鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

津波と桜 その3

2012-03-16 06:13:06 | Weblog
 ①東北新幹線を利用して東北地方の太平洋岸に行く場合、鉄道の駅から下りればそこに歩行者専用道路があり、そこから次の駅へと鉄道に沿って歩いていくことができること。もちろん駅からは各地へ行くことができる在来の生活道が延びています。

 ②鉄道の勾配は小さいから、その道は歩く者にとって歩きやすく、そしてまた車椅子でも楽に移動することができます。階段や段差もない。

 ③駅にはトイレがあり、駅周辺にはコンビニや飲食店などもあるから、その歩道を歩き続けても、トイレや飲食に困ることはない。駅舎で休憩することもできます。

 ④鉄道周辺の人々にとっては、一日何本か走っていくローカル線は他の地域とのつながりを実感させ、またその鉄道に沿った歩行者専用道路をそぞろ歩く人々の目を意識することになります。かつての街道筋の人々が旅人を意識したように、そこに会話を含めた広いコミュニケーションが生まれる可能性があります。観光バスや車や自転車では、なかなかそうはゆきません。

 ⑤鉄道に沿って造られた歩行者専用道路は、鉄道というすでに造られた敷地を利用しているから、新しく造るのとは違って経費がそれほどかからない。歩行者専用道路の手すりや路面は、所によっては地元で生産される木材などをどんどん活用すればよい(地産地消)。鉄道の敷地が頑丈であれば、もし津波でその歩行者専用道路が流されたとしても、年月の経過とともに老朽化したとしてもまた地元の木材を利用してすぐに復旧することができる。

 ⑥大きな駅の周辺にはビジネスホテルやビジネス旅館がある。泊まりながら歩く人々は、そこで泊まればよいし、大きな駅でなくとも、かつての街道の「間の宿(あいのしゅく)」のように、小さな駅にも歩く人々のための休憩所や低料金の簡易宿舎があっていい。被災地で利用された仮設住宅(出来れば木造)を使ってもいいし、450万円ほどで建てられるという木造の簡易住宅を使ってもいい。それを運営し、訪れた人々をもてなすのはもちろん地元の人たちです。

 ⑦春4月ともなれば、山の斜面の津波の到達線には桜が満開に咲きます。それは巨大津波など大震災で犠牲になった人たちの慰霊のためのものであり、また避難するための目印となるものであり、また巨大津波の記憶を風化させないためのものですが、多く海岸線を走る鉄道に沿った歩行者専用道路からその風景を眺めるという視点に立った時、その満開の桜が咲く景観を遮るもの(遮蔽物)があってはならない。遮蔽物があった時、桜は望めず、慰霊にはつながらず、そして目印とはならず、津波の記憶を呼び戻すことにはつながらないからです。ということは、歩道からの視界の間に、東京を初めとする大都市のように、コンクリートで造られた空へと垂直に伸びる高層建築物がいくつもニョキニョキあってはならないということです。東京の周辺の鉄道沿線には、駅を中心にそのような建築物がいくつも建ち並び、まわりの景観を遮蔽しているところが多いのですが、あのようになってはいけない。被災地に「ミニ東京」を造ってはならない。それを造ることは、巨大津波の被災の記憶の風化(しかも急速な)につながります。

 ⑧おそらく巨大津波によって瓦礫の町と化し、その瓦礫が撤去されて真っ平の更地となった平地には、工場(水産加工場や地場産業関係の工場など)や港湾施設、会社や事務所、商店、低層の集合住宅などが建っていくものと思われますが、被災地の復興には、まず被災地の人々の雇用が生み出されることが必要です。田舎を離れる若者たちはすべてがすべて田舎がいやで都会へと向かうわけではありません。雇用があってそれで安定した生活(暮らし)ができるならば、少々給料が安くても自分が生まれたところかその近くに住みたいと思っている若者も多いはずです。しかし暮らしを安定させる雇用がないために、やむをえず住み慣れたところを離れる若者も多いのです。戦後の「太平洋ベルト地帯」を中心とした国策としての高度経済成長路線により、それ以外の地方において過疎と少子高齢化が進んだ所以ですが、雇用を得た若者と雇用の場を結ぶ運送手段としての鉄道の役割は大きいし、それに沿った歩行者専用道路は、山の斜面に咲き並ぶ桜とともにその町のランドマークとなりうる。

 ⑨アニメファンから生まれた若者たちの「聖地巡礼」のムーブは、地域の発見や地域の活性化につながる要素を持っています。「巡礼」は、かつての四国八十八ヶ所の巡礼(お遍路)や、富士講による富士登山や、大山講による大山登山、江の島弁天講による江の島詣で、東国三社詣で(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の参拝)、出羽三山詣でなどがそうであったように歩くことが基本でした(それでしか行けなかった)。アニメファンから生まれた「聖地巡礼」は、その近くまでは鉄道や飛行機を利用しますが、現地においては歩くことが基本のようです。「歩くこと」の面白さや「景観」の魅力、また「歩くこと」や「景観」の人間における重要性が、若い人たちの間にも認識されてきたように私には思われます。地域の人々に支えられた、鉄道に沿った歩行者専用道路の整備は、復興や活性化の大きな柱となるのではないか。

 ⑩歩行者専用道路には自転車は入ってはならないし、もちろんバイクなどの二輪も入れません。できることならジョギングも極力避けたい。多摩川の土手の上のように、サイクリングの自転車やジョギングする人が脇を風のように走り抜けていくのは、ゆっくり歩行をするものにとっては怖いものなのです。利根川の土手上のサイクリングロードは、サイクリングをする人も少なく、また日差しを遮る樹木がないために歩く者もきわめて少ない。地域の人々や観光客に愛されるものとはなっていません。ああいう状態になってはならない。車椅子の人も障害のある人々もお年寄りも、そして乳母車を押す若い母親も安心して移動できる道が、あるべき「歩行者専用道路」であり、早く走りたい、移動したい人は、別の道を走ればいいのです。

 ⑪その歩行者専用道路の道路脇には、花々が植えられたプランターや盆栽などが並んでいたりします。私が今までの「みちあるき」で魅力的だった道には、多く、美しい花が咲いていました。それは自然にあったものではなくて、地域の人々が家の前の道筋や軒下に植えて日頃手入れをしているものでした。それは自分の趣味であり楽しみであるとともに、道を行き交う人々の目に入ることを意識したものでもありました、時にはその自慢の花を仲立ちに楽しい会話が交わされる時もありました。訪れる人々を意識して、地域の人々が訪れる人々をもてなす意識と行動を持った時、その町の風景・景観は輝きだす、といったことを、私はその魅力的な道筋に咲く花々を見て思いました。かつては人と人とのコミュニケーションは、人々が歩いて行き交う道を仲立ちにしてあったということを、車社会に慣れてしまった私たちは思い出すべきです。


 終わり


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