「藤井聡太五冠の将棋は完成度が高い」
というのは、棋士や評論家の間で、よく聞かれるセリフである。
過去の名棋士とくらべて、「強さ」や「才能」に関しては、いろんな意見や身びいきがあるだろうけど、こと
「年齢に比べての完成度」
と言われると、これはもう藤井聡太のそれは、谷川浩司や羽生善治の若手時代よりも、ハッキリと上回っていると言っていいだろう。
その理由は簡単で、昔と比較して情報量や勉強方法などが、段違いに進化したから。
谷川浩司九段の若手時代と言えば、インターネットはおろか、安価なパソコンやデータベースも存在しなかった。
他人の棋譜を見ようと思ったら、わざわざ将棋連盟まで足を運んで、自分で探してコピー(下手すると手書きで写して!)を取らなければならなかった。
ましてや関西所属の谷川など、情報の面では圧倒的不利な状況であり、どうしても将棋の洗練度を上げるのに時間と手間がかかったのだ。
また羽生がデビューしたころも似たようなもので、平成になるころはデーターベースこそ、かなり充実。
情報面では進歩を遂げたが、インターネットはまだ出たばかりで、メールすら使っている人はほとんどいない。
もちろんスマホなどなく、すぐれたAIなども望むべくもない。
やれることといえば、棋譜並べと詰将棋くらいで、あとはすべて手探り。
なので羽生も谷川も、序盤戦術では経験豊富なトップ棋士に差をつけられるも、その後に抜群の終盤力でひっくり返す勝ち方が多かった。
藤井聡太も、もし昭和にデビューしていたら、おそらく、そういう戦い方になっていたことだろう。
それは、ドラマチックではあるが「荒い」ようにも見えたわけで、藤井聡太は、その時期が短かった印象があるのだ。
ということで、前回は羽生善治「四段」のデビュー戦を見ていただいたが、今回も、まだ若き「野生時代」における羽生将棋を見ていきたい。
1986年、第45期C級2組順位戦の1回戦。
森信雄五段との一戦。
「中学生棋士」
「未来の名人」
としてプロ入りした羽生の順位戦デビュー戦だが、この将棋がいきなり大苦戦でスタート。
森の振り飛車に、後手番の羽生は急戦で対抗。
6筋での斥候から、やや振り飛車さばけ形に見えるところ、羽生も美濃囲いの弱点である端に味をつけ、背後をうかがう。
図は森が▲65歩と打ったところ。
△63金などと逃げると、▲55歩で銀が死んでしまう。
かといって△65同銀と取るのも、▲同銀、△同金に、▲11角成や▲62歩、▲63歩と連打してから、▲54銀など好調な攻めが続く。
すでに後手が困っているようだが、ここで羽生が勝負手を繰り出す。
△86歩、▲同歩、△75歩(!)が、おどろきの手順。
▲65歩に、どう対応しても不利なら、そもそも無視すればいいじゃん、と。
まるで「パンがなければケーキを食べればいいのよ」と言い放ったアントワネットのようだが、やむを得ないとはいえ、ここで金取りを放置して手を進める度胸も並ではない。
とはいえ現実に、金をなんの代償もなくボロッと取られるのはかなり痛い。
▲64歩、△76歩、▲88角に、羽生は△77桂と、筋悪な手でねばりにかかる。
一目、変な形だが、飛車を責めながら角道を遮断して、ちょっとイヤな手ではある。
飛車を逃げ回るようでは、後手に挽回をゆるしてしまうが、ここで先手に好手があった。
▲65銀とぶつけるのが、いかにも感触のよい手。
私レベルなら飛車取りにビビッて、反射的に逃げてしまいそうなところだが、
「逃げる手以外に、なにかないか?」
「今、まるまる金得だから、飛車を取られても、そんなに痛くないかも」
「それに△69の成桂は重い形だし」
「△69桂成と取らせれば、▲88にある角道が開通するし、なにかワザがかかりそうだぞ」
なんてことを、あわてて指さないで考えてみることが、アマ級位者が有段者になる道への一歩であろう。
▲65銀に△69桂成なら、▲54銀が好調子。
羽生は△65同銀と取るが、▲同飛とさばいて、△77の桂を空振りさせて、気持ちいいことこの上ない。
森は今では『聖の青春』の村山聖九段をはじめ、山崎隆之八段や糸谷哲郎八段などを育てた存在として知られるが、かつて1980年の第11期新人王戦で決勝に進出。
そこでも、後に竜王獲得にA級9期とバリバリのトップ棋士に成長する、島朗四段を破って優勝している。
見事なジャイアントキリングで、その隠れた実力者ぶりを、ここぞとばかりに見せつける展開となっている。
ますます苦しくなった羽生は、端をなんとか突破し、角も入手して必死に逆転のタネをまくが、森は乱れず、寄せの網をしぼる。
むかえたこの局面。
先手は竜が強力なうえ、▲54桂も自然な攻めで、玉も左辺が広く、問題なく優勢に見える。
このあたりの差が、まだ「荒い」と評されたゆえんだが、実は話はここからが本番なのだ。
続く2手こそが、若き日の羽生将棋の真骨頂だった。
△93角、▲57桂、△82金が、すごいがんばり。
とにかく竜を追い払って、どこかで△64飛と眠っていた大駒をさばいて勝負ということだろうが、角打ちはともかく、△82金はいかにも異筋。
セオリーにない手で、一目はいい手には見えないが、逆に言えば常識に反している手とは
「相手が読んでいない手」
である確率が高く、そういうサプライズで相手のペースを乱すのが、羽生流の逆転術だった。
事実、この局面で森が誤った。
△93角には、▲57桂ではなく強く▲84銀と打って合駒すべき。
また金打にも、▲74竜などゆっくり指せば、先手玉は左辺が広くて攻め手がなく、やはり先手が勝ちだった。
そのはずが、森は▲42桂成、△同金に▲53竜と一気の寄せをねらう。
これがまさかの、弟子の糸谷哲郎八段も
「なにやってんですか、師匠!」
悲鳴をあげるという暴発で、△同金、▲45桂に△41桂と受けて、後手陣は一発ではつぶれない。
それでもまだ、先手にチャンスがある終盤だったが、落ち着いて行けばいいところを、勝ちをあせり、前のめりになる姿勢では、羽生少年の圧倒的終盤力に足元をすくわれるのは見えている。
その後は森の乱れに乗じて、羽生がひっくり返し、最後はなんと玉が△92の地点まで転がっての逃げ切り。
序中盤での荒削りな部分を、魔術めいたアヤシイ勝負手と、一度ひっくり返せばテコでも動かせない終盤の底力。
それこそが羽生将棋。
デビュー2年目くらいから「順当勝ち」が多くなった藤井五冠とちがって、このハラハラさせるような戦いぶりこそが、昭和から平成にかけての「天才」に頻出する勝ち方だったのだ。
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