鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

東北地方について思うこと その2

2012-03-11 05:31:42 | Weblog
 日本の「先進地帯」であり、石油コンビナートのある京浜工業地帯を、高速道路の観光バスの中から眺めた記憶があります。

 それは、中学校3年になって4月の修学旅行の時であり、東海道新幹線に米原駅から乗り換えて小田原で下車し、箱根に泊まってから鎌倉の鶴岡八幡宮で記念写真を撮影し、それから東京へと向かう途中のことでした。

 川崎あたりの工業地帯に差し掛かると、バスガイドさんが、「お化け煙突」について話し始めました。観光バスの窓から見える石油コンビナートの工業地帯は、石油の備蓄タンクや黒い煙を吐き出す高い煙突がニョキニョキと立っていて、そのバスの進行右手方向の工場地帯の風景は、その煙のためか灰色にくすんで見えました。

 バスガイドさんが言うのには、バスが進むにつれて、高い煙突が3本に見えたり、2本に見えたり、1本に見えたりするのだという。

 だから「お化け煙突」というのだという。

 要するに、バスが進行していくにつれて、その見る角度により、工場の高い煙突が重なって1本に見えたり、3本に見えたりするということですが、福井からやってきた、教科書で全国各地の「石油コンビナート」の名前を覚えさせられた中学生は、興味津々で、窓の外を眺めました。

 私はというと、「石油コンビナート」のある工業地帯が、ニョキニョキと立つ煙突から吐き出される黒い煙のために灰色にくすんでいるのを見て、「こういうところには住みたくないな」と思ったことを覚えています。

 東京では、東京タワーに上り、また皇居の二重橋を背景に記念写真を撮りましたが、京浜工業地帯を通過した時のような印象は受けませんでした。ただ人と車とビルの多いのにはびっくりした記憶があります。

 その修学旅行の時は、関東地方では珍しい4月の雪が降り、箱根の十国峠では雪が吹雪のように舞い、鎌倉の鶴岡八幡宮の屋根下には、屋根から落ちた雪が積もっていました。

 雪国である福井県から来たものにとっては積雪は珍しいものではありませんが、太平洋側にも雪が降る(しかも4月になって)ということを知って驚いた記憶もあります。

 太平洋側への「憧れ」みたいなものは、いつから生まれたのだろう。

 将来の夢の都市(未来都市)として、高層ビルが建ち並び、その間を縫うように高架の高速道路がいくつも交差して延びているといった絵を描いた記憶がありますが、そのイメージはいつ頃から私の中に作られたのだろう。

 そのような都市のイメージに通じるものとして、東京や大阪などの大都市は、田舎の子どもの一人であった私にとって、やはり憧れの的であり、その大都市は多くが太平洋側に集中していました。いわゆる「太平洋ベルト地帯」というものでした。

 小学生の時に、近くの平屋建て(木造長屋)の市営団地の中にあった貸本屋から借りてきた漫画本の影響かも知れないし、また東京オリンピックを前に我が家でも購入したテレビ映像の影響かも知れない。

 中学を卒業して、私が受験し進学した高校には、太平洋ベルト地帯の国立大学へ進学することがエリートであるような雰囲気が満ち満ちていました。

 そして、今、振り返ってみる時、太平洋ベルト地帯(いわゆる「先進地帯」)以外の当時の地域の子どもたちは、多かれ少なかれそのような環境の気分の中で過ごしていたのではないだろうか、と思うのです。

 そう、どうも東海道新幹線の開通や東京オリンピックの開催前後から、そのような環境や気分が蔓延し始め、日本は大きく変貌していったのであり、いわゆる高度経済成長が急速度に進んで、身の回りに「もの」があふれ、特に電化製品があふれ始めたのです。

 その大きな流れの中で、私も「裏日本」から「表日本」の大学へと進路を決め、そして結局、福井県には帰ることなく(正直、帰ろうと思ったこともありませんでした)、最終的には神奈川県で就職し、現在もこの神奈川県に居住し続けているのです。

 産業構造や交通網などの大きな変化により、近代化・工業化の路線から外れていった「太平洋ベルト地帯」以外の地域は、いわゆる「後進地帯」となり、過疎や高齢化の現象が進んで行きました。それまで山や海で生きてきた人々は、一部を除いて、先祖代々その生業の中心であった山や海で生きていくことは厳しい状況になっていきました。

 財政的に貧しくなった県の、貧しくなった地域に、原発建設候補地が絞られていきましたが、そこで完成した原発でつくられた電気が供給される先のほとんどは、「太平洋ベルト地帯」であり、日本の高度経済成長やそれによる「豊かさ」は、その「後進地帯」の貧しい地域に集中的に建設される原発によって補充され支えられました。

 これは世界史的に見れば、「先進国」と「後進国」の関係に酷似しています。

 世界史的に見れば、「後進国」(「発展途上国」という言い方もある)の多くは、かつてはその少数の「先進国」の植民地であった歴史を持っています。

 国からの原発立地市町村への交付金は、植民地へ先進国が自国のために投資したのと似通っています。

 もしも、原発が全く安全であると言うのであれば、それは工業地帯や人口密集地に隣接して設けるべきであったし、もし放射能汚染の危険がないというのであれば、広範囲な被災地で莫大に発生した瓦礫は、現在の工業地帯や人口密集地に隣接する、すでに埋め立てられた湾岸部の周囲に、さらに埋め立て地を拡大するという形で処理されるべきでしょう。

 たとえば東京湾の湾岸部は、かつては豊かな漁場であり、また海苔の養殖場であったところが、国策としての「高度経済成長」のために、石油コンビナートや製鉄業、製造業のための工場用地として、そのかつては風光明媚であったところを消滅させる形で、大規模に埋め立てられたところであり、さらに東北地方の被災地で生じた膨大な瓦礫でもって埋め立てて、大企業の工場や高層マンションの用地、あるいは広大な国立の記念公園などとすることについては、大きな問題はないのではと思いますが、それは素人考えの浅はかさというものでしょうか。


 続く


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