鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

津波と桜 その3

2012-03-16 06:13:06 | Weblog
津波が到達した標高線に咲く桜は、全通した東日本の沿岸部を走る鉄道に沿った歩行者専用道路から眺めるのが望ましい、としましたが、それは全国から訪れた人々が一番利用しやすいからです。もちろん列車の窓から眺めることも出来るのですが、空気や風を感じ、季節の香りや生活の匂いを感じ、復興していく「まち」の景観や人々の暮らしをしっかりと眺めるのには、ゆっくりと歩くのが一番です。かつての旅人が行き交う街道筋には、人々の足を止めさせ人々をもてなすためのさまざまな装置がありました。宿場や街道沿いに住む人々によって丹念込めて育てられた樹木や草花などが街道筋に彩りを添えていたのも、それは街道を行き交う人々をもてなすものでした。旅人はそれらの装置で旅の疲れを癒され、街道筋の人々も旅人をもてなすことにより生活の糧を得るとともに、旅行く人々との関わり(コミュニケーション)を楽しんだのです。茶屋も旅籠も、その装置の一部でした。人々が歩く街道筋には、旅人をもてなし、疲れを癒すための装置が、街道筋の人々によって緊密に構成され保全され続けていたのであり、それが全体として歴史的景観を形づくっていたのです。しかし、それらの道が急速に車優先の道になり、また幅広のバイパスが出来ていくことによって、もてなしもてなされることによって形作られてきた歴史的景観は、急速な勢いで消滅していったのです。道を歩くことを復権させること。歩くことによって得られるものを復権させること。安心して安全に歩ける道を取り戻すこと。その道を仲立ちにした人々の関わり(コミュニケーション)を復活させること。「被災地にミニ東京を造ってはならない」とは建築家の伊東豊雄さんの言でしたが、私もそのように思います。被災地を走る鉄道に沿って歩行者専用道路を造ることの意味を、思いつくままにいくつか列挙してみます。 . . . 本文を読む