鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

東北地方について思うこと その2

2012-03-11 05:31:42 | Weblog
「東日本大震災」は、東日本の広範囲な海岸線に押し寄せた巨大津波による甚大な被害に加えて、福島第1原子力発電所の事故とそれによる広範囲な放射能汚染が復興への取り組みの大きな足かせとなり、今後もずっとなり続けるであろうという意味において人類史上未曽有の大災害である、という認識から出発しなければ、この大震災で亡くなった人たちや行方不明になった人たちへの慰霊・供養につながらず、また今後生きていく人々(避難している人たちや私たちも含めて)がどう生きていくかの教訓とはならない、としましたが、それは言い過ぎでしょうか。巨大津波によってのみこまれていった身近な人々や生まれ育った土地の瓦礫と化した風景を前に、生き残った人々が、亡くなった人たちと会話を重ねつつ、亡くなった人たちのためにも「ちゃんと生きよう」とした時に、その歩み出そうという足を大きく引っ張るような力となったのは、あの安全であったはずの原発事故ではなかったか。放射能汚染が広範囲にわたり、それによる風評被害もさまざまな分野に及んでいます。発生した膨大な瓦礫の最終処理済みが6%でしかなく、復興・復旧に向けての大きな障害となっているという事態は、これは放射能汚染への恐怖と不安によるものであって、もし、あの原発事故がなかったならば、復興・復旧はもっとスピーディーに進められたはずです。東日本の被災地全体の復興・復旧への大きな足かせになり、被災地の人々が希求する「将来の見通し」がなかなか持てない状況を生み出した大きな要因は、あの原発事故が発生したことであり、そしてそれによって引き起こされた広範囲の放射能汚染の恐怖である(それへの対応は今後ずっと続いていく)という認識を、まずしっかりおさえて、自然災害はまた起きるかも知れないけれども(その対策は「減災」という方向でいろいろと考えられ、実行されていくことでしょう)、原発事故が自然災害等で起きてしまった時のその被害の甚大さ、その影響の大きさを考えた時、「脱原発」という方向性を、あの人類史上未曽有の大災害を経験した日本という国が選択していくのは当然のことである、と私は考えます。そして、それに向けての生き方やライフスタイル、コミュニティー空間のあり方(「まちづくり」を含めて)などを一人一人が考えて生きていくことが、「3月11日」「被災者」を「忘れない」ということではないか、と考えます。 . . . 本文を読む