鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.9月取材旅行「桐生~水道山公園~大間々」 その最終回

2012-10-26 05:12:27 | Weblog
『大間々町誌通史編上巻』によれば、文政2年(1819年)当時、大間々の酒造家6軒のうち4軒までが「江州出店」、つまり近江商人の出店であったという。たとえば日野屋善兵衛がそうであり和泉屋久右衛門などがそうでした。『蔵の町大間々まち歩きマップ』の解説によると、奥村酒造は宝暦の時代(18世紀頃)に醤油造りから始まり、寛延2年(1749年)に近江商人の和泉屋九右衛門が酒造業に転換したという。ちなみに清酒「赤城山」を製造する近藤酒造は、明治時代初期の創業で、越後からの出稼酒造店であったらしい。近江商人の店と言えば、岡直三郎商店もそうでした。『まち歩きマップ』によると、創業は天明7年(1787年)で、近江商人である初代岡忠兵衛が「河内屋」の屋号を掲げて醤油醸造業を始めたという。「まち歩き」をした時に、「常夜灯」の案内板や「河内屋木道」のところにあった井戸の案内板などに「『三方良し』の会」という設置者名が記されていましたが、「三方良し」とは、近江商人の精神である「売り手良し、買い手良し、世間良し」を示すものであって、自分だけの利益だけを求めるのではなく、相手の利益も考え、そして周りの人々(世間)の利益をも考えることが、その地域で商売を長く続けていく秘訣であるということを意味しています。私の居住地近くの厚木市においても、近江商人が創業した商店は多く、「江戸地廻り経済圏」を考える際に、「江州出店」の存在を頭に入れておくことの重要性を再確認しました。 . . . 本文を読む