エジプトの首都カイロ紀行 ギザのピラミッドやアブ・シンベル大神殿=『VOW』物件説

2020年02月03日 | 海外旅行
 「《英雄》とか《偉人》の跡を見ると、笑ってしまうクセがある」。

 私は海外旅行が好きなのだが、その先にはよく「偉人の墓」とか「英雄の名前のついた通り」があるもので、そういうところを通ると、

 「よう自分のために、こんなデカいもん作ろう思ったな!」

 「街のそこかしこに、我がの名前がついてるのん、どういう気持ちやねん!」

 なんて完全にフットボールアワー後藤さんのごとき「つっこみモード」に入ってしまい、もう爆笑してしまうのだ。

 エジプトのピラミッドなどその最たるだが、これにかぎらず、エジプトという国はこの手の「偉人の遺跡」には事欠かない。

 映画『ナイル殺人事件』でミア・ファローが高笑いしてたアブ・シンベル大神殿とか、ルクソールのカルナック神殿なんて、ムダにデカすぎて、まるでロールプレイング・ゲームの世界。

 どこ見ても『ドラクエ』とか『ロード・オブ・ザ・リング』の世界で、私などもルクソール観光では自転車をこぎながら(ルクソールはチャリで回るのが効率良し、ただし夏は直射日光で死にます)ずっと、「アレフガルドのテーマ」を歌っていたものだ。

 もしくは『ワイルドアームズ』のダンジョンとか。例は古いが、とにかくそれくらいの「異世界」感なのだ。

 メインイベントのピラミッドも、とにかくでかいのが魅力である。

 でかい、でかい、ばかでかい。

 テレビやガイドブックなどで散々見せられているあの四面ダイスだが、実際に見て見るとやはり迫力が違う。

 「生ピラミッド」は、たしかにそのために航空券代を払う価値もあろうというもの。

 「でかいというのは、それだけでエライことだ」

 という、森永エールチョコレート的真理を教えてくれるのが、ギザのピラミッドの偉大なところだ。

 もう問答無用の大遺跡で、それだけでも満足だが、エジプトの魅力はそういった観光資源だけでなく、案外と現地の人だったりする。

 ピラミッドを見に行ったときも、その日が休日だったのか、ふもとでピクニックを楽しんでいる家族連れがたくさんいた。

 そのうちの一組に手招きされ、「食べなさい、食べなさい」と、キョフテ(ミニサイズの羊肉ハンバーグ)をたらふくごちそうになったもの。

 「若者を見ると、おばあさんはやたらとモノを食わせたがる」

 というのは、洋の東西を問わないらしい。
 
 ……とかマトンをほおばりながらモゴモゴ言ってたら、隣にいたヤングたちが苦笑いしていたから、

 「いや、そんなにお腹空いてないねん、おばあちゃん」

 そう子供側が思っていることは日本もエジプトも同じと確認できて、なにやら感慨深いものがあった。

 こうして、市井の人々が、ピラミッドの下でお茶を飲んだり、その子供が鬼ごっこをしたりしている光景はいいものだ。

 それは単にほのぼのするというだけでなく、

 「《王の墓》なんていったって、時がたてば地元民にはこの程度のあつかい」。

 という「のほほん」なところ。

 私が「偉人の跡」「英雄名の通り」に笑ってしまうのは、こういうところにある。

 いや、もちろん「王」とか「大統領」とか「チャンピオン」とか「カリスマ」といったものを、あがめるにしくはない。

 たとえば将棋における「升田幸三賞」のように、後世の人がリスペクトあまねきためにつけるなら問題ないけど、その張本人が、
 
 「これ、ちゃんとオレの名前つけといてな」
 
 などと主張し、でかい墓を建てたり、銅像を建てたり、公園やスタジアムを整備するのは相当にマヌケである。

 なにかこう、「成り上がり」感がすごいというか、オレ様やなあというか、そこがかわいいといえばかわいいというか。

 少なくとも私なら、地元の駅前にすごく美化された自分の像があって、その生涯を礼賛するようなプレートとか飾ってあったら、速攻で取り壊させて、その「革命後に破壊される独裁者の像」みたいな動画をYouTubeにアップします。

 「せめて、みなさんに笑っていただく」

 くらいの気持ちがないと、そんな恥ずかしいこと、ようやりませんで。

 このキョフテのおばあちゃんも、ピラミッドを見上げながら、なにやらブツブツ言っていて、なんのこっちゃと首をかしげていると、
 
 「なんでこんな高さにしてるんや。ウチに地べたにすわれっちゅうんか。昔の人も、もうちょっと考えて作らなアカン」

 そんなボヤキを発していると、近くにいた若者が通訳してくれて、もうメチャクチャに笑ったのである。

 ギザの大ピラミッドも、昔は王の偉大さを表していたが、今のエジプトおばあちゃんにとっては、「すわりにくいイス」にすぎない。

 このミもフタもなさがステキだ。
 
 もしまかり間違って私がどこかで偉人なんかになってしまったら、ぜひその功績はこのようにぞんざいに扱われて、『VOW』物件として歴史に名を残したいものだ。

 
 (オールドカイロ編に続く→こちら
 

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