鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.3月取材旅行 「宮原~上尾~桶川~鴻巣」 その4

2012-03-22 06:31:54 | Weblog
板橋宿から浦和宿までは14.4kmほど。歩けば3時間ほど。板橋宿から上尾宿までは27.3kmほど。歩けば5時間ちょっと。板橋宿を崋山が出立したのは、正午前後と考えられる(崋山は「飲飯の料弐百五十弐文」を茶店に支払っています)から、崋山が浦和宿に至ったのは午後3時頃。上尾宿に至ったのは、途中「月よみの社」(調神社)に立ち寄ったりしているから午後6時前後ということになります。崋山が生田万と別れたのはどこの宿であっただろうか。崋山の文章は次の通り。「上尾この道いと遠して日暮たり。万に我やどるかたまで来てひとよを語あかさばやと申せしかど、いとつかれにつかれたれバとて、此駅にやどかる」。普通に考えれば「此駅」とは上尾宿ということになりますが、『渡辺崋山集』には「此駅」は「浦和駅」となっています。しかし先ほど推測したように、浦和駅を二人が通過したのは午後3時頃であって、まだまだ日暮れには時間があります。二人は大宮宿氷川神社の黒々とした参道を右手に見て、そこから2時間近くを上尾宿まで歩きましたが、そこまでですっかり日が暮れてしまったことと疲労のために、生田万は崋山の誘いを断って上尾宿で泊まることにした、と考える方がやはり自然であるでしょう。上尾宿で名残りを惜しんで万と別れた崋山が桶川宿に至ったのは「夜戌の時過程」(午後8時過ぎ)。宿泊を予定(予約)していた鴻巣宿に到着したのは、桶川宿から鴻巣宿まで7.2kmほどであることを考えると、午後10時近くであったと考えられます。 . . . 本文を読む