Our World Time

その後の松葉マン 1

2007年10月01日 | Weblog



▼いま、9月29日土曜の朝8時55分。
 羽田から、北海道は帯広に向かう機中にいる。
 十勝平野を目指す機内は、満席だ。

 足を骨折してから、きょうで6日目、まだたったの6日しか経っていないのかと正直、がっかりする。
 精も魂も、尽き果てた。
 ほとんどの予定を予定通りに遂行しているのだけど、移動に次ぐ移動の日々を松葉杖でこなすには、ふだんの倍ではきかないほど体力を消耗する。
 身体上の困難だけじゃなく、心の体力も意外なほどに費やす。
 ふだんの日程そのものが、おのれ自身でもたまに『凄絶なスケジュールだなぁ』と思うのだから、いくら体力があっても、こりゃ、もたないや。

 その胸の内は内として、たとえばきょうの帯広の催しでも、沢山のひとが努力に努力を重ねて準備し、沢山のひとが待っていることを思えば、この先も、予定は変えずに、こなしていく。

▼10月2日の火曜は、ほんらいは近畿大学経済学部の第3週の講義だけれど、近大の客員教授に就任する前から決まっていた講演が都内であるから、休講になる。
 骨折した翌日の9月25日火曜に、病院で、第2週目の講義を休講にするかどうか悩んだときには、ぼくの頭からも秘書の頭からも、この3週目のことが抜け落ちていた。

 9月25日は、学生たちの志気に関わるからと考えて、いちばん痛む時期だったけど、それを押して大阪へ行き、2週目の授業をやっておいて良かったと今、こころから思う。
 休講の誘惑に負けていれば、開講から早くも2週目と3週目が連続で休講になってしまって、ほんとうに学生たちの志気に影響するところだった。

▼飛行機の窓の外は、夏と秋が入り交じるように、ぽっかり雲と筋雲がともに浮かんでいる。
 どんな雲でもいい、あんなふうに、もう浮かんでいたいな。ちらりとは、そう思う。
 ほんの、ちらり。


▼雲をみながら、あらためて、怪我をした9月24日の未明3時ごろを、すこし考えた。
 自宅から、広い道路一本を挟んだ仕事部屋へ、移ろうとしていた。
 東京は、異様な残暑で夜もまだ暑く、Tシャツ一枚にサンダルだった。

 ところが、長い横断歩道を渡っている最中に突然、全身が寒さでがたがたと、ほんとうに音を立てるかのように震えだした。
 このごろ、たまに、ある。
 突然、体温が急激に下がり、周りの状況と関係なく、凍えそうになる。
 きっと疲労のせいなのだろう。

 とにかく凍えてしまうから、急いで走り出した。
 ふだんは脚力が、ぼくの体力を支えている。
 しかし、なんとも妙な走り方になった。小刻みのような、慌てたような。
 そして道路の中間分離帯を越えるとき、段差に足を取られた。
 最初に右足が、ひねられながら段差の下に落ちて、鋭く痛んで、それを戻そうとして今度は、左足もひねり、両足の痛みに耐えながらそのまま分離帯を越えて、向かい側の歩道に着いたとき、両手を突いて倒れ込んだ。

 この9月24日月曜は祝日で、幸いにして講演のように絶対に変えられない予定は入っていなかった。
 ほかの、ずらすことのできる予定はすべてずらせて、終日、自宅で原稿を書きながら、冷蔵庫で氷をつくっては冷やし、つくっては冷やしを続けた。
 最初は、両足を下に降ろすだけで、特に右足の痛みが激しく増して、原稿を書く根気を維持するのも、なかなかに困難だったけど、足がコチコチに冷えていくにしたがって、原稿は書けるようになった。

 ところが、夜中になって、氷を代えるときに見ると、右足のすべての指、甲、足首まで、ぱんぱんに腫れあがっている。
 それに痛みも、氷がちょっと解けだすと、うわぁーっという感じで襲ってくる。

 これは調べなきゃと、覚悟を決めて、右足の痛い部位を指で押していくと、まさしく凹むところがある。
 こりゃ折れているなぁと、そのとき初めて思った。

 ひとは得意分野で失敗をする。
 ぼくも、いちばん自信のある足で、こうやって失敗した。
 ただただ自分が悪いだけだから、どんな予定にも影響はさせたくない。影響が避けられないにしても、最小限にしたい、そう、心に決めています。