満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Spanish Harlem Orchestra

2007-11-12 | 新規投稿

Spanish Harlem Orchestra 『united we swing』

サルサに関心を持ったS-KEN(田中唯士氏)が70年代半ば、ニューヨークで実感したのは、サルサミュージックを生むラテンコミュニティの強固さであり、閉鎖性だったという話をどこかで読んだ。異物が入り込めないそのコミュニティの絆。他者による音楽的アプローチさえも容易には受けつけないその純血性の維持、正統への固執という揺るぎない信仰があるようだ。芸能の継承とはそんな前提にこそ、成り立つものかもしれない。

「我々の音楽スタイルは、サルサ・ドウーラ(ハードなサルサ)と呼ばれるNYオリジナルのオールドスクール的なサウンドで、我々の先輩達が盛んに演奏していたもの」(オスカーエルナンデス / スパニッシュハーレムオーケストラ・リーダー)

真っ正面な音楽。その純血性は音に顕れる。スパニッシュハーレムオーケストラには全くノイズ的要素がない。異物感がない。これはソウルやファンク、ブルース、ジャズというアフロアメリカンの音楽との相違点のようにも感じる。中音域の異常な突出、横に揺れない一直線なビート、ダンス・ダンス・ダンスな脳天気さ、全くヒネリのない歌詞。CDの内側写真に写る13人のメンバーの満面の笑顔。
何に対しても疑いがない。無批評なのだ。だから音がざらつかない。澱みがない。濁らない。ノイズがない。全くスコーン!と縦に割ったような爽快さだけが、直球で飛んでくる。

ブロンクスのラテンコミュニティで育ったキップハンラハンが、異種配合なハイブリッドなラテンミュージックを創造し得たのは、自らの非=ラテンな血による、批評的感性のなせる業だっただろう。ポストモダンな異物感が入り込む事で彼の<ラテン>は都市音楽としての普遍性を持ち、黄色人種の私でさえ楽しめる音楽の<大衆性>を獲得していると感じる。
対し、オスカーエルナンデスは音の開放性とは裏腹にラテンという内側に向かう純正音楽だ。<ダンスミュージックだから人種を越える。誰もが踊り出す>そのグローバル性は表面的な見方。確かにこの音楽では誰もが踊り出す。白人も、黒人も。イエローも。でもそれは自分と異質な外部を体験的に味わうダンスに他ならない。違和感を楽しむ都市生活者の一時の営みだろう。それは同化ではない。それは音楽の強さの証明でもある。
結局、ハンラハンとエルナンデスは同じラテンコミュニティでの裏の顔と表の顔というサークルを形成し、決して交わることがない。両者にはかなりの距離があるだろう。

私にとってスパニッシュハーレムオーケストラはBGMにすらならなかった。音楽が強すぎる。ファニアレーベルの作品も同様の感想。この強力な音楽は中途半端な感情移入を許容しない。「普遍的なビートがあるんだから自然に体がノッてくるだろう。理屈じゃないよ、イェー!」などと言うなよ。そんな甘いもんちゃうで。これは。
音の確信性はレッドツェッペリン並か。真正面からぶちかまされる。中音域過剰は鋭角さの証し。適度な鑑賞を許さない。第九やヘビメタに頭を振って一心不乱に陶酔している奴を想像してくれ。そんな奴らがシンパシーを感じるのと同次元にあるほどの<排他的フルテンションミュージック>。それがこのスパニッシュハーレムオーケストラ。好きになって仲間に入りたいが。

2007.11.12


 

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BIOSPHERE 『CIRQUE』

2007-11-11 | 新規投稿
    
ノルウェーのアンビエントエレクトロニカ、BIOSPHEREの『CIRQUE』。衝動買いして大正解。最高。2000年発表のリイシューである本作。こんな傑作を聴きいてなかった事を後悔。そこまで思わせる音楽。こんなCDに出会うだけで生活が楽しくなる。

感動的なまでに作り込まれた音響作品。
練りに練られた音達が四方八方に運動する。ゆっくりと躍動感を制御しながらテンションが上下にコントロールされる。さり気なく光るメロディ。自然音や日常の音が旋律を伴って蘇生する。音象がズームアップされ、ゆっくりと奥へ下がってゆく。造形的な未聴の音が空間に顕れ、立ち消えてゆく。ミュージックコンクレート的な具体性、構築性に楽曲というカバ-がゆっくり掛けられる。だから感触は暖かい。ヒューマンな匂いすらある。実験音楽とさえ言える程の冒険主義や前衛性があるが、全体を貫く核心は人間主義、ヒューマニズムのような気がする。安易なメロや作為的なフレーズの反復が皆無な事が逆に今作の<旋律的>な感動を保証しているとも思われる。

資料がないので確認できないがBIOSPHEREはGeir Jenssen個人のユニットのよう。
実験精神のかたまりのような人だろうか。
日常の音や自然音、雑音、人工音、ボイス等を旋律的に響かせる。単音が旋律になる。あるいはたった二音のフレーズを造形的に複数音階的に奏でる。<嘗て無い音>の生成に執着し、自らが内に持ったイメージを追い求める結果、このような練られた音楽を生み出せるのか。ここには大変な努力も辞さない求道的な姿(まるでMike Oldfieldのような)が見えてくる。そしてアーティストの理想主義的な気質をも想起する。

メロディは潔いほどの簡潔さに圧縮される。甘口なものを意識的にカットするような感性。アンビエント系エレクトロニカによくあるストリングスシンフォニーは全くなし。重厚なシンセもなし。2小節のメロディすらない。なのに他のどんなエレクトロニカよりも旋律的に酔わす力を持つ。ここが凄い。<響き>に対する鋭い感覚が尋常でないのだろうか。

BIOSPHERE=Geir Jenssenの創造は音楽のフォームや表面的なメロディに添う楽曲へ向かうのではなく、内的な自発性による音楽構築、イメージの断片を紡ぎ併せながら結果的に壮大なドラマへと至るという<大きな>音楽である。大きな鼓動、大きな旋律が鳴り響くオーケストラの如く音楽世界だろう。
私は他のアルバムもすぐ買わねばなるまい。

2007.11.11

  
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ROVO 『LIVE at 京大西部講堂 2004.07.18』

2007-11-10 | 新規投稿
 
最近、ますます勝井祐二のヴァイオリンが高音域で遊泳する、その上昇度合が凄まじくなっていると感じる。これが気持ちいい。ボンデージフルーツに於いてはクリムゾン、マハビシュヌ的フォーマットの中での鬼怒無月(g)との高音域バトルという制約性が感じられたが、ROVOは何せ他のメンバー全員が反復の鬼と化した演奏。勝井祐二は制約なき自由な夜空を、一人でどこまでもすっ飛んでいけるのである。

最近、ますます山本精一のギターがミニマリズム的トランスゾーンで遊泳する、その反復度合が凄まじくなっていると感じる。これが気持ちいい。ボアダムスに於いては、ジャーマンロック的爆裂フォーマットの中での不意打ち的な逸脱リズムや嵐のようなブレイクとズレの中でリフを応酬するという<攻撃と防御>の緊迫性が感じられたが、ROVOは何せ他のメンバー全員がコンセプトに忠実な職人と化した演奏。山本精一は緊迫性なき自由な直線道路を一人でどこまでも転がっていけるのである。

<宇宙的>というコンセプトで勝井、山本両氏が開始したROVOも10年以上の活動歴となった。私は初期に二回観たきり、実はライブに行ってないがCDは全て買っている。好きなバンドだから。音源を聴く限りその宇宙度に拍車がかかり、音楽性の幅が拡がってきた感じがする。勝井、山本両氏の<宇宙>がその差異性を露わにし、異なる<宇宙>が両輪のように展開されてきているのではないか。プログレッシヴロックという二人に共通の<趣向>はここでは意味を持たないだろう。それより二人が共に、並外れた想像力を持つアーティストである事を強く思い知らされる。二人はイマジネーションの演奏家、作家だろう。<まぼろしの世界>、<ギンガ>、<思い出波止場>等、過去の二人の作品やバンドのネーミングから伺える感性とは<超越>だろうか。そんな彼等が表現し、表出される音楽は全てがヴィジョンを伴うものだ。聴きながらでも、踊りながらでも、人の眼前や脳裏に何らかの映像が現れ、その人の感性と共振しながら、その動きや色が変わっていく。そんな種類の音楽を勝井、山本両氏は目指しているように感じる。ROVOはその最たるものだろう。

『LIVE at 京大西部講堂 2004.07.18』も聴いていて、すごいイマジネーションが喚起される映像的音楽だ。火山が煌々と揺れ、静謐な深海が緑の静止画となり流星の飛び交う図や人の群れが交差する。訳がわからない悪夢も穏やかな微温空間も同時にそこにある。全く色んな場面が私の中で現れる。イマジネイティブサウンドの極地だ。最高だ。

京大西部講堂周辺は学生時代によく行った。独特の雰囲気がある遊び場だった。東京ロッカーズや京大パンク、舞踏やアートアンサンブルオブシカゴ。色んな出し物を観たな。あの頃の京大構内も面白かった。マルクス主義研究会やら社会科学ナントカ会など、左翼のサークルのボックスが乱立し、壁の落書きや立て看板を見てたらオルグされかかったりした。近所にはJoe’sGarageもある。『LIVE at 京大西部講堂 2004.07.18』のジャケットには西部講堂の屋根の星が写っている。これはアラブでパレスチナゲリラと活動を共にしていた連合赤軍への追悼の星だという事を誰かに聞いた。裸のラリーズとも縁深い場所だから本当かも。

話が脱線。西部講堂のボロい和空間から宇宙へ突き抜けたROVOの演奏記録。
更なる未来を可能にする潜在性も感じる。宇宙の次は地底探検か海中旅行か。それとも胎内回帰か。海外での活動も本格化したスーパーグループを今後も応援する。

2007.11.10


  











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Tom Middleton   『Lifetracks』

2007-11-09 | 新規投稿
 
タワーレコードに入ると、カゴを持ってCDをどんどん入れていく。アマゾン開けても、これまたカートにどんどん入れていく。20枚くらいになったら「もうこのへんで勘弁しといたろか」と終わりにする。知らないアーティストも衝動買いする事で、いい出会いがある。勿論、失望も多い。試聴をあまりしないという怠慢な性格を直せば、失敗も減るのは確かなのだが。

試聴せずに買ったTom Middletonの『Lifetracks』。 これは期待はずれの失敗。
嘗て当人がやっていたエレクトロニカユニット、Global Communicationでの創造性に及ばない。同じとは言うまい。この<後退>はかつて何度も繰り返されてきた<目的主義的音楽>の例に倣ったものと映る。プログレからニューエイジへ。環境音楽から様式アンビエントへ。サイケデリックからヒーリングミュージックへ。聴いた瞬間に判別できる、これらチープさへの移行が、音楽の目的主義への無批判な信仰によるものである事を私はイメージする。
例えばヒーリングミュージック(癒し)と称されるものの<おしつけがましさ>(以前、『august born』の項でも同じ事を書いた)を私は感じている。癒される音楽とはそのスタイルは当然、人によって違う。そこに普遍性や定型はない。当然ながら。CDショップのヒーリングミュージックのコーナーに置かれた音楽に癒される人はいるだろう。しかしノイズに癒される人もいれば、ブルースに癒される人、森のざわめきに癒される人もいる。自明ながら。

私はニューエイジ、ヒーリングミュージックが含む制作以前の意図的コンセプト、その固定された目的や効用、定められたマーケットや買い手の層を一定の音のムードやスタイル、音象処理、エコロジカルなジャケットワーク等で表出する方法に嫌悪を感じ、その安易さは必然のように音に顕れると思っている。
<これは癒しのための音楽です>という事を制作以前に決め、作り、宣伝し、売るという事が音楽の幅を否応もなく狭めていると感じるのである。先述した<目的主義的音楽>とはそんな事柄を指して私が勝手に作った言葉である。

『Lifetracks』は絶賛されているようだが、私には楽しめなかった。クリーン一辺倒な創意なき音色でゆったりとしたフレーズを紡ぐ。制作コンセプトにはイギリスの<ビッグチル>というチルアウトのイベントが背景にあるという。だから収められたチューンは全て、チルアウト気分を増幅させるアンビエント風味のもの。この<そのまま感覚>がなんともムードミュージック的な浅さを醸し出すのだ。光るメロディの破片でもあれば救われるのに。何か引っかかる仕掛け、効果音での工夫があれば印象が逆転するのに。そんな事を願いながら、印象が変わる事を期待しながら4回聴いた。でも駄目だった。チルアウトする為の音楽とはこうゆうものですよという意図があり、固定化された様式の賛美のような感触がある。だから作り込まれた密度を感じない。ニューエイジやヒーリングと同質のイージーさ、押しつけがましさを感じる。

個人的には、いかようにもとれる解釈、受け止め方を可能にする音楽こそ、深く、一方的な目的をもその効果を可能にすると感じる。70年代ジャーマンエレクトロミュージックが偉大なのは、コンセプトから発した音楽が制作者の意図を離れてゆくスリルがあったからだった。クラウスシュルツが確か「聴き手の自由なイマジネーションの為に50%の余地を残す。」(やや不正確な記憶かもしれないが、大体あっていると思う)とか何とかそんな発言をしていた事を思い出す。

CDのライナーによるとTom MiddletonはGlobal Communicationの後、ディスコ回帰し今はイビサの人気DJであるという。つまり『Lifetracks』の制作はダンスミュージックからの反動、レイブからの反転という出発点を持つ。その拠って立つ場所はいかにも狭く、脆弱に感じるのは私だけだろうか。

2007.11.9
 
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3/3   『3/3』

2007-11-05 | 新規投稿
 
フリクションの前身、3/3のCD がリリースされた。
1975年に僅か10枚ほどが私家版で作られ、メンバーが配ったというLPにライブ音源を付けた2枚組である。メンバーはレック(g,vo)、チコヒゲ(ds)、ヒゴヒロシ(b)のトリオ、disc2のライブ音源は安藤篤彦(g 後、ヒゴヒロシとミラーズを結成する)が加わった四人編成。

1975年という年を私は明確に思い出すことができる。なぜならこの年こそが私の音楽元年だから。音楽狂という名の病に罹ったのが中学一年、1975年だ。日本ロックの殺風景ぶりは致し方ない。日本の風土的な湿り具合を脱し、洋楽に接近するロックを求めていた。そこだけが善し悪しの判断基準だった気がする。クリエイション、紫とか聴いて「日本もなかなかやるなあ」と無理矢理、感激し、バウワウで「おっ、洋楽っぽいぞ。やった!」こんな感じだっただろう。それ意外は何もなかった。キャロル、ファニカン?べたっとしてピンとこないな。ロック御三家?(チャー、世良、原田)?どこがロックやねん!と。叙情は日本風土の象徴。ロックとて例外ではなかった。私は洋楽の垢抜けた感じや躍動感がなぜ、日本にないのかと嘆いていたのだ。もっとも後年になってその湿り具合を逆に固有のもとして認識を改めるようになるのだが、英米ロック、ポップに感電したばかりの13才の時点では洋楽の突き抜けた感覚こそがロック、カッコイイと感じていた。従って私が<本物らしさ>を感じていたのはむしろ鈴木茂、山下達郎などだった。私にとって1975年の回想に日本ロックは不毛としての記憶しかないようである。

しかし日本のロックシーンはメジャーな場所以外で確実に別の風景を持っていたようだ。
3/3は東京のマイナーなライブバンド。CDのライナーにある高沢正樹氏の回想は75年11月の埼玉大学学園祭での衝撃的で忘れられない光景を映し出す。「10近いバンドが出るオールナイトコンサートで数百人いた客のほとんどは無名の3/3を知らなかったはずなのだが、コンサート中盤に登場した彼らのステージのラスト、繰り出される激しいビートに、一人また一人とたまらず立ち上がり始め、半数以上が狂ったように踊り始めてしまったのである。」
これが75年のもう一つのロックのリアルな光景だったのだ。

3/3というバンド。私は今回のCDで始めて聴いた。
こんなに凄かったのかというのが正直な感想。近藤等則IMAでの演奏を知る者にとってギタリスト、レックの実力は周知の事であるが、3/3でのギターのリフの確信性は時代を超えていると感じる。このリズムカッティングの鋭さは何なのだ。スピードとヘヴィネス。ビートが縦に刻まれる。真っ二つに。ドラムのように。既にパンクっぽい。英米のガレージバンドよりも縦ノリ度は上。これが75年か。その頃、英米でこんなバンドいたかなと思い浮かべる。グラハムパーカー&ルーモア? ドクターフィールグッド? ニューヨークドールズ?全然、3/3の方が上だ。そうか、このバンドは本当ならプロデューサーか英米のレコード会社が発見して、即、デビューさせるのが普通なのに、たまたま誰も見つけられなかっただけの事なのだ。デビューしてないのは単なる偶然だった。そうでも思わないとこの音楽を埋もれさせておいた状況は理解できまい。全く。CDのライナーにあるレックの回想を読んでも本人達の売り込みにそれほど積極的な跡は見られない。
「オレは3/3が優れてるとか思ってないわけ。卑下はしてないんだけど。(略)楽しんでたのは事実だけど、俺にとっちゃ、単にギターを弾いてた時期みたいな」(レック)

私の想像では私家版LPもヒゴヒロシの先導で制作されたのではないか。彼は後、日本初のインディーレーベルであるゴジラレコードを発足させる人物だ。マイペースなレックと違い、積極的な意志があったようにも感じる。ただ、いずれにしてもこの3/3はレックの発言から、その初期衝動をギター演奏やチコヒゲとのリズム鍛錬で開放し、楽しむためのバンドであったようなニュアンスを受ける。後追いで鑑賞する私達が受ける衝撃、その音楽のテンションと裏腹にレックの醒めた見方は当人の当時の演奏意識を物語っている。

雑誌DIG(No.50)の記事によるとこの3/3再発プロジェクトに関しても、その半ば、作業から離れ、ヒゴヒロシや旧友に全てを委ねているという。
「若い頃の曲だからさ。自分じゃとても聴いてられなくてね。今回、俺が3/3の件でやった仕事は、写真探しとこのインタビューぐらい」(レック)
はっきり言って思い入れは多くはないのだろう。謙虚というか淡泊というか。

「聴けばすぐわかるんだけど3/3のLPに入ってる曲もだいたい何かの真似が入ってる。(略)3/3はバンドの真似事」(レック)
そこまで言うか。
いや、<真似事>という言葉をレックが使う事に注意したい。その後、フリクションによって国内きっての希に見るそのオリジナリティを獲得したレックが、3/3時代においてロックという外来文化の摂取と創造をミーハー精神に基づく貪欲さで吸収したとしても、一旦プレイに入るや、リズムの奥底にある深淵な快楽の泉にたどり着く術を発見した数少ない人間だった事は確かだろう。何の曲をやるかなど、その時点では問われまい。チコヒゲという盟友、理解者ヒゴヒロシという鉄壁な三人で滑り込んで行ったビートの王国。そこは同時代の世界レベルでも限られた演奏者のみに入場を許された場所であったと力説しても、どこに大げさな事があろう。ジミヘンのリフやピンクフロイドもどきの音響空間、キンクスやルーリードのカバー。そんな事が音楽の強度を損なうものでない事は自明だ。それを<真似事>とは誰も言うまい。それこそ<猿真似>が横行するその他殆どの国内ロック状況にあって3/3のリズムの深淵さこそ、個性の極みではないか。

模倣を繰り返す強さが半端でなかったのだ。
曲やリフの模倣を問題にしない程の徹底した根っからの演奏者だった。そしてビートの反復、持続を可能にする意志が突出していた。甘さが介入しなかった。その徹底ぶりが若い自分からレック達には備わっており、しかもそれが彼らの<普通>だったのではないか。その下地が後の希有の音楽性を獲得するフリクションに至るのだ。

先に<洋楽に接近するロックを求めていた>と書いた。中一の私が同時代に感じた日本ロックの湿っぽさは実は今となっては否定する要素ではない。当時からは予想もできなかった疑似洋楽の氾濫状態の現況にあって、日本らしさを外形的、精神的、内在的、あらゆる角度を問わず宿すものだけが、世界基準を満たすとも思っている。フリクションこそがそうである確信を私は『軋轢』デジタルリマスターについての当ブログ(2007.6.3)で書いた。

3/3は70年代半ばで<洋楽に接近する>どころか既に共振していたのだ。楽曲の形態以前にその演奏に於けるグルーブの創造によって高いレベルを獲得していた事がこの音源で実証された。リズムの強さは世界的だ。本当に。
このビートの切れ味は一体何か。ロックンロール色の強いドライブ感ではあるが、リズムが流れない。ビシっとミュートされる。タイトな絶妙の間。それこそsweet timingだ。これは既にパンクだ。この弾き方の演奏者は当時の日本にはいなかったんじゃないか。ライブサイド(disc2)での「きかいのうた」の混沌としたグルーブ、リフの応酬はサイケデリックを通過した大人のグルーブ感を既に確立しており、成熟すら感じさせるものがある。

チコヒゲのドラムのまた凄い事。ハーフオープンハイハットが繰り出す持続音。この頃から直線なビートではなく、8ビートのパターンを複数、組み合わせる事をやっていたのだなと思わず聴き入ってしまう演奏をしている。フィル、オカズも大胆そのもの。普通じゃないね。やっぱり。しかも重い。速い。上手いの三拍子。ギターもベースも気持ちいいだろうな。こんなドラムがいれば。バスドラがパタパタ鳴るのは悲しいかな、ドラムが多分、いいものではなかったからか。そう言えばフリクションのファーストシングル『KAGAYAKI』もそうだった。そうだ、思い出した。「ロック画報」の記事。LP『軋轢』の録音の際、エンジニアの人がチコヒゲのドラムを見て「今時、こんなの使ってる人がいたんですね」と呆れ、パールか何かに代えさせたという話があった。逆に言えば、チコヒゲの力量はとてつもなかったのだろう。ボロいセットであれだけ鳴らせる事ができるのだから。レック=チコヒゲの二人はリズムの鬼だろう。二人で競うように鍛え合ったのではないか。

今思えばとんでもない強者の三人だった。ヒゴヒロシは10年ほど後、フリクションにギターで参加し、硬質なリズムギター&ノイズプレイを見せてくれたが、本業はやはりベース。(ミラーズでは歌うドラマーだったが。多才な人だ。今はDJもやるし)3/3でのプレイは猛烈なドライブラインを刻み込んでいる。音色から言って指弾きかな。いや、ピックと使い分けているかもしれない。チャンスオペレーションでのソリッドなラインより、渋さ知らズやのなか悟空と人間国宝での重低音モコモコベース音だ。ラインもギターのリフにリンクしたり、4ビートっぽく、またぐラインにしたり最早、大人びている風。ブレイクも味がある。手練れですね。若くして。

後のフリクションのレパートリー「pistol」の歌詞の<おまえ>が3/3時代は<きみ>だった事に象徴される意識の分かれ目。より強く聴き手に向かうようになったのがフリクションだったようだ。「意識が変わると音が全然、変わる」とレックは答えている。逆に言えばレックが3/3の回顧に積極的な評価を自分では認めないかのようなクールな視点(「なんだ。ただのハードロックじゃん」って言われるんじゃないの?というレックの言葉がCDのライナーの見出しである)はフリクションこそが自己表現というハードルをクリアし、それをダイレクトに他人に向け、様々な反応を意識する快楽や苦悩を享受する密度があったという事なのかもしれない。従って、例え同じ曲の演奏でも3/3は、聴衆へのベクトルを欠いた内向的な音楽であり、アソビだったと(随分、ハイテンションなアソビだが)。彼には他人には推し量れない価値の基準があるようだ。

「こんな凄いバンドが認められなくてどうするんだよ・・・」
75年、PAの卓を操作しながらつぶやいていたというCDのライナーにある高沢正樹氏の回想は、彼らのライブを体験した数少ない人間が持った共通の感慨だったのではないか。

2007年の今、レックは中村達也との二人フリクションを始動させてはいる。音源を残すべきだろう。ライブ盤でもいい。レックの演奏記録はその時々の価値がある。私個人的には86年12月から佐藤稔加入以前の87年5月までの布陣(レック、チコヒゲ、ヒゴヒロシ、セリガノ)での公式音源が存在しない事に全く残念な気持ちを持っている。(86年12月30日の新宿ロフトでのライブは絶対、発表すべきもの。驚愕のライブだった。私は劣悪なカセット録音を今も時々、聴いている)
このようにレックのマイペースは、リアルタイムの最高の瞬間を逃す事がしばしばだ。編成もよく変わるから尚更、今の良い状態を記録しておくべきなのだ。

これもレックの潔さか。
3/3のレア音源復活の騒ぎにも他人行儀。今の活動にも自分流儀。
これは今は見るべき事をしていない嘗てのカリスマ、モモヨ(リザード)が見せる過去の自己評価、栄光を愛で、嘗ての曲目解説などに執着する態度と対極にあるレックの現実主義的性格だろう。

私達が衝撃を受けた3/3のCD
轟音と共に「そんなに騒ぐなよ」というレックの声も、同時にきこえてくるみたいだ。

2007.11.5



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