前回の続き。
山崎隆之七段が、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)に挑戦した2009年の第57期王座戦五番勝負。
羽生の先勝を受けての第2局は、山崎の一手損角換わりから激戦に。
図は羽生が▲71角と打ったところ。
「山崎優勢」から「混戦」になり、ここでは難解な終盤戦に突入している。
先手は2枚の角が後手陣の急所を射抜いているが、後手からも△69銀がキビシイねらいに。
興奮度もMAXなたたき合いだが、ここで後手から△23歩と角取りに打ったのが敗着となってしまった。
以下、▲82角成、△24歩、▲31飛と打って先手の勝ちが決まった。
△41金打に▲34飛成で、山崎が投了。
急転直下の結末で、なにが起こったのかはよく分からないが、とにかく終わってしまった。
形勢がまだむずかしかったのは、▲71角という手に羽生が23分も消費したことから伝わってくる。
おそらくは山崎に誤算があったのだろうが、ここから、後になにかと語られることとなる「事件」が起こる。
盤側で見ていた、観戦記担当の梅田望夫さんの記事によると、山崎が投げた瞬間、羽生はびくんと体を震わせ、「おっ」と声を上げたという。
投了が意外だったのだろう。
▲71角に貴重な持ち時間を23分投入し、後の展開を読みに読んでいたはずが、なんとそこから数手で終わってしまった。
時間にして、わずか8分しか経っていなかった。
目の前で、リアルタイムで見ていた梅田さんによると(改行引用者)、
突然の投了に心から驚いている様子だ。
そしてすぐ山崎に向かって、この将棋は難解なまままだまだ続くはずであったろう、そして自分の方が形勢が悪かったという意味のことを、かなり強い口調で指摘した。
山崎もすぐさま言葉を返したが、羽生の口調と表情は厳しいままだった。
数分後に関係者が大挙して入室してきたときには、穏やかないつもの羽生に戻っていたが、盤側で一部始終を観ていた私は、終局直後の羽生のあまりの険しさに圧倒される思いだった。
羽生には勝利を喜ぶ、あるいは安堵するといった雰囲気は微塵もなく、がっかりしたように、いやもっと言えば、怒っているようにも見えたからだ。
まあ、将棋ファンならこのあたりの事情は、なんとなく推測はできるところだ。
羽生は▲71角と打つところでは「やや苦戦」を自覚し、ここからどうやって巻き返していくかを考えていた。
そのための夜戦にそなえて、心身の準備をしていたのだろう。
そこに突然の投了。
あ? え?
羽生からすると、ハシゴをはずされたような気分になったのかもしれない。
予約録画してたドラマの最終話が撮れていなかった気分。
あるいはテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』のラスト2話が、あんなだったときの感じだったのかもしれない。
「楽しみにしてたのに、そりゃねーぜ!」
モヤモヤが残ったであろう証拠に、終局は9時47分だが、感想戦は羽生がリードする形で深夜の12時まで続いたそう。
持て余した闘志をクールダウンさせるのに必要な時間だったのだろう。
山崎からすれば、敗れたところに「なんで、もっとがんばらないんだ!」と対戦相手に説教されるなど、理不尽このうえないが、結果からすれば反論しようもない。
感想戦での山崎によると、▲71角には△69銀と打っていくことを予定していた。
▲82角成と飛車を取られても、△78銀成、▲同玉、△28竜が王手角取り。
これで、△24竜と攻め駒を抜いてしまえば(▲68角と引いても△88金で詰み)、長い戦いながらリードは保てていた。
だが、実際に指したのは、△69銀ではなく△23歩の催促。
山崎の読みでは、▲31飛の局面で△41金打ではなく、△41金と引いて、きわどく受けるつもりだった。
ここで金を1枚温存し、▲34飛成に△69角と打てば勝ちだと。
残念ながら、これは勝手読みにすぎなかった。
この局面では、▲63桂から後手玉に詰みがあるので不許可なのだ。
これで羽生が2連勝。
スコアもさることながら、山崎にとってこの一局は、単なる1敗以上の大きな負けとなってしまった。
途中までは優勢だったし、勝てる勝負を落としたから?
それはいい。どんな強者でも、敗れることはある。
読み抜けがあったこともわかった。ミスがあるのも、だれしも仕方がないことだ。
やはり、この将棋を観戦していた「詰将棋解答選手権」でもおなじみの若島正さんが(改行引用者)、
局後の感想戦では、山崎は羽生王座にけっして読み負けてはいなかった。
いやそれどころか、明らかに読みの量では上まわっていたとしか思えない。
こうおっしゃるように、この将棋の敗因は決して「棋力の差」にあったわけではなかった。
では、なにが痛かったのか。
それは山崎がなぜ、△69銀を見送ったかということにあったのだ。
(続く)