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某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

上院廃止 NO! アイルランドの国民投票

2013-10-08 03:33:16 | ぼやき
 上院廃止の可否を問うアイルランドの国民投票で、廃止反対51.73% 廃止賛成48.27%と言う僅差で政府提案は否決された。事前の世論調査とは逆の結果になった。日本なら早速首相辞任だろうが、あの国ではどうだろう。多分居直るだろう。今まで、国民投票で負けた首相が辞任した例はないから。
 廃止論がかなり優勢だと思われていたが、何故否決されたか。新聞は例によって、いかにもわかっていたかのように様々な理由をあげている。第一に行政府の権限独占の危険。上院がなくなると、行政府をチェックする議会の機能がなくなってしまう、という恐れを評論家たちが最初から訴えていたこと。国民もその危険を感じたのだろうと言う。第二に市民団体が著名人を呼んで反対意見を繰り返し市民に訴えたこと。賛成派はその活動に立ち遅れたこと。第三に反政府感情が強くあった事。首相ケニイはテレビ討論にも出なかったりして評判が悪くなった。もっとも、既成勢力への反対は常にあるのだが。第四に上院廃止により2千万ユーロが節約されると言う点についても、其の額自体が疑われて実際は8百万~1千万ユーロ位のものと言われ、またいかにアイルランドが小国だとはいえ、上院廃止という大事に比べて額が小さすぎる、ということから、財政再建にもならないとして、廃止に踏み切れない人も多数いたこと。そのほか、廃止か否かの二者択一ではなく、上院改革と言う選択肢もあれば投票の結果は違ったであろう、と言う意見もあった。
 これでアイルランドの議会制度はどのように改革されるのだろうか。

 日本でも大騒ぎの末国民投票法は成立している。あれを使うことを想定して今回のアイルランドを見ると何かが見えてくる。
 あの国は良く国民投票をし、政府が勝ったり負けたりしている。しかし、EU関係の条約などだと、事実上同じ法案を日をおいて再度国民投票にかける。「賛成になるまで何度でも国民投票をする」と豪語する政府高官さえいる。また、国民投票成立の要件として、有権者の何割が投票する必要があるか、という規定がない。だから、今回は39.17%という低い投票率でも成立しているし、全有権者の20 %の反対で、否決されている。有権者5人に1人の反対で、国民投票をするほどの大事が決められてしまう。棄権も政治的意思表明の手段だとはいうが、5分の1の人間に国の大事を決められてはちょっと(大変)困る。しかし、日本にも国民投票成立の要件は規定されていないから、棄権が多ければ10人に1人の賛成でも憲法改正案が通ると言うことさえ起こりうる。一事不再理などと言う規定はないから、やはり何度でも投票が出来る。どうすればいいのだろう。

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上院は不要かーアイルランドの国民投票―

2013-10-04 18:05:00 | ぼやき
 今日(10月4日)、アイルランドでは上院(日本でいえば参議院)を廃止するか否か、という国民投票をやっている。昔から「国会は下院(衆議院)だけでよい、上院は無駄だ。何の役にもたっていない」と言う声があった。前回の総選挙では、主要政党がみな上院廃止を公約に掲げていた。勿論今は賛成反対入り乱れて活発な論戦が繰り広げられてきていた。廃止賛成派がかなり多いらしい。
 廃止と言うのを、アイリッシュ・タイムズは'scrap'スクラップと表現している。まるでゴミを捨てるようだ。勿論abolishと言う単語も使ってはいるが。最初スクラップと書かれているのを見た時はギョッとした。いくらなんでも上院をまるでごみ扱いして、捨ててしまうとは。新聞は廃止に賛成なのだ、とすぐ分かった。
 廃止の理由は、上院がこれまでの議会史75年間に殆ど何の政治的役割も果たさず、金ばかりかかっている、と言うことらしい。廃止すれば2000万ユーロ(26億4千万円)節約できると廃止賛成側は言い、反対者達は、それは嘘だ、数字が大げさすぎるという。日本の参議院やアメリカの上院と違い、アイルランドでは上院議員選挙の有権者は15万人しかおらず、選ばれる議員はエリート特に大学の教員や卒業生が多い。つまりあまり民主主義的ではないと言われている。また、下院議員選挙の落選候補などを首相が上院議員に任命できる(11名)。「下院落選議員の倉庫」とも言われている。それならそうした制度を変えたらよさそうなものだが、下院と同じく国民の18歳以上全員が有権者になるのでは、下院と同じになって、上院の存在理由がなくなってしまうのだろう。
 廃止を主張する与党側は、ウインブルドン・テニスの勝者ボルグがマッケンロー(アイルランド系アメリカ人)に勝った姿(1980年)を廃止のシンボルに掲げた。1970年に上院を廃止したスエーデンに続け、と言うことらしい。ボルグ側の許可をとらずに使ったため、一日で消えたそうだが、マッケンローに勝った姿を使うのは少々無神経だ。そんな感想を持つのは日本人だけかもしれない。かれらはもっと神経が太い。無神経と言うべきか。また、大型犬グレイト・デーンとマオリの踊り手も廃止のシンボルに使った。デンマークが1953年に、ニュージーランドが1951年にそれぞれ上院を廃止したので、先輩に習え、と言うことだそうだ。
 日本でも参議院廃止論がかなりあった。今は「ねじれ」ではないから話題にならなくなったが、邪魔になればまた出てくるだろう。アイルランドの今回の「憲法改正」を世界の傾向などと言って利用する日が来るかもしれない。そういえば、今の日本国憲法のアメリカ側の案では、一院制だった。日本が粘りにねばって二院制にした。勿論貴族院を残したかったからだろうが、貴族制度がなくなったため衆議院と殆ど同じものになった。代議士を二回選べるから、一党独裁を防ぐには大変有効だが、同じもので無駄だ、政治を停滞させる、などとそのうち廃止論がまた頭をもたげてくるだろう。
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感動二題ー吹矢競技会での貴重な見聞

2013-09-30 18:47:45 | ぼやき
 世田谷区の吹矢競技大会に、右手を失った方が参加していた。手製の道具を持参されて、筒をそれに横たえ、矢を入れ、左手一本で構え,咥え、射る。基本動作を完璧に行っていた。目頭が熱くなるほど感動した。手が一本でも、工夫次第で両手のある人より確かな動作が出来、点を出せるのだ、と。
 ジュニアの参加者も一人いた。的が少し低いだけで、あとは大人と全く同じ条件(的からの距離も)で試合に臨んでいた。基本動作が立派で気持ちよかった。たまたまトイレで一緒になった。「どうだった」と聞くと「駄目でした。最後に19点だしちゃったから」と残念がっていた。しかし、表彰式では最年少優秀選手で表彰され、記念撮影では、真中でカップを持つ私の隣に座ってもらった。「来年は君がこのカップをもらうんだな」と言うと、「ハイ」と元気だった。80過ぎの爺と10代始めの少年が同じ競技をして、真中に座って一緒に記念撮影をする。スポーツ吹矢の醍醐味だろう。
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吹矢競技大会で最高得点賞

2013-09-30 18:06:03 | ぼやき
 またまた吹矢の自慢で申し訳ない。昨日世田谷区スポーツ吹矢協議会第四回競技大会と言うのに出場した。上級(10㍍)の部で優勝。全参加者(約80名)中の最高得点賞(4ラウンドで134点―35・33・31・35)も頂いた。第1回大会の時は、私はまだ吹矢を始めたばかりでとても出場など出来なかった。しかし、この大会は相性がいいらしく、第2回大会から出場して、優勝、準優勝、優勝とたまたま3年連続した。
 一昨年は大会が12月で、会場(小学校の体育館)が寒過ぎて皆かじかんでいたため、東北育ちの私には有利だった。寒さに懲りて、昨年は9月に開催されたが、何と台風接近で今にも電車が止まりそう。大会の予定をすっかりかえて6ラウンドの予定を4ラウンドに短縮し、進行を早くして早く解散と役員の方々は大変な苦労をされた。この2回とも、従って皆さん点数が伸びず、私もろくな点数ではなかったが少し良くて幸いした。 今回は汗ばむくらいの気持のいい秋の休日だったから、皆さんのびのびとプレイされた。私も、普段なら満点の後もっと落ち込むのに、少しのダウンで済んだ。メンタルなスポーツだから、天気が良いだけで調子が良くなる。3度目の出場で競技参加者の中に知り合いが増え、一人で緊張しながら(私の支部からは他に誰も出場しないので)出番を待つことがなくなったのも、落ち着きを取り戻すのに大きく役立ったのだろう。同じ支部から応援の人が一人初めて来てくれた。「いやぁ、失敗した。2本外しちゃったよ」などと帰ってきてボヤくから、失敗が後に残らなかった。競技は選手が一人でやるのではない、と実感した。
 さてこれからどうなるのだろう。気を緩めず、残る試合と昇段試験に悔いなく臨むだけ、とわかってはいるのだけれど、11月まで緊張が続くだろうか。プロのスポーツ選手は凄いな、とつくずく思う。
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One Please, これなあに。

2013-09-27 01:14:13 | ぼやき
 孫引きで申し訳ない。大分前に読んだ話。日本のえらいさん(代議士?)が外国で講演をした。全部終わって、いきなりOne please,と言った。通訳が困って、「それなんですか」と小声で聞いた。「ひとつ、よろしく、だよ。わかんないかね。」と.
電話をかけて「イフ、イフ」と言い、相手がわからずに切ってしまうので、「彼ら英語が下手だな、全然わからないらしい」とぼやく代議士が何人もいた、という笑い話を昔ロンドンで聞いた。「if,if」つまり「もし、もし」と言ってるつもりなのだ。とても本当とは思えないが、戦後しばらくはそんな程度だったのだろう。
 ローマを「視察」した代議士たちが、古代ローマの遺跡「フォロ・ロマーノ」を案内されて「全然片付いていない。イタリアは戦後復興が遅れているな」と優越感にひたっていた、という 恥ずかしい話もある。 日本の代議士はその程度だよ、と言われそうで、どうも日本人がまとめて馬鹿にされそうな恐れも感じる。知らないのは仕方がない。後でも学べば二度と恥はかかずに済む。嫌なのは、こうした小話に必ずついている御当人の無知な優越感だ。自分のことは棚に上げて、「理解」できない相手を小馬鹿にしている。
 つまんない話なので長く書かずにいた。何故今書く気になったのだろう。多分、日曜討論?を偶然見てしまい、福島原発の汚染水を完全にコントロールしているだのブロックされているだのという発言を、「立派」だの「正しい」だの「風評被害を防いだ。東京には被害が及んでいない事をはっきりさせた」だのとほざいているのを聞いてしまったからだろう。代議士が臆面もなく嘘をつくようになった。無知をさらけ出しているだけならまだ愛嬌があったのに。
 
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