嵐のように吹き荒れた。セックスピストルズがライブで電源を切られたとか、右翼に襲われた、ストラングラーズがインタビュアーを殴った、シドビシャスが恋人を殺した、パンクスとスキンヘッズの乱闘、放送禁止、不買運動...私は当時、「音楽専科」でそんな記事ばかり読んで喜んでいた記憶がある。そんな台風のような熱狂の中、セックスピストルズが解散。new waveと呼ばれ、以前のold waveを商業主義便乗によるみっともない長寿、延命策に走る醜態として攻撃したパンクの顔、セックスピストルズはその通り‘延命と完成、成熟の拒否’を実践してみせたのである。

しかし私はこの稿でストラングラーズ(STRANGLERS)、ダムド(DAMNED)というパンクの中で最も長く‘延命’するバンドの事を書きたいと思う。この二つのグループは長い活動に於いてパンクスピリットの昇華を音楽的完成度に於いて具現化してみせたグループとして、その存在は貴重である。

 

『Ⅳ』 『ノーモアヒーローズ』

 

1977年に発表されたストラングラーズのデビューアルバムには『Ⅳ』と記されてある。フォースアルバムであると誤解しそうなこの『Ⅳ』の理由はこのグループがこの時点で既に4年のキャリアを持っている事に因るものだ。

ストラングラーズは活動歴が古く、そしてパンクとしては高年齢なメンバーで構成されていた事もグループの音楽性と無縁ではない。デビューアルバム1曲目「sometime」のイントロを聴くだけで私達はドアーズを想起するだろうし、サイケデリックの復活をイメージするだろう。ストラングラーズはパンクとしては珍しくキーボードを全面にフューチャーしていた。ベーシスト、ジャンジャックバーネル(以下J.Jバーネル)はキーボードプレイヤーをオーディションした際、「他のプレイヤーはみんなリックウェイクマン(イエス)みたいなダラダラした演奏をしたが、デイブだけがサイケデリックでカッコ良かった」と語っている。

デイブグリーンフィールドのキーボードはグループのカラーを決定付ける要素であった。演奏スタイルはドアーズのレイマンザレクと似ているがメロディーでリズムバッキングしながらのベースに密着した歯切れの良いパルス音はジャーマンロックからくるテクノ感覚にも共通する。従って機械的トーンと意識錯乱的なアメリカンサイケのトリップ感覚を併せ持つようなスタイルだ。同時代にはXTCのバリーアンドリュースやトーキングヘッズのジェリーハリソン、或いはウルトラボックスなど、ユニークなキーボーディストが居たが、デイブグリーンフィールドの場合、それらよりもどろっとした粘着性とアグレッシブ性を感じさせ、しかもスピード感覚は飛び抜けていた。聴いてすぐグリーンフィールドだと解るほどの個性を最初から持っていた。

 

そんなストラングラーズの音楽性にはold waveな要素が最初からあった。このデビューアルバムにあるじわじわと感覚伝播するトリップ感は嘗てのドアーズ=ジムモリスンが持つ狂気や超意識を彷彿とさせる。そして‘ストラングラーズ(STRANGLERS)’とは‘絞首刑執行人’の意味であり、彼等はそんなグループ名に相応しい攻撃的な歌を歌った。サウンドがややサイケでもその歌の内容においてはストレートな告発という要素が強く‘怒り’を持つ表現者として登場し、認知されたのである。その意味でストラングラーズは正真正銘のパンクだったのだ。グループの4人、即ちヒューコーンウェル(vo,g)、ジャンジャックバーネル(b,vo)、デイブグリーンフィールド(key)、ジェットブラック(ds)は皆、一様に強面であり、カメラに向かって笑いかけているようなポーズ、写真は皆無であった。私は雑誌でストラングラーズの写真を見る度に怖いという印象を受けたものだ。特にジェットブラックの顔が危なかった。しかもいつも黒い服をきていた。全員が。

 

ストラングラーズが知れ渡るのはデビューより1年前に行われたパティスミスのイギリス公演の前座を務めた時である。パティスミス、テレビジョン、リチャードヘルなどのニューヨークパンクはロンドンパンクに比べ、歌う内容の詩的レベルや超越意識の点で格段にアーティスティックであり、労働者階級の音楽と形容されたロンドンパンクとは異なる世界を持っていた。ボブディラン、ルーリードの直系であるニューヨークパンクは初期衝動だけのエネルギーによる音楽ではなく、高レベルな幻視を行う詩人のカラーがあった。そしてロンドンパンクに見られる世代間の断絶も無かったのである。それは良くも悪くも芸術的であったと言えようか。

 

ストラングラーズはロンドンパンクにあるリアルな社会性、ストリートに密着するスタイルに加え、ニューヨークパンクに在る狂気、超現実志向を併せ持つグループである。当時、パティスミスに退屈を感じたイギリスのストラングラーズファンはそのストラングラーズがその後、曲の多様化と共にパティスミス以上の内省性と精神世界へ向かっていく事を一人として予測できなかったはずだ。当時のストラングラーズはサイケデリックかつスピード感が一貫していた。それは時代の速度と一致して在ったし、当時のパンク支持者の渇きを癒す衝動とその波形を同一にしていた。

 

デビューから半年後のセカンドアルバム『ノーモアヒーローズ』(no more heroes)はファーストにあったold wave臭を一掃するようなスピード感覚を持って登場した。‘ヒーローは要らない’という反スター、反英雄主義を宣言したニューウェイブの道標を示す歴史的名盤である。ポップスターのサクセスストーリーやアメリカンドリームに象徴される上昇志向、その幻想、その無意味性を葬り去り、価値観を転換させるものだ。それは次世代の重要課題、‘インデペンデントの拠点作り’への引導でもあっただろう。

この時、時代は変わった。ニューウェイブによって、ストラングラーズによって、『ノーモアヒーローズ』によって新たな人間のマインドの誕生を示すマニフェストが現れたのである。本当に。

 

A面1曲目「I feel like a wog」を聴くだけで私達は電気ショック的衝撃に立ち会えるだろう。J.Jバーネルのソリッドなベースとジェットブラックのヘビィタイトなドラム、グリーンフィールドの挑発的に煽るキーボードにヒューコーンウェルのシャウト。ストラングラーズの典型がこの曲で完成する。それは倍速化したドアーズであり、圧縮されたジミヘンドリックスのようだ。

ストラングラーズは『no more heroes』に於いてジミヘンに在る電磁波のうねりのようなエレクトロニクスの快楽をハイスピードなリズムの中で細分化してみせた。J.Jバーネルのベースプレイは以前のロックから遮断されたところにある唯一無比なサウンドであり、ピックのアップダウンによるソリッドでしかも早いリフを連続演奏する。そのボリュームも大きく、常に曲のフロントに立つ。とにかく目立つベースであった。

 

J.Jバーネルのベースはデイブグリーンフィールドのキーボードと同じ性質のパルス持つ‘新しい音’として認識される。それは電磁波のうねりが一つの信号のように響くという音感に於いて今までにないロックの‘新しい音’と感じさせるものであった。曲にロックンロール色、或いはR&B色が希薄な事もそう感じさせる一因だろう。ストラングラーズのビートの形とスピードは明らかにロックンロールの陶酔感そのものだ。しかし、ルーツをアフロアメリカンに求めるロックからの影響より、むしろポップスからの影響も否定できない要素であろう。

私は『ノーモアヒーローズ』に収められた各曲に未来的な輝きがあった事を当時感じ、今、改めてそう思う。それらは一様にポップフィーリングに溢れ、攻撃的ではあるが、どこかキラキラしたダイヤのようなポップスであった。

「bitching」、「something better change」、「bring on the nubiles」、「dead ringer」、「dagenham dave」などのアジテーションはいわば‘時代のポップス’と呼ぶべき歌なのだ。いずれの曲もヒューコーンウェルのシャウトの男臭さ、過激さが迸るが、それぞれの歌のメロディーの何と味わい深い事か。全くこのグループは何度でも聴きたくなるような曲作りをしている。

 

ストラングラーズは低姿勢からアジテートするが、常にポジティブな思想に貫かれている。だから決して暗く沈み込む音楽にはならない。むしろ前向きさを喚起する明るさがある。それは悲観論やニヒリズムの排除の意識に因るものだろう。

ストラングラーズは眼前に在るテーマ、内から湧き出る問題意識を凄まじいスピードで表現する。グループの社会派としての性格故、様々なトラブルに巻き込まれるが、活動は誰にも止められないスピードで突き進む。年間270本のステージ、右翼からの襲撃、テレビ出演の際の乱闘、リブ団体からの抗議、ボイコット運動、警察とのトラブル、マスコミからの総スカン的包囲網。ストラングラーズは自らが関知する全ての問題に対し全面的に挑み、妥協をしない。

正にストラングラーズは全てに於いて確信的であろうとした。

『ノーモアヒーローズ』はロック、そして人間の新しいマインドの幕開けであったし、それを宣言したストラングラーズは個のスタンスと連帯、強いネットワーク作りへと向かっていく。

その気になれば可能な大会場での演奏を拒否し、過酷なクラブツアーを敢行する姿勢は聴衆との連帯を強調するグループの基本姿勢である。そんなストラングラーズのライブがショービジネスとは無縁にあるのは言うまでもない。時に観客に対し椅子を壊し、警備員を排除するよう訴える事も辞さない。ストラングラーズは時代の閉塞感、不可能性に対し常にアグレッシブに行動した。

 

私は先ほど、『ノーモアヒーローズ』には未来的な輝きがあると書いた。それは私がこのアルバムを何度も飽きることなく聴き続けて感じる事だ。まずベースとキーボードの独特な絡み方がとてもカラフルだ。シンプルな音色がこれほどまでに色彩豊かに響くロックを他ではなかなか聴けない。そしてストラングラーズ特有のポップ感覚。それはストレートなロックが常にま逃れ得ないR&B色を排除する事で、ヨーロッパを意識する土着性へと向かっているのだ。この点は後期の活動に於いて顕在化する事になる。

カラフルな音の外観にヒューコーンウェルの熱血ボーカルが重なる奇妙な一体感。そしてヘビイネスとスピード。これが当時のストラングラーズだった。

 

70年代後期、ストラングラーズ程‘怒りまくっている’グループはいなかった。ある意味では否定性の固まりのようなものだ。しかしそんなグループがタイトでスピードに満ちたポップスを演奏する時、私達は未来へのポジティブな展望を夢見、自らの行動を開始するだろう。それは‘輝き’に満ちている。ストラングラーズは‘ポップ’を維持する事で常に‘攻撃的’で在り続けるのだ。

 

『ブラックアンドホワイト』

 

ストラングラーズの‘未来的な輝き’が最も具現化した曲「walk on by」はサードアルバム『ブラックアンドホワイト』(black and white)の発売とほほ同時にリリースされた。バートバカラックの名曲を大胆なアレンジで再構築したものだがこの曲は全く信じられないくらい素晴らしい。サビのボーカルとバックコーラスの美しさ。長大なギターとキーボードソロに絡むゴリゴリしたベース。歌とインストの素晴らしい対比、ビートの反復からくるトリップ感。キャッチーな歌メロを硬質なポピュラーとして再生するアレンジ能力。ハードボイルドな歌声とどこか幻想的なインストカラーの妙なマッチ感覚。

この曲はストラングラーズの政治的発言や過激な歌詞など、アグレッシブな面ばかりに注目していた人々に対しショックを与えてしまった。グループの音楽創造の力量を充分に示すものだったのである。

「walk on by」には‘アグレッシブ’‘リラックス’‘幻想的’‘錯乱的’‘優美さ’‘重量感’

などの要素が違和感なく共存している。この曲はストラングラーズという硬派なグループでしか演奏できない種類のポップスだ。ヨーロッパ美意識を全面に打ち出す作風へと移行していく後のストラングラーズの発芽がここにある。メロディアスで夢幻的なビジョンと社会批評眼、それが骨太なビートで歌われる時、新しいヨーロピアンポップスの到来を予感させる。

ヒューコーンウェルのボーカルは全く素晴らしい。労働者階級でスラングだらけの多くのパンクロッカーの中にあってヒューだけはその発音の正しさ故、大学卒であった事が判明したというエピソードもあったが、正にヒューコーンウェルはインテリヤクザのようなキャラクターのフロントマンであった。

 

傑作シングル「walk on by」に続き、サードアルバム『ブラックアンドホワイト』は1978年に発表された。一般にグループの最高傑作と言われるこのアルバムでは前作『ノーモアヒーローズ』の明るさ、軽快さが薄れ全体に重さが貫かれている。そしてスピードは健在だ。只、スピードの質が変わった。『ブラックアンドホワイト』に於いてストラングラーズのスピード感は重量感を併せ持つ事によりミディアムテンポの曲でさえ、より攻撃的になる。音にも間を感じさせるものが増え、J.Jバーネルはソリッドなベースによるあらゆるオブリガードを注ぎ込む。その結果、サウンドは立体的になり、ロックンロールのスピード感とは別の疾走感と上下、前後に音が運動するようなサウンドが成立した。

 

1曲目「tank」の速さと重さは新しいストラングラーズを象徴するだろう。

J.Jバーネルのベースは凄い。ジャズのランニングベースを高速の8ビートに乗せてしまったような強烈なドライブ感。しかもその音は危険な程、ソリッドだ。

彼は恐らくロック界最速のベーシストだろう。その音量に於いてもけた外れに大きく、音の鋭角さに於いても彼以上のベーシストは見あたらない。それは全て彼の思想、人格からくるものなのだ。

ジャンジャックバーネル。皮ジャンとバイクを愛するフランス人。三島由紀夫に傾倒し、極真空手の黒帯という謎の人物。そして只ならぬヨーロッパ主義者にして反米、反権力思想の持ち主。曰く「俺はノルマン人種であり祖先はバイキングだ。バイキング魂は死なない。非常に強いスピリットなんだ。日本にも強いサムライ魂があるね」

J.Jバーネルは思想の血肉化を要求する。思想を机上の空論に終わらせない為、そして現実への反射体として思想そのものを生活の拠点とする為に。彼は現代の病理や不条理と自らが当面する不可能事に対峙する。その為のスピリットは強力だ。自らの抱える問題意識が深まる程、そして多くなる程、彼のベースは攻撃的、鋭角的になる。そして音楽的完成度も高くなる。J.Jバーネルとはそんなタイプのプレイヤーだ。

 

アルバム『ブラックアンドホワイト』ではそんなJ.Jバーネルのベースが縦横無尽に疾走する。それはリズムキープであり、且つリード楽器としてのベースの存在感を示すものだ。

アルバムはスピーディーな「tank」からミディアムテンポのアフタービートによる「nice ‘n sleazy」、ルーズな3拍子による「outside Tokyo」へとそのリズムの変化が顕著に現れる。多様なリズムを獲得したストラングラーズはそのサウンドが立体的になり、あらゆる音楽創造の可能性が芽生えたと言っていいだろう。

 

ストラングラーズによる‘black and white’の概念。私の理解ではそれは確信性の象徴の事である。そしてそれに反する概念は‘中庸’であり‘グレイゾーン’であろう。

アルバム『ブラックアンドホワイト』によってストラングラーズはあらゆるグレイゾーンを排した絶対性への賭けにでた。グループが内包する怒りは自らのブラックアンドホワイトゾーンを通じて表出される。グレイゾーンを断ち切る事で全面的敗北さえ避け得られぬ闘いへと自ら入っていく。

アルバムの解説には「ストラングラーズはいよいよ本各的に噛みつき始めた」と書いてある。その通りだ。ストラングラーズは敵性を認識し、攻撃する。その表現はまず音に顕われる。無駄な音が一切無く、一つのリズム、リフ、フレーズが雄弁さと表情を持ち‘想い’が伝わる音世界をクリエイトしているのだ。音が既に、何らかの訴え、宣言という性格を有してしまっている。そして歌詞に於いてストラングラーズはあらゆる自問、批判、確信を繰り返す。

 

「curfew」

ドイツは全ての国境を防御に失敗した

アメリカの夢で軟弱になっていたのだ

ロシアの大草原からやってきた男達が彼等の空虚を持ってきた

新しいかたちの自由 自由とは束縛

何もする事がなくなった時

俺は多分、愛でも見つけるだろう

 

アメリカナイズという思想的空白状態はコミュニズムの侵入を招くという危機感の事か。

しかしこれは比喩であろう。強調すべきは形を変えながら登場する抑圧システムの存在である。それは無くならないものとして永遠のテーマとして認識される。

 

「threatened」

俺に言える事はただ

あんたの存在がどんな形ででもおびやかされていないかどうかだ

俺のおふくろの一切れをもってきてくれ

俺とまるで一心同体だったんだ

 

ストラングラーズは絶えず脅威を訴え、危機を煽る。この執拗さに我々は違和感を覚えるだろう。私達日本人の平和ボケは世界一であり、アメリカの核の傘での安全保障が実は危機意識の内部崩壊を進行させている要因である事にも気づいていない。本物の危機の到来に対し、我が国は無防備であるだろう。

 

「do you wanna?」

囚人たちを解き放せ

大赦の年だぜ

 

私はシュルレアリスト、アンドレブルトンによる1925年のパンフレット「牢獄を開け、軍隊を解散せよ」を想起する。ストラングラーズは嘗て刑務所の囚人の権利を守る為のチャリティーコンサートを行っている。グループの全方位的な姿勢は自らが関知する問題や見過ごす事ができないテーマについて片っ端から取り上げていく。そして短絡的とも言える素早さで具体的行動にでる。その忙しさはロック界随一だろう。まことに尖ったバンドである。

 

「death and night and blood(yukio)」

俺は俺の肉体を俺の武器にまで鍛え上げるんだ。

俺の意思表明にまで

 

三島由紀夫へのオマージュであるこの曲はグループの代表的作品の一つだろう。

三島の後継者、民族派の故野村秋介氏は‘肉体言語’‘思想戦争’という言葉をよく使用していたが、それは思考の実践、行動への反映についての概念である。

ストラングラーズもまた、思惟を言語化し、音楽化する。しかも実生活へ反映させる事で自分そのものが‘行為する思想体’となる。グループは当時、性急とも受け取れるほどアクティブな存在だったが、この時期、様々な妨害やボイコット、弾圧にも一歩も引かぬ構えをとっていた。ストラングラーズのこの時期のスピードは自らのインディーゾーンの拠点作りを急ぐべく外のシステム(音楽ビジネス以外も含む)を無視する自主性に貫かれていた。グループが現実に於いてどうゆうポジションを目指し、音楽の効果についてどのような明確な意図を持っていたかは解らない。只、当時はストラングラーズのスピードが情況そのものを巻き込みながら、ある種の開放行為をがむしゃらに押し進めていたという事だけは言えるだろう。

 

「in the shadow」

夜に通りを歩いている時 振り返ればおびえ死ぬ

暗闇の中にあるものは何だ

動いている ぴかぴかしている かがやいている

見まわしてごらん

 

「enough time」

空が真っ黒になったら何が起きる?

海が押し寄せてきたらあんたはどうする?

あんたにたっぷり時間はあるのかい?

 

ストラングラーズはまたしても危機感を煽る。私達への問いかけであり、問題提起でもある。アルバム『ブラックアンドホワイト』のblack sideは全体的に重く、暗い。しかしその暗さは決して神秘には向かわない。ストラングラーズは暗黒の一歩手前で踏み止まる。グループのリアリストたるスタンスがそうさせるのである。

 

ストラングラーズは『ブラックアンドホワイト』によって曲の組み立て方、つなぎ方、アレンジ、リズムの多様化などの向上からもはやパンクを超えてしまった。ここには初期パンクのアマチュア臭さは見られない。ここに在るのはパンクスピリットの昇華地点としての音楽的完成度の極みなのである。成熟したパンクの真の反抗的拠点がここに誕生したのだろう。

この音楽はパンクファンのみならず全ての音楽ファンが注目せざるを得ない広域性を持つものである。当時パンクをバカにしていた私の友人(ELPのファンだった)が『ブラックアンドホワイト』を聴いてショックを受けていた事を思い出す。

 

そして注目すべき事はストラングラーズが『ブラックアンドホワイト』によって後のヨーロピアンロックへと変貌していくスタートラインも築いている事だ。このアルバムに在る汎ヨーロッパ性と非ルーツロック性はストラングラーズが一種の真空地帯から音楽をクリエイトしている事を感じさせる。従ってロックのドライブ感覚と重量感に溢れているそのサウンドの核にやはり、ストラングラーズの‘思想の強さ’を濃厚に感じざるを得ないのだ。その‘思想の強さ’という音楽のスタイルとは直接関係ないものがグループの音楽を支配、リードしている事は明白だ。ルーツ性の消去という実感はそこから生まれている。

アルバム『ブラックアンドホワイト』はストラングラーズの思想的結実が生んだ傑作なのである。

 

『Xサーツ』

 

ストラングラーズの疾走は続く。79年2月ライブアルバム『Xサーツ』を発表。初期ストラングラーズの集大成的作品であり、曲目もベストセレクションになっている。

ヒューコーンウェルの「アウ!アウ!アウ!アウ!」という叫びで開幕する『Xサーツ』のハイエナジーの洪水は気持ちいい。バンドとオーディエンスが対峙する真剣勝負の場。その臨場感が緊張を生み、本物のロック=パンクを創造する。それは一つの共同作業であり、祝祭だ。

曲は全て素晴らしいが特に「dead ringer」(偽善者の歌)が凄い。J.Jバーネルの鋼鉄のようなベース、デイブグリーンフィールドのサイケデリックキーボード、ジェットブラックのヘビイタイトなドラムス。曲は間のあるミディアムテンポのリズムにボイスとリフが機関銃のように叩きつけられる。

続く「hanging around」はポップで優しいメロを持ち、ヒューのボーカルも味わい深く聴かせる。しかしゴリゴリのベースが申し分のないヘビイパンクに昇華させているが。そしてヒューが囚人の権利について演説をぶった後、快速ナンバー「I feel like a wog」に突入していく。いやはや何ともすごい。そしてJ.Jバーネルがリードボーカルをとる「5 minutes」は初期ストラングラーズを代表する攻撃的ナンバーでポジティブなメッセージロックの象徴のような名曲だ。

 

ライブアルバム『Xサーツ』は大変な力作である。

そしてストラングラーズの凄さはこのような重量感ある音楽作品をまるで軽音楽のようにイギリスはおろか、ヨーロッパ中でミリオンセラーにしてしまう事だ。ヘビイな歌詞にヘビイな音のストラングラーズが支持されるヨーロッパの土壌もまた、成熟していると感心せざるを得ない。

そして『Xサーツ』発表直後のストラングラーズの来日は正しく急襲であった。

「観客は椅子を叩き壊すべきだった」と語ったJ.Jバーネル。ストラングラーズは極東の地、日本にも‘解放区’を作り上げるべくやってきたのだがその成果は得られなかったようだ。警備員とのいざこざが何度もあり、ヒューコーンウェルは怪我もした。そして最終日、日本のロックコンサートの閉鎖的ムードに苛立ち、憤懣やるせない気持ちで「something better change」を5回演奏したのだ。

 

彼等が次に来日したのは1992年12月である。14年もの歳月が流れていた。この間、ストラングラーズは紆余曲折を繰り返しながら、実りの多い活動を行っている。しかしこの時期の素晴らしいストラングラーズの姿を私達はついに一度も見る事は出来なかった。

14年ぶりに見たその姿はヒューコーンウェルが抜けバンドのパワーも失われた別のグループだったのだから。当時十代だった私はストラングラーズがその後16年以上もバンドを継続するとは考えなかったし、つまらないグループになっても、延命するとは思えなかった。

 

アルバム『ブラックアンドホワイト』と『Xサーツ』は第一期ストラングラーズの成果であった。しかしグループの黄金時代はまだ終わっていない。続く80年代にストラングラーズはその音楽性を大きく変化させ、第2の黄金期に入っていく。

 

 

『euroman cometh』

 

1979年、ストラングラーズのジャンジャックバーネルは『euroman cometh』というソロアルバムを発表した。パリのポンピドゥーセンターの巨大なパイプラインの下方に小さくJ.Jバーネルが立っているアルバムジャケットはカッコいい。コンセプトアルバムである本作は彼の汎ヨーロッパ意識とそこから生じる‘危機意識’がダイレクトに反映したもので、J.Jバーネルの先見性と鋭敏な感性が伺える。

スタイル的にはインダストリアルノイズにロックンロールを合体させたような超アバンギャルドな空間である。一聴したところではキャバレーボルテール、スロッビンググリッスル等、当時イギリスで頭角を現したノイズ系グループと通底する部分もあるがJ.Jバーネルの創り上げた音楽はより攻撃的で暗示的である。それは彼の思考やヨーロッパの未来的ビジョンへの願望等が、ある明確性をもって訴える気迫がそうさせているのだろう。

 

当時、J.Jバーネルはインタビューでしばしばヨーロッパの統合、団結あるいはヨーロッパからの孤立に向うイギリスという事を話していた。思い出していただきたい。1979年当時世界はまだ冷戦下にあり、80年代半ば以降にミッテラン主導に構想されるEC、EUという形のヨーロッパ統合ビジョンが経済強国アメリカ、日本への対抗を想定として考えられる一方、自由や民主という普遍主義発祥の地フランスがもう一度リーダーシップを取るという文化戦略的理由からくるものであっても、それが切迫感を持つのは80年代という‘飽和の時代’まで待たなければならなかった事を。そしてEUに批判的だったサッチャーは退陣し、後の90年、イギリスの孤立を英国民自身が回避した事を。しかし以後、イギリスはユーロよりアメリカとの関係をより深めていく。

 

J.Jバーネルは予見していた。しかしアルバム『euroman cometh』で彼は国家連合としての

ユーロではなく‘ユーロマン’という人の連合とアイデンティティーの確認を暗示したのである。ヨーロッパは通貨統合や関税廃止などの経済同盟を実現しつつあるが、EU成立の準備中に起きたソ連崩壊とドイツ統一、東欧の解体は様々な軋轢と問題を残している。

即ち経済大国としての大ドイツの出現。中欧の復活。少数民族の自立権の乱立による新たなブロック化の動き。ロシアをヨーロッパの一員と見なすか否かについてのイデオロギー的問題。また、EUへの加盟と落ちこぼれという分極が生む新たな支配と被支配の構図。それは南欧にて顕著に現れるだろう。ユーゴスラビアは解体し、内戦に突入している。

 

21世紀へ向うヨーロッパの姿とは欧州市民という差異なき共同体を理念に掲げながら、その内実では各国家リーダー達によるヘゲモニー争いが固定されるであろう最終システムに向けて熾烈に繰り広げられているというのが正当な見方だろう。でなければフランスの核実験再開を正当に説明する事はできない。それは‘共同体’の理念に反するものだ。

 

国家イデオロギーによる共同体とは実は美名であった。

J.Jバーネルの『euroman cometh』にはフランス人の一般意識にあるアメリカへの文化対抗意識というプロトタイプには収まりきらないテーマが存在する。そこには人間の幸福や理想という永続的テーマに対する様々なシステム(文化的、宗教的、イデオロギー的)の選択と再創造の必要性が主張されている。そしてJ.Jバーネルはあらゆる領域に於ける自由連合を提唱するだろう。それはインターナショナルという古語の再定義的出発であり、ヨーロッパエリアを飛び出すものだ。

J.Jバーネルの主張は新たな人類的ビジョンをヨーロッパという歴史的遺物が再び創造すべきとするものである。J.Jバーネルはヨーロッパ右翼ではない。彼はイデアフロンティアとしてのヨーロッパを象徴的に志向し、歴史的再検討と再創造を‘美’の観点で集約する。

『euroman cometh』には明るいトーンはなく、重たく、暗示的なものが一貫してあるが、それは曲中の「do the european」に示される未来の新生ビジョンを喚起し得る肯定的な力と見なすべきであろう。

このアルバムは一般的には不評であったと記憶するが、私の中では傑作であり、愛聴盤であった。当時、梅田のロック喫茶キューピット(なつかしい)で見たプロモーションビデオもカッコ良かったと記憶している。それはJ.Jバーネルらが歌詞をプラカードにして街を練り歩くというものだった。私は何度もリクエストした。まだビデオは普及せず、MTV以前の時代であった。

J.Jバーネルのソロ作品『euroman cometh』は以後のストラングラーズの方向性にも影響を与えたが、その半年後にはアルバム『レイブン(raven)』がリリースされた。

 

『レイブン』 『メニンブラック』

 

ミラージャケットで登場した『レイブン』でストラングラーズは具体的なテーマを多面的に取り上げている。「dead losangels」ではアメリカンライフスタイルの娯楽へのアンチテーゼ。「nuclear device」では反核とその実験の犠牲者であるアボリジアニー(オーストラリア原住民)の問題。「sya sya a go go」では石油成金と圧制の象徴であるイランのシャー(国王)への攻撃がなされる。また、「dutches」ではヨーロッパの貴族階級への批判、「jenetix」では遺伝子操作の問題を告発すると言った具合に自らが関知するテーマを脈絡なく片っ端から取り上げている。その印象は何だか、やたらめったらと言う感じでもある。音楽的にも以前のスタイルからの脱却が図られている。

しかしその試みは成功していないようだ。様々な実験的なサウンド、作曲が試みられているがストラングラーズ特有のヘビイネスがない。アイデアが引き立ってはいない。私はこのアルバムを好きになろうと何回も聴いたが、やはり好きになれなかった。恐らくプロデュースの失敗ではないかと思う。

 

この時期、デビュー時からのプロデューサーMartin Rushentから新しい制作者にチェンジされている。その効果はなかったようだ。曲の多様性、変化は良いのだが全体的にもっと力感を出すべきだった。あの傑作『ブラックアンドホワイト』においてもストラングラーズはバラエティーかつ斬新な曲作りをしている。しかしそういった多様性を一つの大きな流れの中で構築するパワフルさを実現していた。『レイブン』ではそれが成されていない。

『レイブン』の第一印象としてグループの問題意識が未整理なまま乱発されている嫌いもあるが、それより言葉のメッセージとサウンドのバランスが両立していない点がより重要であろう。ストラングラーズの問題意識がこの時期、最高レベルの先鋭さにあった事を考えるとそのサウンドはもっと確信的なものであって良かった筈である。

 

『レイブン』によってストラングラーズは少なからぬファンを失った。そして1980年に発表された『メニンブラック』(mennin black)は残ったファンにもとまどいと衝撃を与えるに充分な問題作であった。このアルバムでグループは更に多くのファンを失ったのではないか。何が出ても驚かない私でもこの『メニンブラック』にはショックを受けた。その音楽は真っ黒で真っ暗であったし、今までのストラングラーズと全く違うスタイルになっていた。スピード感とポップさは消え失せ、重苦しいまでの重量感と閉塞感さえある。当時はPILの『flowers of romance』やTHIS HEAT等,衝撃的なロック作品に出会う頻度が今よりずっと多かったが、長く活動を継続するバンドの新作としてこの『メニンブラック』の内容の違和感は何よりも大きかったと記憶している。

 

しかし私の違和感は『レイブン』に対するような失望感ではなかった。確かに何度も楽しめる作品ではない。しかしこれは失敗作では決してないだろう。

ストラングラーズの狙い、コンセプトは何か。

アルバムタイトルにある‘the gospel according to the meninblack’の意味。ストラングラーズは本作で徹底したキリスト教批判を行ない、新たな福音(ゴスペル)としてのmenin blackを設定する。menin blackとは何か。それは前作『レイブン』にあった一曲「menin black」が示す邪教や悪魔主義の事か。                                                 

「俺達はメニンブラック。まずお前達にハンドルを与える。そして生存競争の殺し合いをさせる。そして生き残った最良の家畜をそのまま食べてやろう」

不気味なサタニズムを想起させるこの曲が前作『レイブン』に収められていた。そして今作「menin black」はトータルアルバムであり、全ての曲がmenin blackの思想に貫かれたコンセプトを持っている。それはしつこい程のキリスト教批判という形になって表れた。

同時期ジョンライドン=PILは「rerigion」という曲で‘逆につづればDOGでしかないクソGOD’と宗教を罵倒する歌を歌ったが、ストラングラーズの場合は少しニュアンスが違うようだ。

 

ストラングラーズは批判の矛先をキリスト教に限定する事でヨーロッパ人の心の内部へと問題提起を促した。それはアイデンティティーの転換と再構築というテーマを孕んでいるだろう。従ってここではキリスト教の教義ではなく、システム、そして権力構造と密着するキリスト教の現世的影響力によって呪縛されるヨーロッパ人の精神的停滞を問題にしているのである。

何とも大仰な事であり、しかも少しアナクロ的に感じるところさえある。

ヨーロッパの言論界ではキリスト教批判はある意味、伝統である。ニーチェを出発点とするその系譜はバタイユの無神学や構造主義の形而上学批判など、常にキリスト教社会に於ける抑圧性のシステムと人の内面への影響のテーマを持っている。

従ってストラングラーズが『メニンブラック』で示した宗教批判は別に目新しくはない。それは哲学、思想の領域ではもはや伝統的テーマであるのだから。しかし留保すべきは人と思想の乖離による知的影響力が益々、希薄になっているという背景である。哲学、思想の前衛が大衆的密着感を持ち得ないという病が進行しており、それはあらゆる空白と既成権威による再洗脳という危険性を孕んでいるのである。その手段としてキリスト教は‘有効’なのだ。恐らくジョンライドンやストラングラーズはその事に敏感なのだろう。ストラングラーズがキリスト教批判のフルアルバムを制作する潜在的理由も大衆的浸透性を持ち得ない形而上学批判や宗教システムへの批判哲学に対する二重の批判という形で説明され得るだろう。

その証拠に80年代以降のイランによるイスラム原理主義の輸出という事態に対応するが如きキリスト教の再拡大は保全と危機回避を宗教アイデンティティーに見出さざるを得ない

人々の深層心理を表しているではないか。そしてシステムとしての宗教、宗教の社会化がもたらす悲劇はバルカン半島から中東、パレスチナとイスラエルに渡る全域で絶え間なく繰り返される戦争という形で露呈される。そういった紛争地帯をモデルとする‘外部’をヨーロッパ自身が‘内面化’する危険性と将来性についてストラングラーズは警告するのである。その為にストラングラーズはmenin blackを設定しなければならなかった。

そこに感じられる要素はヨーロッパの闇の精神史、裏の信仰概念、キリスト異端派などに象徴される一種の‘暗黒’である。

 

アルバム『メニンブラック』のヨーロッパ臭に注目したい。しかもそれはヨーロッパの闇の部分を映し出す暗部の臭いである。アルバムトップ「waltz in black」でいきなり響くチャーチオルガンの荘厳さと人々の声のコラージュの邪悪なムードに私達は違和感を覚えるだろう。「nothing on earth」、「second coming」(再来)等の曲名からインスパイアされるものは信仰への否定性や虚無でもあろう。キリストを揶揄する表現もあるがそれはシニシズムではない。そしてストラングラーズには対抗根拠としての依存をヨーロッパ外部に求める態度が微塵も感じられない事が見事である。ストラングラーズはここで徹底してヨーロッパの精神の深部へ向かおうとする。そしてその毒性をもって宗教の現世利益誘導性などを告発しようとしている。

 

『メニンブラック』はヨーロッパ人に向けられて作られた音楽のようだ。かつてヒューコーンウェルは語った事がある。「音楽は現実を変える事はできない。なぜなら音楽は現実を映す鏡だから。鏡は何も変化させない。ただ、音楽は人々の意識を変える事はできる。」

彼は夢を大量生産させるロックを否定し、本物のリアリストたろうとしている。『メニンブラック』でヒューはシャウトをやめた。彼は語り、つぶやく。そして言葉の真にマジックたる伝播を志向する。デイブグリーンフィールドのキーボードは色彩豊か、かつ重く響くようになった。J.Jバーネルのベースも以前の外向的パワーは影を潜め、重く内に響く音色である。

『メニンブラック』の重さはヨーロッパの内側へ向う旅のようだ。この姿勢はJ.Jバーネルの『euroman cometh』の延長であり、以降のグループのスタンスを決定付けたのではなかろうか。即ちストラングラーズはヨーロッパ人によるヨーロッパ人に向けた音楽の創造に着手しはじめたのであろう。

 

「golden brown」 『ラ・フォーリー』

 

しかしこの時期のストラングラーズは人気面、セールス面、そして話題性に於いてもかつてと比較して大きく後退したのも事実である。J.Jバーネルのソロ『euroman cometh』、ヒューコーンウェルのソロ(『ノスフェラトウ』という素晴らしいアルバムだった)の不評。更に『レイブン』、『メニンブラック』の不評は決定的であり、グループの方向性自体が不可解なものになっていった。ヒューのドラッグ所持による逮捕があったのも確かこの時期だった。私達ファンは一様にとまどっていた。この先ストラングラーズはどうなっていくのかと。

 

希代の名曲、「golden brown」は『メニンブラック』から一年後に登場したニューシングルだった。パンクファンを突き離し、ファンを総入れ替えしてしまう程、またまたその変身ぶりが際立つ曲であった。

グループの久しぶりのヒットになったこの曲は、曲調の上品さが際立ち、スタイルとしてのパンクがここで決定的に過去のものとなった。グリーンフィールドのチェンバロが美しく響き、ジェットブラックは装飾的なドラムに徹する。ワルツのリズムに乗ったシンフォニックな小品。ヒューのギターソロは優美であり、J.Jバーネルはバラードシンガーになった。

ストラングラーズは再び新たな領域へ転生しようとしている。暗黒から夢幻のビジョンへ。私は迷い無く「golden brown」が大好きになった。良い曲だ。ユーロロック、シンフォニック系プログレが一部好きな私にはピタッとくるものがあったのである。

 

ストラングラーズの通算七枚目の新作アルバム『ラ・フォーリー(la folie)』(邦題:「狂人館」)は1981年に発表された。タイトルナンバー「ラ・フォーリー」ではJ.Jバーネルがフランス語で歌い、メロディアスな新境地を見る事ができる。各曲は美しくポップである。しかも重い。歌詞においては政治的メッセージや社会事象への関与が薄れ、代わって人間の深層心理、不条理、或いはコミュニケーションの表層性や欺瞞の提起、そして家族主義や女性蔑視への批判が展開されている。サウンドはカラフルにそして技巧的にもなった。特にリズム面においてそれは顕著に顕れる。ジェットブラックのドラムはベースのJ.Jバーネルの力量の影にやや隠れがちだったが、本作では持ち前のヘビイネスに加え、多次元な立体感が生まれている。従って全ての曲が分厚い土台に乗って展開しているような印象を受ける。

 

私は以前、元リザードのドラマー、ベルから思い出話を聴いたことがある。(リザードはJ.Jバーネルのプロデュースでアルバムをロンドンで制作し、ストラングラーズとも競演している)曰く「ジェットには俺と同い年くらいの息子がいた。彼のドラムは音がとにかく太いんだよね」という事であった。

アルバム『ラ・フォーリー』はジェットブラックの骨太なリズムがボトムを支え、様々なメロディーと曲調が展開する味わい深い作品となり、私は大いに楽しめた。良い曲が多い。ヒューコーンウェルのボーカルはシャウトスタイルを脱皮し、語り調とメロディーを噛みしめる唱法が定着している。それは彼の硬派なイメージをより深める好結果となった。

 

「golden brown」の全ヨーロッパ的なヒットと『ラ・フォーリー』の充実した内容によってストラングラーズの方向性が聴き手にも明らかになり、グループは第二の黄金期に入っていく。この時期、ストラングラーズは明確にアメリカを捨てた。市場に於いても、また音楽性においてもグループはヨーロッパをその中心においたのだろう。この時期のブリティッシュニューウェイブが貪欲にアメリカンブラックミュージックの摂取と表層的なスタイリストとしてのファンクを志向していた事を思い出していただきたい。その多くはとても軽薄であった。私は大嫌いであった。ストラングラーズはデビュー時から常に流行とは一切関係ない自分達の感性で音楽をクリエイトし続けてきたが、この時期の孤立感と唯一性はかつてないほどの精神的タフさを持ち得る契機となったであろう。その通り、ストラングラーズに類似する音楽は他に一つもなかった。グループは自らのルーツであるヨーロッパへ向う旅を一人の追従者なしで始めたのである。

 

ストラングラーズは孤独の中を走る。アルバム『ラ・フォーリー』の裏ジャケットには当時のライブステージの写真が大きくあるが、これが素晴らしい。ドラムの後方から斜め上に向かってホワイトライトが放射され、ジェットブラックは光の中のシルエットと化す。ヒューコーンウェルとJ.Jバーネルはグリーンライトに照らされ、その動性が強調される。そして相変わらずステージ間近に接近する観客が作る人波の激しさ。焦点がぼやけて収められたこのステージ写真からはグループのライブに於ける、変わらぬ祝祭空間が伺える。この写真からはまるで『ラ・フォーリー』の各曲が聞こえてきそうである。このようなステージ光景が日本で遂に見ることができなかったのは残念だ。

 

 


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2 コメント

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京大西部講堂 (Live)
2022-12-10 20:07:52
私、ライブに行きましたが、2nd,3ndアルバムの曲を
15曲ほど演奏してました。
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初めまして (宮本)
2022-12-22 00:13:15
ご指摘ありがとうございます。事実と異なる記述、申し訳ありません。伝説のライブ、行きたかったです。
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