満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

SCATTER ELECTRONS(Usui Yasuhiro、Miyamoto Takashi、Fujikake Masataka)with RISA TAKEDA

2020-05-19 | 新規投稿

SCATTER ELECTRONS(Usui Yasuhiro、Miyamoto Takashi、Fujikake Masataka)with RISA TAKEDA

 

時弦プロダクションのニューリリースアルバム「SCATTER ELECTRONS(Usui Yasuhiro、Miyamoto Takashi、Fujikake Masataka)with RISA TAKEDA」

発売日は7/15です。

SCATTER ELECTRONS with RISA TAKEDA

Usui Yasuhiro、Miyamoto Takashi、Fujikake Masataka

 

SCATTER ELECTRONS are

Usui Yasuhiro臼井康浩(guitar)

Miyamoto Takashi宮本隆(bass)

Fujikake Masataka藤掛正隆(drums and electronics)

 

  1. First fumbling 7:56
  2. Tanks 5:33
  3. Hit and my error 5:51
  4. Whisper outside 2:19
  5. Constract again 6:58
  6. Scatter electrons 7:09
  7. Take swap the cosmos 25:48

total : 61:26

all tracks improvisation by SCATTER ELECTRONS except track 7

track 7 was played by SCATTER ELECTRONS with RISA TAKEDA

RISA TAKEDA武田理沙 plays piano, synthesizer, laptop

 

live recording by Terabe Takanori (Fulldesign Records) at Knuttel House Tokyo  on March 10 . 2020

mix and mastering by Miyamoto Takashi (jigen production)

 produced by Miyamoto Takashi

Ⓒ+ⓟ jigen production 2020    jigen 021

 

 

 

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時弦プロダクションで現在、鋭意、制作中

2020-05-12 | 新規投稿

時弦プロダクションで現在、鋭意、制作中です!
<SCATTER ELECTRONS with RISA TAKEDA>(jigen-021)
SCATTER ELECTRONS are
臼井康浩(gt)宮本隆(b)藤掛正隆(ds and electronics)
Special guest...
武田理沙 ( piano, synthesizer, laptop)

3月行ったライブですが、Fulldesign record(藤掛氏主宰)のエンジニア寺部孝規氏が8トラックで録音。これがなかなかいい録音状態で

CD化を決めました。

連休明けに入稿予定ですが、現在、プレス関係はどうなんでしょうね~。ちゃんと稼働するのかどうか。入荷未定、発売未定、希望7/15あたりという事で

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パンクという拠点  ストラングラーズ (後半)

2020-05-06 | 新規投稿

#文字数が規定を超えているので(前半)(後半)と分けております。左下の<前へ>で(前半)からお入りください

 

『フェライン』

 

ストラングラーズはイギリス、ヨーロッパで大衆性を獲得し得るユーロロックの創造へ向かった。それは1982年発表の『フェライン(feline)』(邦題:黒豹)で頂点を迎える。

当時、私はこのアルバムを熱狂的に受け入れた。『ラ・フォーリー』に続く傑作である。そして私は理解した。ストラングラーズがその音楽性を常に変化させながらも、一貫して保持するソングライティングの重要性の認識を。そして音楽の内側にあるエネルギーの強度への執着はグループを支えてきた原動力になっていたという事を。それはいつでもスタイルの変容を可能とする‘音楽の大きさ’につながるものなのだ。

「golden brown」を継承したアルバム『フェライン』は『ラ・フォーリー』以上の美が支配している。しかも本作では一貫した流れの中で曲が進行するトータル性があり、一種のコンセプトアルバムと言っても良いだろう。

 

一曲目「midnight summer dream」は衝撃的な曲だ。そのインパクトはかつてのオープニングナンバー「I feel like a wog」や「tank」に匹敵するものだ。しかしこの曲は以前のものとは180度異なる作風故、その衝撃度は際立つ筈である。

デイブグリーンフィールドが弾く「midnight summer dream」の大仰なシンフォニックなキーボード。このイントロを聴いて私達はグループが不退転の創作を開始したことを悟るだろう。もはやパンクサウンドへの回帰はあり得ないという最終通告かのようだ。嘗て誰がこのようなストラングラーズのサウンドを予想しただろう。ヒューコーンウェルの語りは曲を第三者的な語り口で歌うナレーションのような客観性がある。ミディアムテンポで進行する夢幻のような曲。後半に登場するJ.Jバーネルの歌はずっと後方から聞こえる。この立体感は素晴らしい。ジェットブラックのドラムは以前に増して明確になり、パルスを感じさせる音色処理がなされている。ジェットの骨太なビートがやはり、このドリームな曲にリアリティーを吹き込んでいるのだ。全くすごい曲である。

続く「it’s a small world」、「ship that pass in the night」もやはり夢のようなムードの中、静かに言葉が綴られるクールな曲だ。ロマンティックでもある。そしてシングルカットされた「the european female」(邦題:「ヨーロッパの女」)はJ.Jバーネルがリードボーカルを務める硬派なバラード。

ソロアルバム『european cometh』からの思想的継続が窺える「the european female」には‘in celebration of’という副題がついており、祝祭のテーマが存在する。それがJ.Jバーネルを通じクールな熱狂の元、静かに歌われる。名曲だ。

 

アルバム『フェライン』のB面は「let’s tango in Paris」、「paradise」、「all roads lead to Roma」、「blue sister」とその曲名、言葉の美しさに魅惑される。何れの曲もやはり、美しいメロディーを持ち、独特の浮遊感と優美さを持っている。前作『ラ・フォーリー』のようなカラフルさはないが、逆にこの『フェライン』には統一されたカラーがある点がアルバムとしての完成度を感じさせる要素になっている。その色を強いて言えば‘black and gold’だろうか。

ストラングラーズはアルバム『フェライン』で黄金の輝きにも似たコンパクトな作品集を創作した。これは独自のユーロロックというジャンルの創始であろう。プログレッシブロックにはない簡潔さを持ちながら、より物語性の強い作品をニュービートの中で構築したのである。

 

「let’s tango in Paris」の優美さ、「paradise」、「never say goodbye」のエキゾチズムはヨーロッパの視点から‘外部の美’を回収するアイデンティティーの発露だろう。「all roads lead to Roma」(全ての道はローマに続く)、「blue sister」、「it’s a small world」はヨーロッパにおける‘大きな物語’の終焉と憧憬、そして更なる復古としてのリアリティーへの志向が感じられる。「blue sister」の緊張感は素晴らしい。この甘美な歌をリアルなスピードの中で構成するクールネスはストラングラーズだけのものだ。ヨーロッパはまだ懐古や鑑賞の対象ではない。ストラングラーズは単純な伝統回帰ではなく、ヨーロッパ的美意識を普遍的な価値基準として再生し、メッセージしているのだ。従ってここには悪しき退廃やムードとしての‘滅びの美’は存在しない。そんな子供じみた表層的なムードメイカーが音楽シーンに多いのも事実だ。ゴシックだの何だのとバカみたいなバンドが当時多くいた。今でもいるが。

 

ストラングラーズは8枚目のアルバム『フェライン』で全く予想不可能な、とんでもない所まできてしまった。そしてその地平は振り返れば誰もいない場所であった。グループは嘗ての外向的攻撃性を潜め、内向性へと変化してきた訳だが、その歩みには一貫した流れがあるのも事実だろう。ストラングラーズの‘怒り’は沈静化したわけではなく、表現方法に於いて成長、進化を継続している訳だ。それはファンと一緒に成長するグループの潔いスタンスでもあるだろう。

しかしこの時期、ストラングラーズは日本のマスコミから消えた。話題性は一気に後退し、以後のストラングラーズの新作発表は忘れられたカルトバンドの年に一回のインフォメーションになった。それも熱狂に覆われた情報ではなく、初期パンクの懐古話に花を咲かせる熱の無さだけがあった。嘗てあれほどの熱狂の中で語られたストラングラーズを現在進行形で捉える視点は日本のジャーナリズムにはなかったのではないか。少なくとも私は正当な論評を読んだ事も聞いた事もない。

しかしグループの実態はこの時期、新たな熱狂と祝祭の中に在ったのだ。ヨーロッパに於いて確実な人気と大衆性を得たストラングラーズはメインストリームとは別の支持領域を築いていたのだ。その事は日本では全く認識されてなかったと言っていいだろう。

 

ストラングラーズがSIS(stranglers information service)を設立したのはアルバム『メニンブラック』の時だろう。あの問題作。音は暗く、ファンに誤解ととまどいを与える事になった異色の作品を創作しながら、グループはこの時期,実は最も強く‘連帯’を欲していたのだ。SISはグループとファンの相互コミュニケーションの一端となり、強い信頼関係へのシステムであった。

ストラングラーズはファンを置き去りにした活動はしない。常にファンを増やし、理解を欲しているタイプのバンドである。ただ、だからと言って判で押したような音楽を続けるわけではない。それではお互いの成長がない。『メニンブラック』は私達の精神を開拓した。‘違和感’と‘驚き’によってこそそれは成される事だろう。

 

第二期ストラングラーズはアルバム『フェライン』で完了する。そこではヨーロッパ美意識の再評価とポップフィールドへの転換があった。それらは政治意識や社会性を内側に含んだ硬質なポピュラーミュージックと言えるだろう。

私達は嘗て第一期ストラングラーズによるアジテーションを受けた。ストラングラーズのスピードと音の明解さ、そして強力なメッセージが起爆剤としての役割を果したのだった。そしてストラングラーズの確信性が『レイブン』、『メニンブラック』でピークになりながらも音楽のスタイルを著しく変化させた事が混乱のきっかけになった。しかしストラングラーズはそんなカオス状態から抜け出るべくニュースタイルを創造した。その成果として『ラ・フォーリー』と『フェライン』がある。それらは私達にとってポストパンクの意義としての‘創造、発展’を啓示する第二の起爆剤と言えるものだ。

ストラングラーズの発展は終わらない。続くアルバムはグループの最高傑作となるだろう。

即ち『フェライン』から2年の歳月を経て発表された『オーラル・スカルプチャー(aural sculpture)』(邦題:音響彫刻)(85)である。

 

 

『オーラル・スカルプチャー』

 

「音響彫刻の創造に忠誠を誓った我々が周囲に増加しつつある音の乱用をこれ以上は容赦できないと言うのなら、それは声を大にすべく時が訪れたのである。

当世の音楽家達に至っては科学者にあらずして科学を用い、芸術家にあらずして芸術を酷使する娼婦であり、詐欺師なのである。我々は今、音楽の崩壊を目撃しつつある。正に。

この世界は聴く耳を、見る目を、そして理解する知性を携えた少数の幸運な人々によってのみ共有され得る音響彫刻の出現を世に告げるべく、その準備を整えておかねばならないのである。

待て。自分には何かが動き始めているのが解る。我々は「彫刻」の誕生を目撃しつつあるのだろうか。この同心の円を描く溝の内側に置いて、今まさに非の打ち所のない受胎が始まろうとしているのだ。聞くがよい。聞こえてはいるか。この誕生のカタルシスを堪え忍ぶのは苦痛ですらある。すでに現れつつある。その煌めく外形よ、その官能的な曲線よ、新生児の忘我の叫びに耳を傾けるがよい。それは次第に強まってお前達の哀れな生命の空白を埋めるべく広がってゆくのだ。

ああ、この無上の喜びよ、ああ、お前達のその耳を愛でる快楽よ。この歴史的瞬間に至るまでお前達はいかにして生き延びてきたというのだ。音楽という名の老い行く生き物の将来に関して、この世界はこれ程の無知に身を委ねつつ、今までどのようにして躊躇し続けてこられたのであろうか。

見よ。今、ストラングラーズはお前達に音響彫刻をもたらすのだ。」

 

                                                                 「音響彫刻」

 

ストラングラーズはアルバム『オーラル・スカルプチャー(aural sculpture)』の内袋に「音響彫刻」という宣言文を六カ国語で表している。日本語でも記述されたこの文章を読んで私はこのグループの孤高のスタンス、特異性を感じた。つまりこれを読んだ1985年に私が感じたのはまず、共鳴ではなく、違和感だったのである。このマニフェストでストラングラーズはポピュラーミュージックシーンの堕落を言い放っている。果たしてそれは適切であるか。80年代半ばと言えばREM、the smithが台頭し、CUREの全ヨーロッパ的人気の定着。そしてアメリカではヒップホップという第2のパンクムーブメントも起こっている。決して空白期ではないというのが客観的な見方であろう。このような情況に対し一方的に堕落を宣言するストラングラーズは正に孤立的であると言わざるを得ない。しかし彼らは一貫して確信性のみを支柱として活動を継続させてきたグループである。私はマジに受けよう。このメッセージを。

デビュー当時から批評性を表現の糧とし、敵性を認識するやいなや総攻撃を展開してきたストラングラーズ。そして

内向的スタンスへと変貌したグループがここにきて同時代音楽への批評を行う。しかしそれは単なる罵倒ではない。

私の理解ではストラングラーズは音楽の身体機能に及ぼす力についての追求とその意識の欠如としての同時代音楽へ

の批判を行ったのである。それは‘音響彫刻’という言葉にも示されているし、アルバムジャケットの巨大な耳の彫

刻、裏ジャケットにあるメンバー4人の耳のレイアウトにも顕われているだろう。

ストラングラーズはアルバム『オーラル・スカルプチャー』で音楽が耳から入って、どのようなエネルギーの生成と

身体メカニズムへの影響、変容があるのかというテーマについて学究的にではなくポップフィールドで構築してみせ

た。これはかつてタンジェリンドリームが初期作品で挑んだテーマや、キングクリムゾン=ロバートフリップがグル

ジェフのワーク理論を援用して確立した音のハート(心)、ヘッド(知)、ヒップ(衝動)への一体化プログラムの理

論と同質のものを想い起こさせる。ストラングラーズは相も変わらずラディカルだ。これはロックミュージックの歌

詞が人へ及ぼす思索的影響というレベルを超えた音響的影響に関するコンセプトだろう。リズムとメロディー、声で

構成されるポピュラー音楽が聴覚を通過し、体内に入る時,それは音楽から音響(サウンド)、そして音そのもの、音

の素粒子へと自己分裂するだろう。そしてそこに快楽がある限り、感性の内側に沈殿物として残存するだろう。それ

は私の聴覚のみならず実体そのものへと影響を与える筈である。

ポップミュージックが一時的な慰みではなく、本格的な治癒、快楽の高精度、コミュニケーションの持続性、そして

人間形成への実際的影響となる事に対する着目がストラングラーズにはあった。そんなコンセプトを具現化するかの

ような音作りがアルバム『オーラル・スカルプチャー』で完成している。

 

1曲目「ice queen」を聴くと私達は正にそこに音響による彫刻のようなサウンドに立ち会える。数学的に配置されて

いるかのようなドラムのディレイ。3重層にもなるキーボード群の奥行き。時々しか出てはこないギターのストロー

ク音によるスペース感覚。どっしりしたベースラインと急に強く全面に出るベース。それもリバーブが絶妙にかかる。

このダブ的表現は以前、アルバム『ラ・フォーリー』の時から見られるJ.Jバーネルの技である。ホーンアレンジの

不思議な一体感。サウンド全体に貫かれるデジタル感覚。ヒューコーンウェルのクールなボイスは熱狂的でありなが

ら常にアンチクライマックスに還ってくるかのようだ。夢幻的なインスト環境だが、ヒューのボーカルは人間臭い。

従って曲そのものの印象はやはりストラングラーズ特有の攻撃的要素に満ちている。

「ice queen」はストラングラーズの新たな傑作となった。様々な要素が交差する不思議な世界。しかし硬派な音楽で

あり、強い実在感がある。

 

アルバム『オーラル・スカルプチャー』は名曲が目白押しの力作である。

「skin deep」はグルーブする軽快なビートとキラキラ輝くようなキーボード群に包まれたポップナンバー。シングル

カットナンバーである。「let me down easy」はノスタルディックなムードにパルスビートの前進性がミックスされた

曲。深みのあるピアノの響きと重層的な音響、ムーディーなボーカルの交差が素晴らしい。

北風に乗って始まる「north winds blowing」はストラングラーズ特有のヨーロッパ的美の表現。そのドラマ性は極め

つけである。「no mercy」と「under name of spain」は力強いポジティブナンバー。そして意外だったのは「uptown」、

「punch & judy」におけるR&B的要素。そこにストラングラーズのユーロピアンテイストをミックスさせたアメリカ

ンミュージックの新解釈とでも言うべき個性的な曲だ。「laughing」も味わい深い傑作。含蓄あるメロディが全く素晴

らしい。

このアルバムでストラングラーズは相変わらずバラエティーな作曲を試み、それらに平坦ではないアレンジの凝りを

見せる事で立体的な建造物のようなサウンドを創り上げた。

アルバムのハイライトは「souls」だ。この曲の持つ雰囲気をどう言い表せば良いだろう。フェイドインしながら始ま

るイントロ。いやそれはイントロではなく既に曲は始まっていた。曲がもう鳴っていたのにも関わらず聞こえなかっ

ただけなのだ。そんな多次元な音響を聴く者に印象付ける絶妙な表現方法がこの「souls」にはある。デイブグリーン

フィールドのキーボードは光る流星のような輝きを放つ。ヒューコーンウェルのボーカルは静かな語り調。またして

も素晴らしいコーラス。全く究極的な美しさであろう。

 

ストラングラーズはアルバム『オーラル・スカルプチャー』でまたもや進化した。前作『フェライン』より遥かにス

ケールが大きく、ユーロロックというエリアアイデンティティーからも抜け出し‘音響’という広野へ至ったかのよ

うだ。一本筋の通った硬派な音楽。グループの強固な思想に根ざされたグローバルで高度な娯楽作品が誕生した。も

はやストラングラーズは他のどんな音楽グループにも似ていない。そうした類似性、カテゴリーを一切、拒否するか

のような唯一無比の個性がここにはある。

ストラングラーズの同時代音楽への批判は正しかった。思えばストラングラーズが作り続けてきた作品の数々はその

全てが既成の音楽的影響をカットアウトし、自らのルーツをもカットアウトする志向に溢れていた。それぞれの時代

に強い様式美を完成しながらも、次作では常にそこから脱却してきたのだ。『ブラックアンドホワイト』や『フェライ

ン』という完成品でさえ、それらの次作においてはスタイルの乗り越えが常に試みられている。その事はグループの

アイデンティティーに関する最も重大な要素なのだ。ストラングラーズにとっては‘音の形態’の充実と変化、発展

こそが生命線であり、言葉よりもサウンドに先行意識を置いていたと言えよう。彼等は当初から特異なサウンドメー

カーであり、その個性は突出していた。ただ、彼等の体質からくる強力な思想がメッセージの有効性を追求するグル

ープのカラーを決定付け、社会派としての責任めいたものを自らが背負ってしまった事は否めないのかもしれない。

 

ストラングラーズが‘アバンギャルド’の範疇で語られる事を私はあまり見聞きしないが、彼等の根底に在る前衛意

識はいわば文字通りの‘前衛’であると言えるだろう。つまり彼等の実験精神は音楽的、社会的、思想的、実生活的

なレベルに於けるフロンティア意識であり、それはいわば‘前線での戦闘意識そのもの’の事であった。だからサウ

ンド的に実験性を帯びることがあっても観念性に埋没する事なく、常にリアルな視線と現実認識、人々への浸透性が

意図されていた。その結果がストラングラーズをポップフィールドへ繋ぎ止め、あくまでもメジャーな場での孤独な

闘いというスタンスに腰を据えているのである。

そんなグループの性格はやはりこの『オーラル・スカルプチャー』にも反映されている。‘音響彫刻‘という大仰な命題にも関わらず、ここで展開されるサウンドはポップであり、相変わらずの名曲生産チームなのだ。そしてストラングラーズのポップスは音の細部にまで硬質なものが浸透している。

 

‘音響彫刻’という言葉から私達は‘社会彫刻’を実践したアヴァンギャルディスト、ヨーゼフボイス、音楽シーンではタンジェリンドリーム、クラスター等の音響派、現代音楽のサウンドコラージュなどを想起するかも知れない。それらは作曲のセオリーを無化した非構築なところから始まるもので、音楽の概容そのものが必然的に音響による彫刻のようなものになる。しかしストラングラーズはこれらとは異なり、構築的なポップスによって音響による彫刻を成立させたのである。それはバンドメンバーの演奏力とアレンジのアイデア、録音の緻密性などに因るところが大きい筈だ。

アルバム『オーラル・スカルプチャー』は『フェライン』以上の美しいメロディーを持ち、リズムはこれまで以上に明確である。ジェットブラックは新しい形のパルスビートの体現者となっている。デジタルとアナログの合体的陶酔感を持つ彼のドラムはビートがポリリズムや変拍子、アウトゾーンに頼らなくても、普通のインテンポに於いて充分、空間的、重層的たりうる事を示すものだ。そしてデイブグリーンフィールドはもはやロックキーボードの頂点だろう。その多彩な音色とフレーズ、リズムに密着したドライブ感はベースの役割さえも担っている。J.Jバーネルのベースは相変わらずヘビーだ。初期のエッジの効いたリードベース的要素は薄れたがより、うねりを増している。特に「ice queen」でのベースはすごい。シンセベースと聞き違うほどのデジタル感覚に乗ったグルーブ感。独特のダブ処理により、ラインが読みとれない程の横の振幅を実現している。フロントマンのヒューコーンウェルの熱血漢ぶりも健在で、繊細さと野性味を兼ね備えた希有のプレイヤーであろう。

 

********

 

ストラングラーズのサウンドは4人のインストゥルメンタルの革新性が支えている。4人の個性が合体し、作曲されたものを超える力となる。そんなマジックが『オーラル・スカルプチャー』で実現されているのだろう。

アルバムに収録された各曲は紛れもないポピュラーであり、実験音楽ではない。そしてそのポピュラーとは言葉本来の意味としての大衆ネットワークへと向かうものである。その創造物はある‘客観性’へと辿り着くだろう。ストラングラーズは『オーラル・スカルプチャー』で以前のヨーロッパ様式美をも捨て去り、ある絶対性へと辿り着いた。

ロックによるメッセンジャーであるストラングラーズにはその音楽がグループの手から離れる事のない主観が存在する。初期においてストラングラーズの主観がリスナーの主観と一致してあった時、最高のエネルギーへと変容した。しかし『レイブン』以降のストラングラーズはそのサウンドメイクにおいて主観と主観の一致という構造を解体してきたように思われる。そこにある種の混乱やカオスが生じた。私達のとまどいの原因はそこにあったし、初期ストラングラーズのファンが明確に離れていく過程にはグループの新しい音の構築と早い変貌に対しファンがついていけなくなったという事実があった。

 

ではストラングラーズは何を目指し、何処へ行こうとしたのか。『オーラル・スカルプチャー』で彼等は‘客観的な場所’そして‘唯一的な建造物’を作った。ここにはグループの変わらない強固な意志と主観が反映されている。しかもそこにあるのは決してグループの手を離れて自由に遊泳する客観性ではない。自由に解釈し得る客観性とはストラングラーズの本意ではあるまい。『オーラル・スカルプチャー』の客観性とはある信望と支持の集合体としての客観性である。ストラングラーズはそれを一旦作ってから無名性へと至る。こうして作られた音楽は作り手と同等のスタンス、大衆と同等のスタンスで成立する。このスタンスは重要だ。なぜならこのスタンス、即ち客観性こそはコマーシャリズム(或いは反コマーシャリズム)等、音楽に付随する要素に対しても同等の距離を保ち得るからだ。何ものからも吸収されない所に立つ音楽、あるワンサイドからの影響からま逃れ得る音楽とはそれ自体が自律的存在である。そしてその自律性は音楽が一人歩きする‘自立’ではなく、ストラングラーズの場合、一つの抽象的な支持の総体としての最大公約数的な自律性なのである。

ストラングラーズの意志を濃縮した音楽がストラングラーズの手を離れる。しかしその過程に於いて許容し得る全ての差異を取り込み、大きくなった支持の形となった客観性こそが『オーラル・スカルプチャー』なのだ。グループの主観(メッセージ)とそれを受けたリスナーがオリジナルを生む契機を発見する事によってグループとは違う主観を作る。そこに生まれる価値、要素がグループと対峙しながら総体的には大同一致する大きなエネルギーへと至る結果になるのである。

ここには初期にあった主観と主観の単純一致ではない、高度な交感としての音楽のマジックが成立したと言えようか。

 

『オーラル・スカルプチャー』は『ブラックアンドホワイト』と並ぶ最高傑作である。両者のスタイルの違いは歴然としているが、グループのラジカルな姿勢は一直線に繋がっているだろう。これはパンクの進化の形そのものである。ストラングラーズというグループはとどまることを知らない批評性の連続の中に生きている。かつてヒューコーンウェルは「俺たちは新しいものを創造しようとしてきた。もし俺たちにそれを不可能ならストラングラーズを続けていく意味はない」と語っていた。ストラングラーズは進化する事を自ら至上命題としたグループであるのだ。

そんなストラングラーズの次作は『ドリームタイム』(dream time)である。これは1986年に発表された。『オーラル・スカルプチャー』で新たな頂点を極めたグループが再び変貌する。全くこのグループは二度と同じ事をしない。

 

『ドリームタイム』

 

アルバム『ドリームタイム』は「always the sun」というグループ歴代のナンバーでもベストと言える傑作ナンバーで始まる。この曲は全く素晴らしい。穏やかで美しく、且つ力強いビート=生命力に溢れている。そのメロディーは優美であり、陰影に富む最高のドラマ性を持つものだ。そしてこの曲の持つカラー、雰囲気がアルバム全体を支配し、一貫性を決定づけていると言っても良いだろう。

歌の内容は現実の不平等や不条理をシニカルに批判しつつ、希望の光を見出すものだ。

攻撃的なストラングラーズが‘希求’というスタンスへ移行したかのようなこの曲はそのメロディーも穏やかで少しばかり悲しい。ジェットブラックのドラムは相変わらず重く力強いが、この曲の性格は哀愁や願い、祈りという感覚も感じられる。

グループの批評精神や問題意識は不滅である。しかしストラングラーズのアジテーションは嘗ての先鋭さから比較するとより分散された抽象的なものへと変質されている。そしてそこには相対主義の堂々巡りの中で闘いぬいてきた者だけが辿り着いたある調和の地平が見出される。それはあきらめでも敗北でもない事は確かだ。しかしこの一種静寂感とたおやかな状態は批評性の後に来る一つの肯定性と攻撃的要素の大地定着的な安定感のようなものだ。従ってここには揺らぎのない、安定的な批評性とでも言うべきものがある。4曲目の「you’ll always reap what you sow」は「always the sun」と並ぶ同アルバムのハイライトであると思われるが、この天上感覚と大地感覚が一体化した安定的サウンド、その暖かく、優しいサウンドはストラングラーズの到達点を思わせるものだ。

 

ストラングラーズの『ドリームタイム』は「always the sun」と「you’ll always reap what you sow」の2曲の持つ優しさとドラマ性が支配するアルバムとなった。そしてこの優しさとはグループの批判意識と表裏一体のものである。アルバムジャケットには夕陽に映える未開社会の部族のシルエットが映し出され、裏ジャケットにはひび割れ崩壊する大地が描かれている。そしてオーストラリアの先住民族アボリジニーのスクリプトが掲載されている。その最後は「我々民族を捕らえる多くの罠がある。しかし我々は強さと誇りを持ち、生き続ける。」という言葉で締めくくられている。

ストラングラーズは嘗てアルバム『レイブン』(79)の中の「nuclear device」でアボリジニーを取り上げた。それはこの精霊の民と言われる民族が世界的注目を浴びるもっと以前の事であった。ストラングラーズは早くからエコロジーの視点、そして被抑圧者としての少数民族の問題を捉えていたと言えよう。

ストラングラーズの全方位的な問題意識の顕われが本作でも発揮される。‘dream time’とはアボリジニーの独特の宗教観であるドリーミングストーリー(天地創造説話)に基づく

‘dream time’=天地創造時代の事である。ここでは地上や天空に存在する全てのものが永久である事を教え、人間も動物も草木や山、川、そして風、雨も生あるものとしてこの世に平等に存在するものであるという考えである。

ストラングラーズのエコロジカルな視点はグループの長い闘争の歴史の最終段階なのかもしれない。ストラングラーズの存在価値とは切迫するテーマの永続性を認識し、創造行為による現実的効果を目指す事と言い切れる。その為、グループは音楽性そのものを革新し続けなければならなかった。

 

しかしそのストラングラーズが『ドリームタイム』で革新の運動を止めた。この作品はこれまでの各アルバムに一貫して在った驚き、意外性が存在しなかった。扱うテーマの重さは継続されたが、少なくとも音の様式においてこの作品ほど安心感と中庸的なものを感じさせるアルバムは嘗てなかった。ただ、その事が本作の否定的要素とは決して感じられないのは、やはりソングライティングの良さに因るものだろう。『ドリームタイム』には革新を超越する絶対的な空間があった。

 

ストラングラーズは『ドリームタイム』によって‘ある場所’に行き着いた。それは批評性の円環の中で盲目に傷つきながら尚、闘争を継続しようとする‘反(アンチ)’の拠点である。そしてその場所は迷路でありながらも、緩やかな感情が一貫して支配する暖かい場所でもあった。ストラングラーズは初期のストリート性、中期のヨーロッパアイデンティティーという土着性を離れ、ワールドワイド且つミクロ的な空間主義へと転じている。

そして批評精神がある客観性や希求、願いという柔和なスタイルを持ち、静かに現れる。

『ドリームタイム』の暖かさはグループの新たな局面ではある。しかしサウンド面でのラディカリズムはストップした。『オーラル・スカルプチャー』までのストラングラーズにあったポップや優美さまでも攻撃的に処理、構築するような硬質で冷えた感触を『ドリームタイム』では聴く事はできない。この作品での各曲にはそれに反比例するかのような絶対的な暖かさと穏やかさがある。

このサウンドの変化はストラングラーズの意識の変化である。グループの歩みはその初期に於けるストリートからのアジテーションで始まり、中期にはヨーロッパアイデンティティーへの迷宮的入場による危機意識の放射。そして音響による人間の知覚の変容、新生のテーマへと至り、『ドリームタイム』で自らの聖域へ入っていく。そこは相対主義が克服された調和と秩序の状態だ。そしてストラングラーズはそこから福音的な真言を暖かいサウンドにのせて散布しているかのようだ。

 

アルバム『ドリームタイム』で私が感じた印象は以上である。そして私が予感した事はストラングラーズはもう先がないのではないかという事である。歌うべきものが無くなったという意味ではない。グループの持つテーマ、問題意識の前進速度と距離を開けはじめたサウンドによる予感である。ストラングラーズが今後、活動を継続してもそれなりに良い曲を書くだろう。しかしそれは多分に中道的なものになっていくだろう。

音楽が客観性を保持し、高いテンションで自律する為にはもう一度『オーラル・スカルプチャー』のような彫刻的作品を作らねばならない。そしてそのような作品を作るには外部のサウンドメーカーも必要かもしれない。しかしそうゆう方向には、もう行かないのではないか。『ドリームタイム』からはそんな印象も受ける。そこにはストラングラーズの闘争の総括としての天上の音楽が鳴り響いていた。

 

『ドリームタイム』は当時の私には滲みた。この暖かい空間は何なのだと思ったものだ。漠然とした‘寒さ’の中に在ったと記憶する当時の私の生活。そんな中で買ったこのレコードであった。「always the sun」を聴いた時の感動は大きかった。晴れ間が拡がり、希望をそこに見た。もはやストラングラーズという過去、大きな思い入れを持ったグループに対する過度な期待より、単純にこの曲の暖かさが私には嬉しく、救われた気分であった。

ストラングラーズの終焉を予感した私だが、ライブアルバム『all live and all of the night』が届いたのは1年後であった。これはしかし熱狂的なライブであり、バンドの継続を期待したが、その後3年を経てリリースされたアルバム『10』(90)はその内容の無さに私は全く共感できなかった。やはりという感じを持った所へ飛び込んだヒューコーンウェル脱退のニュース。私はヒューのコメントを知らないが、J.Jバーネルの「彼は曲を書かなくなってしまった」というコメントだけを覚えている。ストラングラーズの終焉が近づいてきた。

 

『all live and all of the night』 『10』

 

ストラングラーズのライブアルバム『all live and all of the night』は『ドリームタイム』の一年後1987年に発表された。パリとロンドンでのライブが収められたこのアルバムは私達が全く知ることがなかった80年代ストラングラーズのライブバンドとしての絶頂を窺えるものだ。アルバムトップはあの「no more heroes」である。10年振りの「no more heroes」。パンクという新時代の幕開けであり、新しい時代と価値観のオープニングテーマであった「no more heroes」。10年前の宣言を再確認するかのようなヒューコーンウェルのシャウト。そして圧倒的にサイケデリックなギターソロ。観客の熱狂、‘no more heroes anymore!’という大合唱。何ということだ。ストラングラーズの変わらぬステージング。あの狂熱のライブ盤『Xサーツ』と同等のエネルギーがここにある。

そして曲は「always the sun」、「golden brown」、「north winds blowing」、「the european female」と後期ストラングラーズの名曲が続く。涙腺が緩むのは私だけか。アルバム『ブラックアンドホワイト』の中から「nice ‘n sleezy」「toiler on the sea」も演奏される。アレンジが大仰にはなったが、力強さは健在だ。ジェットブラックの年齢を感じさせぬヘヴィーなドラム、デイブグリーンフィールドのキーボードマジック、そしてJ・Jバーネルの過激さ。

日本で忘れられたカルトバンド、ストラングラーズはイギリス、ヨーロッパでは圧倒的な支持の元に在り続けていた。この事実を私達は思い知らされるだろう。「golden brown」のイントロでのオーディエンスの熱狂的な反応は何なのか?ここには紛れもなく初期のパンクスタイルのストラングラーズへの熱狂と同質の支持がある。つまりストラングラーズのパンクの継続性の証明なのである。

私は当時、このLPを聴いて不覚にも涙が出そうになった。それは曲への感動を超えたストラングラーズの存在そのものへの感動であり、感謝であったと思う。

 

********

 

『ドリームタイム』から三年を待ってリリースされたオリジナル10作目『10』でストラングラーズは終焉を迎えた。1990年の事である。10枚目なので『10』というタイトルをつけたストラングラーズ。この何も意味しない、何のコンセプトも感じられないタイトルから解るようにストラングラーズはここで進化をストップした。内容は歯切れの良いビートを基調としたポップロックで寓話的要素や曲調にキンクス等、ブリティッシュロックの伝統に従う良質部分を感じさせるものがないでもない。しかしその仕事はストラングラーズじゃなくても他のバンドがやれば良いものだ。ここにはストラングラーズ特有の硬質さと神秘がない。表面的な曲の良さのみを指して、このアルバムを良しとみる向きもあったが、私にはグループの崩壊が垣間見えていた。やがて飛び込んだヒューコーンウェル脱退のニュース。しかしJ・Jバーネルは新メンバーを入れ、グループを継続させた。

 

そして1992年12月、私はストラングラーズを観た。約14年振りにストラングラーズは来日したのである。そこにヒューコーンウェルは居なかった。そして見知らぬシンガーとギタリストがいた。観客もまばらな心斎橋クラブクアトロで観たそのステージはチラシにあった‘元祖武闘派ロック’という文句がむなしくなる程、凡庸なものであった。「I feel like a wog」,「hanging around」,「tank」等ストラングラーズ栄光のナンバーも色あせて聞こえる。アンコールは「dutches」。アルバム『レイブン』の隠れた名曲である。ストラングラーズはナツメロ大会をやった。『stranglers in the night』という新作の意味を探ろうとした私の意図は果たせなかった。新グループの存在意義と新しい闘争の形は見つける事はできなかったのである。

ストラングラーズは確実に終わった。あの日、J・Jバーネルは空手の‘押忍’のポーズをしてステージを去った。

私は失望しなかった。私は終わりを確認しに一人で出かけたのだ。逆に私は誇らしかった。あの少ない観客の中に私もいたのだ。あの日、クアトロに来た客はストラングラーズの熱狂的ファンだろう。関西の全ストラングラーズファンがあそこに居たのだ。それは全く寂しい人数であった。昔、パンクに熱狂し、ストラングラーズ、ピストルズ、クラッシュ、ダムド等に自分の人生を変えられた(筈の)人間がたくさん居た。彼等は今、どこへ行ったのだろう。ストラングラーズが日本に来たと言うのに。私はいた。そしてストラングラーズの死をこの目で見届けた。

 

1996年10月

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パンクという拠点 ストラングラーズ(前半)

2020-05-06 | 新規投稿

デイヴ・グリーンフィールド(ストラングラーズ)逝去。71歳。確かジャン・ジャック・バーネルがキーボード奏者をメンバー募集した際、「他のヤツはリックウェイクマンみたいにダラダラ弾いてたが、デイブだけが違った。サイケデリックだった」と語るインタビュー記事を読んだことがある。私にとってはパンクはセックス・ピストルズ、クラッシュではなく、ストラングラーズ、ダムドであり、その想い入れを拙書「満月に聴く音楽」に書いた。その文章をここにアップしました。日付を見たら<96年10月>とあり、その月日の流れの速さに驚きますが。

尚、全体の文字数が規定を超えているので(前半)(後半)と分けております。

 

パンクという拠点 

ストラングラーズ 

「something better change」

 

1979年来日したストラングラーズは京大西部講堂でのライブで「something better change」を5回演奏しただけでステージを降りた。それを「音楽専科」で読んだ私は当時、17才。ライブに行けなかった事を悔やんだ記憶がある。外タレによるこんなコンサートは前代未聞で以後もこのような例はない。何かに怒っていたようだ。それはエンターティメントではなく‘change’する事への意志と覚醒を聴衆に促す場としてのライブであった。多くの来日アーティストが観光気分も手伝って、普段より幾分ショーアップに心掛ける我が国で(露骨に手を抜く例も多々あり)このようなライブをするストラングラーズとは如何なるバンドなのか。しかしこのストラングラーズの行為こそパンクそのものである事に異論は無いはずである。

 

結論から言えばパンクとは音楽の一ジャンルを指す言葉ではなく、ストラングラーズのこの行為に象徴される一つの態度、在り方を問う精神の事であった。従って私が以前、立ち読みした‘ロックの歴史’なる本でパンクを‘70年代’という括りでグラムや、ハードロック、プログレ等と並列に論じていた文章に違和感を覚えたのもパンクを規定する‘音以外のもの’を無視している為であったと記憶する。

まずパンクは70年代の音楽ではない。それは言うなれば70年代後期に発生し、80年代以降の状況を用意した音楽である。そしてパンク以前とパンク以降の音楽界はまるで違う風景を持っていた事は当事者ならば、誰しもが実感する事であろう。しかもそれは音楽以外の社会的、文化的なものへの浸透力が大きかった点で他の音楽ジャンルとは別物であった。グラムなんかとは比較の仕様がないのが事実なのだ。

 

パンクを教科書的に定義すると次のようになるだろう。

ビジネスとして巨大化したロックをもう一度、ストリート文化に根ざしたものに変えようとする意志、そしてミュージシャンという特殊技能者だけのロックを誰もが表現できるものに変えようとする意志、活動の場所や作品の発表を企業が支配するロックビジネスに頼らず、固有の独立流通経路を通じ、表現の場を自分たちで確保していこうとする意志に基づいた音楽表現であると。勿論、その社会性、メッセージ性は際立つ要素である。

 

パンクはニューヨークパンクが先行し、風俗的レベルで話題の多いロンドンパンクがムーブメントを牽引したが当時はスキャンダルなニュースが嵐のように吹き荒れた。セックスピストルズがライブで電源を切られたとか、右翼に襲われた、ストラングラーズがインタビュアーを殴った、シドビシャスが恋人を殺した、パンクスとスキンヘッズの乱闘、放送禁止、不買運動...私は当時、「音楽専科」でそんな記事ばかり読んで喜んでいた記憶がある。そんな台風のような熱狂の中、セックスピストルズが解散。new waveと呼ばれ、以前のold waveを商業主義便乗によるみっともない長寿、延命策に走る醜態として攻撃したパンクの顔、セックスピストルズはその通り‘延命と完成、成熟の拒否’を実践してみせたのである。

しかし私はこの稿でストラングラーズ(STRANGLERS)、ダムド(DAMNED)というパンクの中で最も長く‘延命’するバンドの事を書きたいと思う。この二つのグループは長い活動に於いてパンクスピリットの昇華を音楽的完成度に於いて具現化してみせたグループとして、その存在は貴重である。

 

『Ⅳ』 『ノーモアヒーローズ』

 

1977年に発表されたストラングラーズのデビューアルバムには『Ⅳ』と記されてある。フォースアルバムであると誤解しそうなこの『Ⅳ』の理由はこのグループがこの時点で既に4年のキャリアを持っている事に因るものだ。

ストラングラーズは活動歴が古く、そしてパンクとしては高年齢なメンバーで構成されていた事もグループの音楽性と無縁ではない。デビューアルバム1曲目「sometime」のイントロを聴くだけで私達はドアーズを想起するだろうし、サイケデリックの復活をイメージするだろう。ストラングラーズはパンクとしては珍しくキーボードを全面にフューチャーしていた。ベーシスト、ジャンジャックバーネル(以下J.Jバーネル)はキーボードプレイヤーをオーディションした際、「他のプレイヤーはみんなリックウェイクマン(イエス)みたいなダラダラした演奏をしたが、デイブだけがサイケデリックでカッコ良かった」と語っている。

デイブグリーンフィールドのキーボードはグループのカラーを決定付ける要素であった。演奏スタイルはドアーズのレイマンザレクと似ているがメロディーでリズムバッキングしながらのベースに密着した歯切れの良いパルス音はジャーマンロックからくるテクノ感覚にも共通する。従って機械的トーンと意識錯乱的なアメリカンサイケのトリップ感覚を併せ持つようなスタイルだ。同時代にはXTCのバリーアンドリュースやトーキングヘッズのジェリーハリソン、或いはウルトラボックスなど、ユニークなキーボーディストが居たが、デイブグリーンフィールドの場合、それらよりもどろっとした粘着性とアグレッシブ性を感じさせ、しかもスピード感覚は飛び抜けていた。聴いてすぐグリーンフィールドだと解るほどの個性を最初から持っていた。

 

そんなストラングラーズの音楽性にはold waveな要素が最初からあった。このデビューアルバムにあるじわじわと感覚伝播するトリップ感は嘗てのドアーズ=ジムモリスンが持つ狂気や超意識を彷彿とさせる。そして‘ストラングラーズ(STRANGLERS)’とは‘絞首刑執行人’の意味であり、彼等はそんなグループ名に相応しい攻撃的な歌を歌った。サウンドがややサイケでもその歌の内容においてはストレートな告発という要素が強く‘怒り’を持つ表現者として登場し、認知されたのである。その意味でストラングラーズは正真正銘のパンクだったのだ。グループの4人、即ちヒューコーンウェル(vo,g)、ジャンジャックバーネル(b,vo)、デイブグリーンフィールド(key)、ジェットブラック(ds)は皆、一様に強面であり、カメラに向かって笑いかけているようなポーズ、写真は皆無であった。私は雑誌でストラングラーズの写真を見る度に怖いという印象を受けたものだ。特にジェットブラックの顔が危なかった。しかもいつも黒い服をきていた。全員が。

 

ストラングラーズが知れ渡るのはデビューより1年前に行われたパティスミスのイギリス公演の前座を務めた時である。パティスミス、テレビジョン、リチャードヘルなどのニューヨークパンクはロンドンパンクに比べ、歌う内容の詩的レベルや超越意識の点で格段にアーティスティックであり、労働者階級の音楽と形容されたロンドンパンクとは異なる世界を持っていた。ボブディラン、ルーリードの直系であるニューヨークパンクは初期衝動だけのエネルギーによる音楽ではなく、高レベルな幻視を行う詩人のカラーがあった。そしてロンドンパンクに見られる世代間の断絶も無かったのである。それは良くも悪くも芸術的であったと言えようか。

 

ストラングラーズはロンドンパンクにあるリアルな社会性、ストリートに密着するスタイルに加え、ニューヨークパンクに在る狂気、超現実志向を併せ持つグループである。当時、パティスミスに退屈を感じたイギリスのストラングラーズファンはそのストラングラーズがその後、曲の多様化と共にパティスミス以上の内省性と精神世界へ向かっていく事を一人として予測できなかったはずだ。当時のストラングラーズはサイケデリックかつスピード感が一貫していた。それは時代の速度と一致して在ったし、当時のパンク支持者の渇きを癒す衝動とその波形を同一にしていた。

 

デビューから半年後のセカンドアルバム『ノーモアヒーローズ』(no more heroes)はファーストにあったold wave臭を一掃するようなスピード感覚を持って登場した。‘ヒーローは要らない’という反スター、反英雄主義を宣言したニューウェイブの道標を示す歴史的名盤である。ポップスターのサクセスストーリーやアメリカンドリームに象徴される上昇志向、その幻想、その無意味性を葬り去り、価値観を転換させるものだ。それは次世代の重要課題、‘インデペンデントの拠点作り’への引導でもあっただろう。

この時、時代は変わった。ニューウェイブによって、ストラングラーズによって、『ノーモアヒーローズ』によって新たな人間のマインドの誕生を示すマニフェストが現れたのである。本当に。

 

A面1曲目「I feel like a wog」を聴くだけで私達は電気ショック的衝撃に立ち会えるだろう。J.Jバーネルのソリッドなベースとジェットブラックのヘビィタイトなドラム、グリーンフィールドの挑発的に煽るキーボードにヒューコーンウェルのシャウト。ストラングラーズの典型がこの曲で完成する。それは倍速化したドアーズであり、圧縮されたジミヘンドリックスのようだ。

ストラングラーズは『no more heroes』に於いてジミヘンに在る電磁波のうねりのようなエレクトロニクスの快楽をハイスピードなリズムの中で細分化してみせた。J.Jバーネルのベースプレイは以前のロックから遮断されたところにある唯一無比なサウンドであり、ピックのアップダウンによるソリッドでしかも早いリフを連続演奏する。そのボリュームも大きく、常に曲のフロントに立つ。とにかく目立つベースであった。

 

J.Jバーネルのベースはデイブグリーンフィールドのキーボードと同じ性質のパルス持つ‘新しい音’として認識される。それは電磁波のうねりが一つの信号のように響くという音感に於いて今までにないロックの‘新しい音’と感じさせるものであった。曲にロックンロール色、或いはR&B色が希薄な事もそう感じさせる一因だろう。ストラングラーズのビートの形とスピードは明らかにロックンロールの陶酔感そのものだ。しかし、ルーツをアフロアメリカンに求めるロックからの影響より、むしろポップスからの影響も否定できない要素であろう。

私は『ノーモアヒーローズ』に収められた各曲に未来的な輝きがあった事を当時感じ、今、改めてそう思う。それらは一様にポップフィーリングに溢れ、攻撃的ではあるが、どこかキラキラしたダイヤのようなポップスであった。

「bitching」、「something better change」、「bring on the nubiles」、「dead ringer」、「dagenham dave」などのアジテーションはいわば‘時代のポップス’と呼ぶべき歌なのだ。いずれの曲もヒューコーンウェルのシャウトの男臭さ、過激さが迸るが、それぞれの歌のメロディーの何と味わい深い事か。全くこのグループは何度でも聴きたくなるような曲作りをしている。

 

ストラングラーズは低姿勢からアジテートするが、常にポジティブな思想に貫かれている。だから決して暗く沈み込む音楽にはならない。むしろ前向きさを喚起する明るさがある。それは悲観論やニヒリズムの排除の意識に因るものだろう。

ストラングラーズは眼前に在るテーマ、内から湧き出る問題意識を凄まじいスピードで表現する。グループの社会派としての性格故、様々なトラブルに巻き込まれるが、活動は誰にも止められないスピードで突き進む。年間270本のステージ、右翼からの襲撃、テレビ出演の際の乱闘、リブ団体からの抗議、ボイコット運動、警察とのトラブル、マスコミからの総スカン的包囲網。ストラングラーズは自らが関知する全ての問題に対し全面的に挑み、妥協をしない。

正にストラングラーズは全てに於いて確信的であろうとした。

『ノーモアヒーローズ』はロック、そして人間の新しいマインドの幕開けであったし、それを宣言したストラングラーズは個のスタンスと連帯、強いネットワーク作りへと向かっていく。

その気になれば可能な大会場での演奏を拒否し、過酷なクラブツアーを敢行する姿勢は聴衆との連帯を強調するグループの基本姿勢である。そんなストラングラーズのライブがショービジネスとは無縁にあるのは言うまでもない。時に観客に対し椅子を壊し、警備員を排除するよう訴える事も辞さない。ストラングラーズは時代の閉塞感、不可能性に対し常にアグレッシブに行動した。

 

私は先ほど、『ノーモアヒーローズ』には未来的な輝きがあると書いた。それは私がこのアルバムを何度も飽きることなく聴き続けて感じる事だ。まずベースとキーボードの独特な絡み方がとてもカラフルだ。シンプルな音色がこれほどまでに色彩豊かに響くロックを他ではなかなか聴けない。そしてストラングラーズ特有のポップ感覚。それはストレートなロックが常にま逃れ得ないR&B色を排除する事で、ヨーロッパを意識する土着性へと向かっているのだ。この点は後期の活動に於いて顕在化する事になる。

カラフルな音の外観にヒューコーンウェルの熱血ボーカルが重なる奇妙な一体感。そしてヘビイネスとスピード。これが当時のストラングラーズだった。

 

70年代後期、ストラングラーズ程‘怒りまくっている’グループはいなかった。ある意味では否定性の固まりのようなものだ。しかしそんなグループがタイトでスピードに満ちたポップスを演奏する時、私達は未来へのポジティブな展望を夢見、自らの行動を開始するだろう。それは‘輝き’に満ちている。ストラングラーズは‘ポップ’を維持する事で常に‘攻撃的’で在り続けるのだ。

 

『ブラックアンドホワイト』

 

ストラングラーズの‘未来的な輝き’が最も具現化した曲「walk on by」はサードアルバム『ブラックアンドホワイト』(black and white)の発売とほほ同時にリリースされた。バートバカラックの名曲を大胆なアレンジで再構築したものだがこの曲は全く信じられないくらい素晴らしい。サビのボーカルとバックコーラスの美しさ。長大なギターとキーボードソロに絡むゴリゴリしたベース。歌とインストの素晴らしい対比、ビートの反復からくるトリップ感。キャッチーな歌メロを硬質なポピュラーとして再生するアレンジ能力。ハードボイルドな歌声とどこか幻想的なインストカラーの妙なマッチ感覚。

この曲はストラングラーズの政治的発言や過激な歌詞など、アグレッシブな面ばかりに注目していた人々に対しショックを与えてしまった。グループの音楽創造の力量を充分に示すものだったのである。

「walk on by」には‘アグレッシブ’‘リラックス’‘幻想的’‘錯乱的’‘優美さ’‘重量感’

などの要素が違和感なく共存している。この曲はストラングラーズという硬派なグループでしか演奏できない種類のポップスだ。ヨーロッパ美意識を全面に打ち出す作風へと移行していく後のストラングラーズの発芽がここにある。メロディアスで夢幻的なビジョンと社会批評眼、それが骨太なビートで歌われる時、新しいヨーロピアンポップスの到来を予感させる。

ヒューコーンウェルのボーカルは全く素晴らしい。労働者階級でスラングだらけの多くのパンクロッカーの中にあってヒューだけはその発音の正しさ故、大学卒であった事が判明したというエピソードもあったが、正にヒューコーンウェルはインテリヤクザのようなキャラクターのフロントマンであった。

 

傑作シングル「walk on by」に続き、サードアルバム『ブラックアンドホワイト』は1978年に発表された。一般にグループの最高傑作と言われるこのアルバムでは前作『ノーモアヒーローズ』の明るさ、軽快さが薄れ全体に重さが貫かれている。そしてスピードは健在だ。只、スピードの質が変わった。『ブラックアンドホワイト』に於いてストラングラーズのスピード感は重量感を併せ持つ事によりミディアムテンポの曲でさえ、より攻撃的になる。音にも間を感じさせるものが増え、J.Jバーネルはソリッドなベースによるあらゆるオブリガードを注ぎ込む。その結果、サウンドは立体的になり、ロックンロールのスピード感とは別の疾走感と上下、前後に音が運動するようなサウンドが成立した。

 

1曲目「tank」の速さと重さは新しいストラングラーズを象徴するだろう。

J.Jバーネルのベースは凄い。ジャズのランニングベースを高速の8ビートに乗せてしまったような強烈なドライブ感。しかもその音は危険な程、ソリッドだ。

彼は恐らくロック界最速のベーシストだろう。その音量に於いてもけた外れに大きく、音の鋭角さに於いても彼以上のベーシストは見あたらない。それは全て彼の思想、人格からくるものなのだ。

ジャンジャックバーネル。皮ジャンとバイクを愛するフランス人。三島由紀夫に傾倒し、極真空手の黒帯という謎の人物。そして只ならぬヨーロッパ主義者にして反米、反権力思想の持ち主。曰く「俺はノルマン人種であり祖先はバイキングだ。バイキング魂は死なない。非常に強いスピリットなんだ。日本にも強いサムライ魂があるね」

J.Jバーネルは思想の血肉化を要求する。思想を机上の空論に終わらせない為、そして現実への反射体として思想そのものを生活の拠点とする為に。彼は現代の病理や不条理と自らが当面する不可能事に対峙する。その為のスピリットは強力だ。自らの抱える問題意識が深まる程、そして多くなる程、彼のベースは攻撃的、鋭角的になる。そして音楽的完成度も高くなる。J.Jバーネルとはそんなタイプのプレイヤーだ。

 

アルバム『ブラックアンドホワイト』ではそんなJ.Jバーネルのベースが縦横無尽に疾走する。それはリズムキープであり、且つリード楽器としてのベースの存在感を示すものだ。

アルバムはスピーディーな「tank」からミディアムテンポのアフタービートによる「nice ‘n sleazy」、ルーズな3拍子による「outside Tokyo」へとそのリズムの変化が顕著に現れる。多様なリズムを獲得したストラングラーズはそのサウンドが立体的になり、あらゆる音楽創造の可能性が芽生えたと言っていいだろう。

 

ストラングラーズによる‘black and white’の概念。私の理解ではそれは確信性の象徴の事である。そしてそれに反する概念は‘中庸’であり‘グレイゾーン’であろう。

アルバム『ブラックアンドホワイト』によってストラングラーズはあらゆるグレイゾーンを排した絶対性への賭けにでた。グループが内包する怒りは自らのブラックアンドホワイトゾーンを通じて表出される。グレイゾーンを断ち切る事で全面的敗北さえ避け得られぬ闘いへと自ら入っていく。

アルバムの解説には「ストラングラーズはいよいよ本各的に噛みつき始めた」と書いてある。その通りだ。ストラングラーズは敵性を認識し、攻撃する。その表現はまず音に顕われる。無駄な音が一切無く、一つのリズム、リフ、フレーズが雄弁さと表情を持ち‘想い’が伝わる音世界をクリエイトしているのだ。音が既に、何らかの訴え、宣言という性格を有してしまっている。そして歌詞に於いてストラングラーズはあらゆる自問、批判、確信を繰り返す。

 

「curfew」

ドイツは全ての国境を防御に失敗した

アメリカの夢で軟弱になっていたのだ

ロシアの大草原からやってきた男達が彼等の空虚を持ってきた

新しいかたちの自由 自由とは束縛

何もする事がなくなった時

俺は多分、愛でも見つけるだろう

 

アメリカナイズという思想的空白状態はコミュニズムの侵入を招くという危機感の事か。

しかしこれは比喩であろう。強調すべきは形を変えながら登場する抑圧システムの存在である。それは無くならないものとして永遠のテーマとして認識される。

 

「threatened」

俺に言える事はただ

あんたの存在がどんな形ででもおびやかされていないかどうかだ

俺のおふくろの一切れをもってきてくれ

俺とまるで一心同体だったんだ

 

ストラングラーズは絶えず脅威を訴え、危機を煽る。この執拗さに我々は違和感を覚えるだろう。私達日本人の平和ボケは世界一であり、アメリカの核の傘での安全保障が実は危機意識の内部崩壊を進行させている要因である事にも気づいていない。本物の危機の到来に対し、我が国は無防備であるだろう。

 

「do you wanna?」

囚人たちを解き放せ

大赦の年だぜ

 

私はシュルレアリスト、アンドレブルトンによる1925年のパンフレット「牢獄を開け、軍隊を解散せよ」を想起する。ストラングラーズは嘗て刑務所の囚人の権利を守る為のチャリティーコンサートを行っている。グループの全方位的な姿勢は自らが関知する問題や見過ごす事ができないテーマについて片っ端から取り上げていく。そして短絡的とも言える素早さで具体的行動にでる。その忙しさはロック界随一だろう。まことに尖ったバンドである。

 

「death and night and blood(yukio)」

俺は俺の肉体を俺の武器にまで鍛え上げるんだ。

俺の意思表明にまで

 

三島由紀夫へのオマージュであるこの曲はグループの代表的作品の一つだろう。

三島の後継者、民族派の故野村秋介氏は‘肉体言語’‘思想戦争’という言葉をよく使用していたが、それは思考の実践、行動への反映についての概念である。

ストラングラーズもまた、思惟を言語化し、音楽化する。しかも実生活へ反映させる事で自分そのものが‘行為する思想体’となる。グループは当時、性急とも受け取れるほどアクティブな存在だったが、この時期、様々な妨害やボイコット、弾圧にも一歩も引かぬ構えをとっていた。ストラングラーズのこの時期のスピードは自らのインディーゾーンの拠点作りを急ぐべく外のシステム(音楽ビジネス以外も含む)を無視する自主性に貫かれていた。グループが現実に於いてどうゆうポジションを目指し、音楽の効果についてどのような明確な意図を持っていたかは解らない。只、当時はストラングラーズのスピードが情況そのものを巻き込みながら、ある種の開放行為をがむしゃらに押し進めていたという事だけは言えるだろう。

 

「in the shadow」

夜に通りを歩いている時 振り返ればおびえ死ぬ

暗闇の中にあるものは何だ

動いている ぴかぴかしている かがやいている

見まわしてごらん

 

「enough time」

空が真っ黒になったら何が起きる?

海が押し寄せてきたらあんたはどうする?

あんたにたっぷり時間はあるのかい?

 

ストラングラーズはまたしても危機感を煽る。私達への問いかけであり、問題提起でもある。アルバム『ブラックアンドホワイト』のblack sideは全体的に重く、暗い。しかしその暗さは決して神秘には向かわない。ストラングラーズは暗黒の一歩手前で踏み止まる。グループのリアリストたるスタンスがそうさせるのである。

 

ストラングラーズは『ブラックアンドホワイト』によって曲の組み立て方、つなぎ方、アレンジ、リズムの多様化などの向上からもはやパンクを超えてしまった。ここには初期パンクのアマチュア臭さは見られない。ここに在るのはパンクスピリットの昇華地点としての音楽的完成度の極みなのである。成熟したパンクの真の反抗的拠点がここに誕生したのだろう。

この音楽はパンクファンのみならず全ての音楽ファンが注目せざるを得ない広域性を持つものである。当時パンクをバカにしていた私の友人(ELPのファンだった)が『ブラックアンドホワイト』を聴いてショックを受けていた事を思い出す。

 

そして注目すべき事はストラングラーズが『ブラックアンドホワイト』によって後のヨーロピアンロックへと変貌していくスタートラインも築いている事だ。このアルバムに在る汎ヨーロッパ性と非ルーツロック性はストラングラーズが一種の真空地帯から音楽をクリエイトしている事を感じさせる。従ってロックのドライブ感覚と重量感に溢れているそのサウンドの核にやはり、ストラングラーズの‘思想の強さ’を濃厚に感じざるを得ないのだ。その‘思想の強さ’という音楽のスタイルとは直接関係ないものがグループの音楽を支配、リードしている事は明白だ。ルーツ性の消去という実感はそこから生まれている。

アルバム『ブラックアンドホワイト』はストラングラーズの思想的結実が生んだ傑作なのである。

 

『Xサーツ』

 

ストラングラーズの疾走は続く。79年2月ライブアルバム『Xサーツ』を発表。初期ストラングラーズの集大成的作品であり、曲目もベストセレクションになっている。

ヒューコーンウェルの「アウ!アウ!アウ!アウ!」という叫びで開幕する『Xサーツ』のハイエナジーの洪水は気持ちいい。バンドとオーディエンスが対峙する真剣勝負の場。その臨場感が緊張を生み、本物のロック=パンクを創造する。それは一つの共同作業であり、祝祭だ。

曲は全て素晴らしいが特に「dead ringer」(偽善者の歌)が凄い。J.Jバーネルの鋼鉄のようなベース、デイブグリーンフィールドのサイケデリックキーボード、ジェットブラックのヘビイタイトなドラムス。曲は間のあるミディアムテンポのリズムにボイスとリフが機関銃のように叩きつけられる。

続く「hanging around」はポップで優しいメロを持ち、ヒューのボーカルも味わい深く聴かせる。しかしゴリゴリのベースが申し分のないヘビイパンクに昇華させているが。そしてヒューが囚人の権利について演説をぶった後、快速ナンバー「I feel like a wog」に突入していく。いやはや何ともすごい。そしてJ.Jバーネルがリードボーカルをとる「5 minutes」は初期ストラングラーズを代表する攻撃的ナンバーでポジティブなメッセージロックの象徴のような名曲だ。

 

ライブアルバム『Xサーツ』は大変な力作である。

そしてストラングラーズの凄さはこのような重量感ある音楽作品をまるで軽音楽のようにイギリスはおろか、ヨーロッパ中でミリオンセラーにしてしまう事だ。ヘビイな歌詞にヘビイな音のストラングラーズが支持されるヨーロッパの土壌もまた、成熟していると感心せざるを得ない。

そして『Xサーツ』発表直後のストラングラーズの来日は正しく急襲であった。

「観客は椅子を叩き壊すべきだった」と語ったJ.Jバーネル。ストラングラーズは極東の地、日本にも‘解放区’を作り上げるべくやってきたのだがその成果は得られなかったようだ。警備員とのいざこざが何度もあり、ヒューコーンウェルは怪我もした。そして最終日、日本のロックコンサートの閉鎖的ムードに苛立ち、憤懣やるせない気持ちで「something better change」を5回演奏したのだ。

 

彼等が次に来日したのは1992年12月である。14年もの歳月が流れていた。この間、ストラングラーズは紆余曲折を繰り返しながら、実りの多い活動を行っている。しかしこの時期の素晴らしいストラングラーズの姿を私達はついに一度も見る事は出来なかった。

14年ぶりに見たその姿はヒューコーンウェルが抜けバンドのパワーも失われた別のグループだったのだから。当時十代だった私はストラングラーズがその後16年以上もバンドを継続するとは考えなかったし、つまらないグループになっても、延命するとは思えなかった。

 

アルバム『ブラックアンドホワイト』と『Xサーツ』は第一期ストラングラーズの成果であった。しかしグループの黄金時代はまだ終わっていない。続く80年代にストラングラーズはその音楽性を大きく変化させ、第2の黄金期に入っていく。

 

 

『euroman cometh』

 

1979年、ストラングラーズのジャンジャックバーネルは『euroman cometh』というソロアルバムを発表した。パリのポンピドゥーセンターの巨大なパイプラインの下方に小さくJ.Jバーネルが立っているアルバムジャケットはカッコいい。コンセプトアルバムである本作は彼の汎ヨーロッパ意識とそこから生じる‘危機意識’がダイレクトに反映したもので、J.Jバーネルの先見性と鋭敏な感性が伺える。

スタイル的にはインダストリアルノイズにロックンロールを合体させたような超アバンギャルドな空間である。一聴したところではキャバレーボルテール、スロッビンググリッスル等、当時イギリスで頭角を現したノイズ系グループと通底する部分もあるがJ.Jバーネルの創り上げた音楽はより攻撃的で暗示的である。それは彼の思考やヨーロッパの未来的ビジョンへの願望等が、ある明確性をもって訴える気迫がそうさせているのだろう。

 

当時、J.Jバーネルはインタビューでしばしばヨーロッパの統合、団結あるいはヨーロッパからの孤立に向うイギリスという事を話していた。思い出していただきたい。1979年当時世界はまだ冷戦下にあり、80年代半ば以降にミッテラン主導に構想されるEC、EUという形のヨーロッパ統合ビジョンが経済強国アメリカ、日本への対抗を想定として考えられる一方、自由や民主という普遍主義発祥の地フランスがもう一度リーダーシップを取るという文化戦略的理由からくるものであっても、それが切迫感を持つのは80年代という‘飽和の時代’まで待たなければならなかった事を。そしてEUに批判的だったサッチャーは退陣し、後の90年、イギリスの孤立を英国民自身が回避した事を。しかし以後、イギリスはユーロよりアメリカとの関係をより深めていく。

 

J.Jバーネルは予見していた。しかしアルバム『euroman cometh』で彼は国家連合としての

ユーロではなく‘ユーロマン’という人の連合とアイデンティティーの確認を暗示したのである。ヨーロッパは通貨統合や関税廃止などの経済同盟を実現しつつあるが、EU成立の準備中に起きたソ連崩壊とドイツ統一、東欧の解体は様々な軋轢と問題を残している。

即ち経済大国としての大ドイツの出現。中欧の復活。少数民族の自立権の乱立による新たなブロック化の動き。ロシアをヨーロッパの一員と見なすか否かについてのイデオロギー的問題。また、EUへの加盟と落ちこぼれという分極が生む新たな支配と被支配の構図。それは南欧にて顕著に現れるだろう。ユーゴスラビアは解体し、内戦に突入している。

 

21世紀へ向うヨーロッパの姿とは欧州市民という差異なき共同体を理念に掲げながら、その内実では各国家リーダー達によるヘゲモニー争いが固定されるであろう最終システムに向けて熾烈に繰り広げられているというのが正当な見方だろう。でなければフランスの核実験再開を正当に説明する事はできない。それは‘共同体’の理念に反するものだ。

 

国家イデオロギーによる共同体とは実は美名であった。

J.Jバーネルの『euroman cometh』にはフランス人の一般意識にあるアメリカへの文化対抗意識というプロトタイプには収まりきらないテーマが存在する。そこには人間の幸福や理想という永続的テーマに対する様々なシステム(文化的、宗教的、イデオロギー的)の選択と再創造の必要性が主張されている。そしてJ.Jバーネルはあらゆる領域に於ける自由連合を提唱するだろう。それはインターナショナルという古語の再定義的出発であり、ヨーロッパエリアを飛び出すものだ。

J.Jバーネルの主張は新たな人類的ビジョンをヨーロッパという歴史的遺物が再び創造すべきとするものである。J.Jバーネルはヨーロッパ右翼ではない。彼はイデアフロンティアとしてのヨーロッパを象徴的に志向し、歴史的再検討と再創造を‘美’の観点で集約する。

『euroman cometh』には明るいトーンはなく、重たく、暗示的なものが一貫してあるが、それは曲中の「do the european」に示される未来の新生ビジョンを喚起し得る肯定的な力と見なすべきであろう。

このアルバムは一般的には不評であったと記憶するが、私の中では傑作であり、愛聴盤であった。当時、梅田のロック喫茶キューピット(なつかしい)で見たプロモーションビデオもカッコ良かったと記憶している。それはJ.Jバーネルらが歌詞をプラカードにして街を練り歩くというものだった。私は何度もリクエストした。まだビデオは普及せず、MTV以前の時代であった。

J.Jバーネルのソロ作品『euroman cometh』は以後のストラングラーズの方向性にも影響を与えたが、その半年後にはアルバム『レイブン(raven)』がリリースされた。

 

『レイブン』 『メニンブラック』

 

ミラージャケットで登場した『レイブン』でストラングラーズは具体的なテーマを多面的に取り上げている。「dead losangels」ではアメリカンライフスタイルの娯楽へのアンチテーゼ。「nuclear device」では反核とその実験の犠牲者であるアボリジアニー(オーストラリア原住民)の問題。「sya sya a go go」では石油成金と圧制の象徴であるイランのシャー(国王)への攻撃がなされる。また、「dutches」ではヨーロッパの貴族階級への批判、「jenetix」では遺伝子操作の問題を告発すると言った具合に自らが関知するテーマを脈絡なく片っ端から取り上げている。その印象は何だか、やたらめったらと言う感じでもある。音楽的にも以前のスタイルからの脱却が図られている。

しかしその試みは成功していないようだ。様々な実験的なサウンド、作曲が試みられているがストラングラーズ特有のヘビイネスがない。アイデアが引き立ってはいない。私はこのアルバムを好きになろうと何回も聴いたが、やはり好きになれなかった。恐らくプロデュースの失敗ではないかと思う。

 

この時期、デビュー時からのプロデューサーMartin Rushentから新しい制作者にチェンジされている。その効果はなかったようだ。曲の多様性、変化は良いのだが全体的にもっと力感を出すべきだった。あの傑作『ブラックアンドホワイト』においてもストラングラーズはバラエティーかつ斬新な曲作りをしている。しかしそういった多様性を一つの大きな流れの中で構築するパワフルさを実現していた。『レイブン』ではそれが成されていない。

『レイブン』の第一印象としてグループの問題意識が未整理なまま乱発されている嫌いもあるが、それより言葉のメッセージとサウンドのバランスが両立していない点がより重要であろう。ストラングラーズの問題意識がこの時期、最高レベルの先鋭さにあった事を考えるとそのサウンドはもっと確信的なものであって良かった筈である。

 

『レイブン』によってストラングラーズは少なからぬファンを失った。そして1980年に発表された『メニンブラック』(mennin black)は残ったファンにもとまどいと衝撃を与えるに充分な問題作であった。このアルバムでグループは更に多くのファンを失ったのではないか。何が出ても驚かない私でもこの『メニンブラック』にはショックを受けた。その音楽は真っ黒で真っ暗であったし、今までのストラングラーズと全く違うスタイルになっていた。スピード感とポップさは消え失せ、重苦しいまでの重量感と閉塞感さえある。当時はPILの『flowers of romance』やTHIS HEAT等,衝撃的なロック作品に出会う頻度が今よりずっと多かったが、長く活動を継続するバンドの新作としてこの『メニンブラック』の内容の違和感は何よりも大きかったと記憶している。

 

しかし私の違和感は『レイブン』に対するような失望感ではなかった。確かに何度も楽しめる作品ではない。しかしこれは失敗作では決してないだろう。

ストラングラーズの狙い、コンセプトは何か。

アルバムタイトルにある‘the gospel according to the meninblack’の意味。ストラングラーズは本作で徹底したキリスト教批判を行ない、新たな福音(ゴスペル)としてのmenin blackを設定する。menin blackとは何か。それは前作『レイブン』にあった一曲「menin black」が示す邪教や悪魔主義の事か。                                                 

「俺達はメニンブラック。まずお前達にハンドルを与える。そして生存競争の殺し合いをさせる。そして生き残った最良の家畜をそのまま食べてやろう」

不気味なサタニズムを想起させるこの曲が前作『レイブン』に収められていた。そして今作「menin black」はトータルアルバムであり、全ての曲がmenin blackの思想に貫かれたコンセプトを持っている。それはしつこい程のキリスト教批判という形になって表れた。

同時期ジョンライドン=PILは「rerigion」という曲で‘逆につづればDOGでしかないクソGOD’と宗教を罵倒する歌を歌ったが、ストラングラーズの場合は少しニュアンスが違うようだ。

 

ストラングラーズは批判の矛先をキリスト教に限定する事でヨーロッパ人の心の内部へと問題提起を促した。それはアイデンティティーの転換と再構築というテーマを孕んでいるだろう。従ってここではキリスト教の教義ではなく、システム、そして権力構造と密着するキリスト教の現世的影響力によって呪縛されるヨーロッパ人の精神的停滞を問題にしているのである。

何とも大仰な事であり、しかも少しアナクロ的に感じるところさえある。

ヨーロッパの言論界ではキリスト教批判はある意味、伝統である。ニーチェを出発点とするその系譜はバタイユの無神学や構造主義の形而上学批判など、常にキリスト教社会に於ける抑圧性のシステムと人の内面への影響のテーマを持っている。

従ってストラングラーズが『メニンブラック』で示した宗教批判は別に目新しくはない。それは哲学、思想の領域ではもはや伝統的テーマであるのだから。しかし留保すべきは人と思想の乖離による知的影響力が益々、希薄になっているという背景である。哲学、思想の前衛が大衆的密着感を持ち得ないという病が進行しており、それはあらゆる空白と既成権威による再洗脳という危険性を孕んでいるのである。その手段としてキリスト教は‘有効’なのだ。恐らくジョンライドンやストラングラーズはその事に敏感なのだろう。ストラングラーズがキリスト教批判のフルアルバムを制作する潜在的理由も大衆的浸透性を持ち得ない形而上学批判や宗教システムへの批判哲学に対する二重の批判という形で説明され得るだろう。

その証拠に80年代以降のイランによるイスラム原理主義の輸出という事態に対応するが如きキリスト教の再拡大は保全と危機回避を宗教アイデンティティーに見出さざるを得ない

人々の深層心理を表しているではないか。そしてシステムとしての宗教、宗教の社会化がもたらす悲劇はバルカン半島から中東、パレスチナとイスラエルに渡る全域で絶え間なく繰り返される戦争という形で露呈される。そういった紛争地帯をモデルとする‘外部’をヨーロッパ自身が‘内面化’する危険性と将来性についてストラングラーズは警告するのである。その為にストラングラーズはmenin blackを設定しなければならなかった。

そこに感じられる要素はヨーロッパの闇の精神史、裏の信仰概念、キリスト異端派などに象徴される一種の‘暗黒’である。

 

アルバム『メニンブラック』のヨーロッパ臭に注目したい。しかもそれはヨーロッパの闇の部分を映し出す暗部の臭いである。アルバムトップ「waltz in black」でいきなり響くチャーチオルガンの荘厳さと人々の声のコラージュの邪悪なムードに私達は違和感を覚えるだろう。「nothing on earth」、「second coming」(再来)等の曲名からインスパイアされるものは信仰への否定性や虚無でもあろう。キリストを揶揄する表現もあるがそれはシニシズムではない。そしてストラングラーズには対抗根拠としての依存をヨーロッパ外部に求める態度が微塵も感じられない事が見事である。ストラングラーズはここで徹底してヨーロッパの精神の深部へ向かおうとする。そしてその毒性をもって宗教の現世利益誘導性などを告発しようとしている。

 

『メニンブラック』はヨーロッパ人に向けられて作られた音楽のようだ。かつてヒューコーンウェルは語った事がある。「音楽は現実を変える事はできない。なぜなら音楽は現実を映す鏡だから。鏡は何も変化させない。ただ、音楽は人々の意識を変える事はできる。」

彼は夢を大量生産させるロックを否定し、本物のリアリストたろうとしている。『メニンブラック』でヒューはシャウトをやめた。彼は語り、つぶやく。そして言葉の真にマジックたる伝播を志向する。デイブグリーンフィールドのキーボードは色彩豊か、かつ重く響くようになった。J.Jバーネルのベースも以前の外向的パワーは影を潜め、重く内に響く音色である。

『メニンブラック』の重さはヨーロッパの内側へ向う旅のようだ。この姿勢はJ.Jバーネルの『euroman cometh』の延長であり、以降のグループのスタンスを決定付けたのではなかろうか。即ちストラングラーズはヨーロッパ人によるヨーロッパ人に向けた音楽の創造に着手しはじめたのであろう。

 

「golden brown」 『ラ・フォーリー』

 

しかしこの時期のストラングラーズは人気面、セールス面、そして話題性に於いてもかつてと比較して大きく後退したのも事実である。J.Jバーネルのソロ『euroman cometh』、ヒューコーンウェルのソロ(『ノスフェラトウ』という素晴らしいアルバムだった)の不評。更に『レイブン』、『メニンブラック』の不評は決定的であり、グループの方向性自体が不可解なものになっていった。ヒューのドラッグ所持による逮捕があったのも確かこの時期だった。私達ファンは一様にとまどっていた。この先ストラングラーズはどうなっていくのかと。

 

希代の名曲、「golden brown」は『メニンブラック』から一年後に登場したニューシングルだった。パンクファンを突き離し、ファンを総入れ替えしてしまう程、またまたその変身ぶりが際立つ曲であった。

グループの久しぶりのヒットになったこの曲は、曲調の上品さが際立ち、スタイルとしてのパンクがここで決定的に過去のものとなった。グリーンフィールドのチェンバロが美しく響き、ジェットブラックは装飾的なドラムに徹する。ワルツのリズムに乗ったシンフォニックな小品。ヒューのギターソロは優美であり、J.Jバーネルはバラードシンガーになった。

ストラングラーズは再び新たな領域へ転生しようとしている。暗黒から夢幻のビジョンへ。私は迷い無く「golden brown」が大好きになった。良い曲だ。ユーロロック、シンフォニック系プログレが一部好きな私にはピタッとくるものがあったのである。

 

ストラングラーズの通算七枚目の新作アルバム『ラ・フォーリー(la folie)』(邦題:「狂人館」)は1981年に発表された。タイトルナンバー「ラ・フォーリー」ではJ.Jバーネルがフランス語で歌い、メロディアスな新境地を見る事ができる。各曲は美しくポップである。しかも重い。歌詞においては政治的メッセージや社会事象への関与が薄れ、代わって人間の深層心理、不条理、或いはコミュニケーションの表層性や欺瞞の提起、そして家族主義や女性蔑視への批判が展開されている。サウンドはカラフルにそして技巧的にもなった。特にリズム面においてそれは顕著に顕れる。ジェットブラックのドラムはベースのJ.Jバーネルの力量の影にやや隠れがちだったが、本作では持ち前のヘビイネスに加え、多次元な立体感が生まれている。従って全ての曲が分厚い土台に乗って展開しているような印象を受ける。

 

私は以前、元リザードのドラマー、ベルから思い出話を聴いたことがある。(リザードはJ.Jバーネルのプロデュースでアルバムをロンドンで制作し、ストラングラーズとも競演している)曰く「ジェットには俺と同い年くらいの息子がいた。彼のドラムは音がとにかく太いんだよね」という事であった。

アルバム『ラ・フォーリー』はジェットブラックの骨太なリズムがボトムを支え、様々なメロディーと曲調が展開する味わい深い作品となり、私は大いに楽しめた。良い曲が多い。ヒューコーンウェルのボーカルはシャウトスタイルを脱皮し、語り調とメロディーを噛みしめる唱法が定着している。それは彼の硬派なイメージをより深める好結果となった。

 

「golden brown」の全ヨーロッパ的なヒットと『ラ・フォーリー』の充実した内容によってストラングラーズの方向性が聴き手にも明らかになり、グループは第二の黄金期に入っていく。この時期、ストラングラーズは明確にアメリカを捨てた。市場に於いても、また音楽性においてもグループはヨーロッパをその中心においたのだろう。この時期のブリティッシュニューウェイブが貪欲にアメリカンブラックミュージックの摂取と表層的なスタイリストとしてのファンクを志向していた事を思い出していただきたい。その多くはとても軽薄であった。私は大嫌いであった。ストラングラーズはデビュー時から常に流行とは一切関係ない自分達の感性で音楽をクリエイトし続けてきたが、この時期の孤立感と唯一性はかつてないほどの精神的タフさを持ち得る契機となったであろう。その通り、ストラングラーズに類似する音楽は他に一つもなかった。グループは自らのルーツであるヨーロッパへ向う旅を一人の追従者なしで始めたのである。

 

ストラングラーズは孤独の中を走る。アルバム『ラ・フォーリー』の裏ジャケットには当時のライブステージの写真が大きくあるが、これが素晴らしい。ドラムの後方から斜め上に向かってホワイトライトが放射され、ジェットブラックは光の中のシルエットと化す。ヒューコーンウェルとJ.Jバーネルはグリーンライトに照らされ、その動性が強調される。そして相変わらずステージ間近に接近する観客が作る人波の激しさ。焦点がぼやけて収められたこのステージ写真からはグループのライブに於ける、変わらぬ祝祭空間が伺える。この写真からはまるで『ラ・フォーリー』の各曲が聞こえてきそうである。このようなステージ光景が日本で遂に見ることができなかったのは残念だ。

 

 

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Now and Then Return by 時弦旅団Time Strings Travellers

2020-05-04 | 新規投稿
Now and Then Return by 時弦旅団Time Strings Travellers


時弦旅団を始める95年より前、東京でバンドをやってる時、89年くらいにに作った曲です。
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