前回(→こちら)の続き。
「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。
前回は2002年のオーストラリアン・オープンで活躍した、ステファン・クベク、アドリアン・ボイネアといった聞いたことな……もとい、知る人ぞ知る実力派中堅選手を紹介したが、今回はフレンチ・オープンで名をあげた地味選手を。
パリはローラン・ギャロスで開催される全仏は、その「花の都」と称される土地柄と比べると、ずいぶん地味な大会である。
その理由は球足の遅いクレーコートというサーフェスにあり、スピードを殺すこのコートでは華のある攻撃的なプレーヤーが力を発揮できず、逆に
「根性だけはガチッス」
みたいな暑苦しくも、ガッツあふれる男たちが、上位進出しがちなのだ。
それこそ1994年の決勝戦など、セルジ・ブルゲラ対アルベルト・ベラサテギという、
「スペインの男汁」
とでも広告を打ちたくなるような、若干人を選ぶカード。
あのスーパースターであるビヨン・ボルグすらマッツ・ビランデルと、延々終わらないラリーをやっていたときには、フランス人が、
「こいつら、このまま世界の終わりまで打ち合ってるんじゃないか」
なんて恐れおののいたというくらいだ。げにすさまじきは、いにしえのクレーコートテニスである。
そんなふうに、かつて全仏オープンは華やかさとは無縁の「クレーのスペシャリスト」なる季節労働者が大挙して押しかけ、ここが稼ぎ時とばかりにトップスピンをぐりぐりと打ちまくっていたので、「だれやねん」な選手にこと欠かない。
たとえば、1996年のベルント・カールバッヒャー。
カールバッヒャーはドイツのテニス選手。
80年から90年代のドイツといえば、ボリス・ベッカーとミヒャエル・シュティヒが最強のツートップとしてブイブイ言わしていたわけだが(ただし仲は悪かった)、その下には
ダビト・プリノジル
ヘンドリック・ドレークマン
カール・ウベ・シュティープ
といった、マニアックすぎて、書き写していてヤングなテニスファンに土下座でもしたくなるような、少々ガチすぎる地味選手が並んでた。
ベルントもその一人だったわけだが、そんな彼もシュティープなどと並んで、ドイツのデビスカップ代表でも活躍するすごい選手。
この年のデ杯でも準決勝ロシア戦で、勝利を決める一番にベッカーの代役として出場。
ロシアのスーパーエースであるカフェルニコフにボコられて、決勝進出を逃がしたりしていたものだ(←いや、それダメじゃん)。
そんなドイツテニスの中間層をささえていたカールバッヒャーが、パリの舞台で大活躍。
4回戦でゴーラン・イバニセビッチを破る大金星を挙げて、見事ベスト8に。
彼は特にクレーコーターというイメージはないが、静かに淡々としたストロークを打ち続け、何がどうということはないが勝ち上がっていったのだ。
高速サーブやスーパーショットとは無縁だが、
「よくわからんが勝った」
この空気感が、地味選手の真骨頂といえなくもない。
準々決勝ではスイスのマルク・ロセにフルセットの末敗れたものの、「ドイツはボリスだけやない!」と、その存在感を十二分にアピールしたのであった。
また、ベルントといえば忘れがたいのが、そのヘアスタイル。
もともと容貌自体も地味なうえに、その頭に乗っている毛というのが、ヘルメットというかおかっぱというか。
お笑いコンビ2丁拳銃の小堀さんのごとき、独特すぎるビートルズ・スタイルなのであった。
いや、ビートルズは偉大だが、当時でもすでに「古典」という時代であった。なにかこう、違和感はバリバリだったのだ。
今だったら、「え? 売れようとしてるの?」とか、イジられまくりであったろう。
地味でも髪型が突飛でも、安定感と体力と根性さえあれば上位進出をねらえるのが、ローラン・ギャロスのいいところ。
1996年大会のベルント・カールバッヒャーは準優勝したミヒャエル・シュティヒとともに、
「じゃないほうドイツ選手」
として大いに気を吐き、マニアックなテニスファンを大いに盛り上げたのである。