某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

啄木に魅せられた講演会

2010-02-03 01:05:26 | 市民運動関係のイベント情報
 近藤典彦さんの語る啄木の生涯と歌と心に、40名近い聴衆がうなった。良い講演会で良い話し合いだった。1月30日、対象は大和市の北部地域に住む人々(他の地域の方々もお出でになったが。)少人数でじっくり話を聞き、皆で話合おうという趣旨の小集会。
 いつもだと発言を控えるのだけれど、今回は私もつい夢中になって、何度も質問し、注文してしまった。例えば「ふがひなき わが日の本の女等を 秋雨の夜にののしりしかな」という歌。啄木にこんな歌がある、それも『一握の砂』に、とは今回これを読み返すまで気がつかなかった。啄木は当時のイギリスのサフラジェットの運動を知っていたのか?どこまで考えて啄木はこの歌を作ったのか。「独りよがりな田舎の天才」としか見えない啄木に、そうした世界史的な動向を踏まえて日本を見、市民社会を論ずる力があったのか?それにしても凄い歌を作っていたものだ、と改めて思い、質問したのだった。近藤さんは、啄木が平民新聞を熟読してかなり詳しく正確に時代の問題を理解していたと言う。パンカースト夫人らのイギリスでの激しい婦人参政権要求運動も知っていたという。なるほど、だからこの「ふがいなき・・・」の直前に「女あり わがいひつけに背かじと心を砕く 見ればかなしも」と自分の妻を歌ったのか、と納得した。しかし、近藤さんは、この夫人節子は啄木の親友宮崎郁雨に恋し、不倫関係にあったという。啄木もそれを感じていたとも。いや複雑だ。
 啄木の詩のなかで私の最も好きな「果てしなき議論の後に」も朗読してもらった。「ヴ・ナロードと叫びいずる者なし」と近藤さんが繰り返し読む。私は、これを声出して読んだ学生時代に戻ったような錯覚をさえ覚えた。
 
コメント (2)
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