ヘンリ・ムーア展をテイト・ギャラリーでゆっくり見れたのは、今回の旅行の大収穫だった。孫は立体造形科の学生だから広い会場を行きつ戻りつ感嘆していた。お客さんはかなりいたが邪魔になるほどではない。ムーアの書いたものの一部が壁に掲げられていた。ムーア研究の本が出て、寄贈されたので読みかけたが、あまりにも解釈しすぎていて、自分とは関係ないので読むのをやめた、と。説明や解釈のしすぎは見る人の想像力を枯渇させてしまう。
これは作品を見る上で大事なことだと思う。詳しく説明され、解釈を押し付けられては、作品を自由に見ることができなくなる。作品は見る人の自由な想像力と理解によって命を吹き込まれる。見る人も一緒になって作品を完成させる。しかし、ある「専門家」「事情通」によって見方を誘導されてしまうと、そうした相互作用は働かなくなる。
それでも、みんなガイドさんの説明を聞きたがるんだよね。もっと自分の目を信じたらいいのに。
これは作品を見る上で大事なことだと思う。詳しく説明され、解釈を押し付けられては、作品を自由に見ることができなくなる。作品は見る人の自由な想像力と理解によって命を吹き込まれる。見る人も一緒になって作品を完成させる。しかし、ある「専門家」「事情通」によって見方を誘導されてしまうと、そうした相互作用は働かなくなる。
それでも、みんなガイドさんの説明を聞きたがるんだよね。もっと自分の目を信じたらいいのに。