鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.9月取材旅行「桐生~水道山公園~大間々」 その3

2012-10-03 05:51:22 | Weblog
銚子の場合、崋山が銚子およびその周辺の「地勢」を俯瞰した場所は、大里庄次郎家の菩提寺であった浄国寺境内や和田不動堂でした。浄国寺のある高台の端には「日観亭」というのがあり、そこからの眺望は、宮負定雄の『下総名勝図絵』にも、「辺田村浄国寺にあり。見はらしの景色尤(もっと)もよし」と記されており、銚子にやってきた一茶を自宅に泊めた大里庄次郎(桂麿)は、一茶をここに案内しています(文化14年〔1817年〕6月1日)。この「日観亭」は浄国寺の本堂裏手にあった物見台であり、ここから西方を望む眺望の美しさで知られました。『下総名勝図絵』の図絵によれば、そこからは利根川の川岸に沿う家並みやその手前の田園地帯、滔々と流れる利根川およびその流域の景観を眺めることができたようだ。和田不動堂は利根川河口部南側の高台にあり、江戸時代以来、銚子・波崎の漁師をはじめ水産関係者の信仰を集めたところ。眼下には利根川河口部の飯貝根の集落や対岸の波崎、そして鹿島灘の海の広がりを見晴るかすことができました。それらの眺望から銚子の「地勢」を観察した崋山は、桐生の町においては、町の西方にある山(雷電山)の頂から桐生の「地勢」を観察したのです。この「雷電山」とは現在の「水道山」のことであり、そこの頂には現在「水道山公園」があって、崋山と同様に桐生市街の眺望を楽しむことができるのです。 . . . 本文を読む