燃えろウェイン・アーサーズ 2001年デビスカップ決勝 オーストラリアvsフランス その2

2017年12月12日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2001年デビスカップ決勝は大激戦となった。

 レイトンヒューイットパトリックラフターの世界ナンバーワンコンビ擁するオーストラリア

 エースであるセバスチャングロージャンを筆頭に、ニコラエスクデセドリックピオリーヌファブリスサントロという渋い実力者で脇を固めるフランス

 両チームゆずらず2勝2敗で、勝負は最終シングルスにもつれこんだが、ここで恐れていた事態が現実となった。

 この決勝戦。戦前の予想では、オーストラリアが危ないという、もっぱらの評判だった。

 その理由はパトリック・ラフターのケガだ。

 もともと全盛期と比べて、おとろえが見られていたラフターだが、くわえてUSオープン2連覇以来、体調不良におちいることがたびたびあり、この決勝戦前でも背中だったか腰の故障だったかで、出場が危ぶまれていたのだ。

 だがそこは舞台がデ杯である。

 しかも決勝、おまけに地元開催だ。こんな条件がそろっては、選手は休むなんて考えられなくなる。

 特にラフターはチームをひっぱるベテランとして、責任感も強い男。

 痛む体に鞭打って、チームのために強行出場を決めていたのだ。

 この選択は、とりあえずは成功だった。

 元ナンバーワンであり、グランドスラム大会優勝経験者の実力と意地か、ラフターは見事に初日1勝をあげ、まずはあたえられた役割をこなした。

 ここまではよかったが、オーストラリアはこのラフターの勝利を生かせず、ヒューイットの試合とダブルスを落とし、勝敗の行方を3日目最終シングルスにもつれこませてしまう。

 対戦スコアを見ればわかるが、この決勝でオーストラリアはラフターをダブルスでも連投させた。

 ということは、



 「故障をかかえたパトリック・ラフターにまわってくる、最終シングルス前に決着をつける」



 ことを想定していたに違いない。

 のちに、物議をかもすこととなるジョンフィッツジェラルド監督の采配では、ラフターの体調では、2試合出るのが限界と判断。

 それなら、プレッシャーのかかるシングルス2試合よりも、シングルスひとつと、比較的負担の少ないダブルスに出させて、



 「初日1勝、ダブルス1勝、最終日ヒューイットで3勝目」



 もしくは



 「初日に一気に2勝して、あとはダブルスかヒューイットで決める」



 といった目論見であったのではなかろうか。

 とにかく、最終戦前までに決めてしまい、ラフターの負担を最小限にせねばならない。

 その意味では、ファブリス・サントロという玄人中の玄人がいるダブルスはともかく、結果的には初日にヒューイットがニコラ・エスクデに敗れたのが痛かったことになる。

 これによって、短期決戦のプランがご破算になったのだから。

 フィッツジェラルド監督が批判されたのはここで、ラフターが完全な状態でないなら、別の選手を用意すべきではなかったか。

 また、ダブルスに巧者ををそろえるフランス相手に、そこを手負いのラフターで強行突破というのは無茶ではなかったか。

 むしろ2日目は捨てて、最終シングルスにこそ、彼をスタンバイさせるべきではなかったか。

 こういった選手の配置は難しい問題で、日本でも



 「デ杯で錦織圭をシングルスに専念させるか、それとも単複3連投で力ずくの勝利をもぎ取るか」



 というオーダー論は毎回のように議論になるが、たしかに外野の声は一理あるとはいえ、状態が完全ではない中「これでいく」と決めた作戦をつらぬいたのだから、結果論的な話をしても仕方ないのかもしれない。

 ともかくも、3-03-1電撃戦プランは、フランスの伏兵の前にくずれ去った。このあたりが、団体戦の妙ともいえる。

 ここにオーストラリアは決断を迫られた。

 勝負のかかった最終シングルス、戦力大幅ダウンを覚悟で控えの選手を選ぶか、それとも満身創痍のパトリック・ラフターをあえて出すのか。

 そしてここに、これまで一度も名前の出なかった、あの男が突如浮かび上がってくるのだ。

 そう、われらが「地味萌え」が推すビッグサーバー、ウェインアーサーズである。

 
 (さらに続く→こちら




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