前回の続き。
「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。
前回は1996年のオーストラリアン・オープンでベスト4に入ったダブルスのスペシャリストであるマーク・ウッドフォードについて語ったが(→こちら)、全豪では以降も、目を引くマニアックな選手が上位進出を果たしている。
1998年大会でのアルベルト・ベラサテギ(冗談みたいな厚いフォアハンドのグリップで94年のフレンチ決勝進出)や1999年大会のビンセント・スペイディア、カロル・クチェラ。
2000年大会ではクリス・ウッドルフや、モロッコの元ナンバーワン、ユーネス・エル・アイナウイがベスト8。
2001年はフランスのアルノー・クレマンが準優勝など、だれも知ら……もとい玄人好みの実力者が大活躍しているのだ。
そんな精鋭ぞろい(?)の、2000年代における地味な全豪といえば、やはり2002年大会を忘れるわけにはいかない。
というと通のテニスファンは、
「あー、あの決勝ね」
なんてニヤリとされるかもしれない。
そう、この年の決勝戦はロシアのマラト・サフィンとスウェーデンのトーマス・ヨハンソンというカードだったのだが、これがもう見てて笑ってしまうくらいタイプのちがう選手だったのだ。
サフィンのほうは2000年のUSオープン決勝で王者ピート・サンプラスをボッコボコにして優勝するという鮮烈なデビューを果たし、その後すぐにナンバーワンに。
才能にあふれ、魅力的なうえにもまた魅力的なプレーだけでなく、その派手な言動や天才らしいもろさなどあいまって、キャラ立ちまくりのザッツ・スーパースター。
一方のヨハンソンはスウェーデンの選手らしく、安定感あるストロークが武器の実力者。
その見た目や言動などはきわめて普通であり、スウェーデンのテニスといえばビヨン・ボルグやステファン・エドバーグなど華のあるイメージがあるが、実際のところはビジュアルでもプレースタイルでも「地道にコツコツ型」が多いのだ。
となると、これはもう「番長」サフィンの2つめのグランドスラムタイトルは間違いなかろうと、だれもが疑うことがなかったのだが、あにはからんや。
勝負というのはやってみなければわからないもので、この大一番を制したのは「いぶし銀」ヨハンソンなのであった。
アイヤー! そんなことがあるんでっか!
私がこれまで、もっとも意外だったグランドスラムの結果というのが、2014年USオープンの錦織圭の決勝進出なんだけど、その前といえばこのヨハンソン優勝かもしれない。
いや、トーマスには悪いけど、マラトが負けるなんてたったの1秒も思わなかったもんなあ。
彼からすれば、「オレだって、やるときゃやるゼ」てなもんだったろうが、この大会は彼だけでなく、上位進出者がけっこうな割合で渋いのも印象的だ。
レイトン・ヒューイットやアンディー・ロディックといった、優勝を期待されたトップ選手が前半戦で消えてしまったことも相まって、そこをするするとダークホースが上がってきたのだ。
それでもトップハーフはまだベスト8に、
マルセロ・リオス対トミー・ハース
ウェイン・フェレイラ対マラト・サフィン
こういったメジャーどころがそろったが、ボトムハーフはといえばこれが、
イジー・ノバク対ステファン・クベク
ヨナス・ビヨークマン対トーマス・ヨハンソン
嗚呼、なんて渋い。
ノバクかあ。昔レンドル今ベルディハと、チェコの選手は伝統的に目立たないなあ。
ビヨークマンとか「地味界の名関脇」(横綱はレンドル、大関はミヒャエル・シュティヒかペトル・コルダあたりか)が、しっかり勝ち上がっているのもうれしいではないか。ダブルスも強いというのが、またいい味だ。
しかも、その前の4回戦など、
イジー・ノバク対ドミニク・フルバティ
トーマス・ヨハンソン対アドリアン・ボイネア
とか、これでチケットがはけるんかいな、と余計なお世話の心配をしそうになる組み合わせもあったのだ。ステキすぎるではないか。
かくのごとく、オーストラリアン・オープン2002年大会は「地味萌え」な私にはなかなか興味深い大会なのである。
まあ、ファンはまだしも、大会主催者からしたら、こんなシードダウンだらけの大会は「マジで勘弁してえ!」ってなるだろうけど。
負けるな、マニアックなチェコ&スウェーデン選手!
(ベルント・カールバッヒャー編に続く→こちら)
★おまけ 2002年全豪決勝のハイライトは→こちら