嘉陵が上尾宿に至ったのは巳の刻(午前10時)過ぎ頃。さらに中山道を進んで行くと、道の西側に富士浅間(せんげん)を祀る小高い丘があり、そこに登れば北の空が見えるだろうとそれに登ったところ、木立が繁っていて日差しが当たらないほどであり、北の方を見晴らすことはできませんでした。つまり、その日見ようと思っていた浅間山を、その小高い丘の上からは見ることができなかったのです。落胆もあって歩き疲れた嘉陵は、道筋の茶菓子を売る店に腰掛けて休憩かたがた、その店の主人に尋ねてみたところ、北の空を見晴るかすことができるところは、もう少し進んで、桶川宿の入口の右手、不動堂のある畑あたりで、そこからは北の山々が少しは見えるとのこと。そこで嘉陵はその主人の言葉をたよりに桶川宿の入口付近まで歩いてみることにしました。この嘉陵の文からも、このあたりの中山道の界隈には、「富士浅間」を祀る「小高き丘」、つまり「富士塚」らしきものがあったことがわかります。 . . . 本文を読む