Our World Time

えぐられるからこそ

2013年01月21日 | Weblog


 先ほど、安倍総理の悲痛な発表で、7人の日本国民のいのちがアルジェリアで奪われたことが、対策本部の席上、明らかにされました。
 7人の戦士に、こころの底から哀悼を捧げ、まだ安否不明のかたがたの生存と無事を、深く祈ります。

 あぁ、抉られるようだ。胸も脳も、えぐられる。



 今回の事件で、交渉はありません。
 先週の木曜日、事件発生から間がない1月17日に、ニッポン放送の報道番組「ザ・ボイス」の生放送で、アナウンサーの飯田さんから問われて、ぼくは即座にそう答えました。
「ザ・ボイス」の直前番組のキャスターは「これだけ人質が多国籍だから、青山さんの言う強行突入が仮にあるとしても、それはどこが主導権を持ってやるのか」とも問われていましたが、それは主権国家のアルジェリアしかあり得ません。それも、17日の放送で申しました。
 番組のあと、独研(独立総合研究所)が配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の速報でも、そのように記しました。
 したがって、人質の危機がどれほど深いかは、危機管理を本職のひとつとしている者として、胸に突き刺さるようにありました。

 しかし、砂漠の非業の死を、現実に総理の口から聞けば、無念、無残の悲しみと怒りが湧きあがってきます。
 北アフリカの衝撃波は、9.11後の世界の新段階として、これからも続きます。
 わたしたちは、新政権と共に、それに備えねばなりません。

 日本のマスメディアの、アルジェリア事件の報道ぶりには、根本的な間違いがあります。
 それは、敗戦後の日本の思い込みのまま、「抑止」ということの本質を知らないまま、この新しい現実を、通り一遍の批判だけで報じようとしていることです。
 意識や意見の違いがあっても、連帯すべきを連帯して、悲劇の再現を防ぎたい、それにわずかでも寄与したいと、リスクと戦うべき独研の責任者として、そう考えます。




こんな一枚が届きました (書き改めました)

2013年01月21日 | Weblog



▼写真は、つたない書物ながら魂を注ぎ込んで、したためた「ぼくらの祖国」の熱心な読者の撮影です。
 そのかたが、沖縄の摩文仁の海岸で撮って、送ってくださった、目の覚めるような美しい一枚です。

 このかたは、まだ若い女性ですが、海外でも国内でも沢山の経験を積まれて、ずっと日本と日本人を思って生きてこられたひとです。
 この写真を撮ったときも、「沖縄を護ってください」という声なき声が、しっかりと聞こえたということです。
 中国をはじめ、いかなる手からも祖国のかけがえのない一部である沖縄を護れ、沖縄県民と日本国民を護れという声だったのではないでしょうか。


▼この「ぼくらの祖国」(扶桑社)は、出版から1年を超えて、まだ読者が増え続けています。
 担当の誠実なベテラン編集者から「稀なことが起きている。この本を担当したことを光栄に思う」という趣旨の、印象に残るEメールが届きました。

 たとえばアマゾンの残り冊数は、ちょっとだけ目を見張るようなペースで少なくなっていきます。
 ただ、出版元からの補充は、お願いしても、なかなか行われません。
 読者が増えたといっても、実は、まだまだ日本社会で少数派です。それを謙虚に受け止めねばならないと考えます。敗戦後の日本社会は、ずーっと変わらずに来たのですから、そうは簡単に変わりません。「祖国」という言葉を冠した本が、出版元が熱意を持つほど読まれる日は、まだ来ていません。

「ぼくらの祖国」は、出版からまださほど時間が経っていないときなどにも、同じように、ネット書店で注文が増えているのに補充されないことが何度もあり、売り切れ状態のまま放置されたことが繰り返しありました。
 当然、買いたいひとは、困ったり、がっかりなさったと思います。
 今なお、同じことが繰り返されるのは、残念ですが、前述したように、ありのままの現実の反映でもありますから、出版元を責められません。

 しかし、読者が絶えてしまうことはなく着実に増えているおかげで、すなわち、著者のぼくではなく読者のみんなのおかげで、そう遠くないうちに間違いなく補充されると思いますから、もしも売り切れてしまったら、ほんとうに申し訳なく思いますが、待ってくださいね。

 書物というものは、著者が書いて終わりではなく、読んでくださるひとがいて初めて、ほんものの書物になるんだということを、あらためて実感しています。