満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

ROVO 『LIVE at 京大西部講堂 2004.07.18』

2007-11-10 | 新規投稿
 
最近、ますます勝井祐二のヴァイオリンが高音域で遊泳する、その上昇度合が凄まじくなっていると感じる。これが気持ちいい。ボンデージフルーツに於いてはクリムゾン、マハビシュヌ的フォーマットの中での鬼怒無月(g)との高音域バトルという制約性が感じられたが、ROVOは何せ他のメンバー全員が反復の鬼と化した演奏。勝井祐二は制約なき自由な夜空を、一人でどこまでもすっ飛んでいけるのである。

最近、ますます山本精一のギターがミニマリズム的トランスゾーンで遊泳する、その反復度合が凄まじくなっていると感じる。これが気持ちいい。ボアダムスに於いては、ジャーマンロック的爆裂フォーマットの中での不意打ち的な逸脱リズムや嵐のようなブレイクとズレの中でリフを応酬するという<攻撃と防御>の緊迫性が感じられたが、ROVOは何せ他のメンバー全員がコンセプトに忠実な職人と化した演奏。山本精一は緊迫性なき自由な直線道路を一人でどこまでも転がっていけるのである。

<宇宙的>というコンセプトで勝井、山本両氏が開始したROVOも10年以上の活動歴となった。私は初期に二回観たきり、実はライブに行ってないがCDは全て買っている。好きなバンドだから。音源を聴く限りその宇宙度に拍車がかかり、音楽性の幅が拡がってきた感じがする。勝井、山本両氏の<宇宙>がその差異性を露わにし、異なる<宇宙>が両輪のように展開されてきているのではないか。プログレッシヴロックという二人に共通の<趣向>はここでは意味を持たないだろう。それより二人が共に、並外れた想像力を持つアーティストである事を強く思い知らされる。二人はイマジネーションの演奏家、作家だろう。<まぼろしの世界>、<ギンガ>、<思い出波止場>等、過去の二人の作品やバンドのネーミングから伺える感性とは<超越>だろうか。そんな彼等が表現し、表出される音楽は全てがヴィジョンを伴うものだ。聴きながらでも、踊りながらでも、人の眼前や脳裏に何らかの映像が現れ、その人の感性と共振しながら、その動きや色が変わっていく。そんな種類の音楽を勝井、山本両氏は目指しているように感じる。ROVOはその最たるものだろう。

『LIVE at 京大西部講堂 2004.07.18』も聴いていて、すごいイマジネーションが喚起される映像的音楽だ。火山が煌々と揺れ、静謐な深海が緑の静止画となり流星の飛び交う図や人の群れが交差する。訳がわからない悪夢も穏やかな微温空間も同時にそこにある。全く色んな場面が私の中で現れる。イマジネイティブサウンドの極地だ。最高だ。

京大西部講堂周辺は学生時代によく行った。独特の雰囲気がある遊び場だった。東京ロッカーズや京大パンク、舞踏やアートアンサンブルオブシカゴ。色んな出し物を観たな。あの頃の京大構内も面白かった。マルクス主義研究会やら社会科学ナントカ会など、左翼のサークルのボックスが乱立し、壁の落書きや立て看板を見てたらオルグされかかったりした。近所にはJoe’sGarageもある。『LIVE at 京大西部講堂 2004.07.18』のジャケットには西部講堂の屋根の星が写っている。これはアラブでパレスチナゲリラと活動を共にしていた連合赤軍への追悼の星だという事を誰かに聞いた。裸のラリーズとも縁深い場所だから本当かも。

話が脱線。西部講堂のボロい和空間から宇宙へ突き抜けたROVOの演奏記録。
更なる未来を可能にする潜在性も感じる。宇宙の次は地底探検か海中旅行か。それとも胎内回帰か。海外での活動も本格化したスーパーグループを今後も応援する。

2007.11.10


  











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