「羽生マジック」の萌芽 羽生善治vs森信雄 1986年 第45期C級2組順位戦

2022年11月30日 | 将棋・名局

 「藤井聡太五冠の将棋は完成度が高い」

 

 というのは、棋士や評論家の間で、よく聞かれるセリフである。

 過去の名棋士とくらべて、「強さ」や「才能」に関しては、いろんな意見や身びいきがあるだろうけど、こと

 

 「年齢に比べての完成度」

 

 と言われると、これはもう藤井聡太のそれは、谷川浩司羽生善治の若手時代よりも、ハッキリと上回っていると言っていいだろう。

 その理由は簡単で、昔と比較して情報量勉強方法などが、段違いに進化したから。

 谷川浩司九段の若手時代と言えば、インターネットはおろか、安価なパソコンデータベースも存在しなかった。

 他人の棋譜を見ようと思ったら、わざわざ将棋連盟まで足を運んで、自分で探してコピー(下手すると手書きで写して!)を取らなければならなかった。

 ましてや関西所属の谷川など、情報の面では圧倒的不利な状況であり、どうしても将棋の洗練度を上げるのに時間と手間がかかったのだ。

 また羽生がデビューしたころも似たようなもので、平成になるころはデーターベースこそ、かなり充実。

 情報面では進歩を遂げたが、インターネットはまだ出たばかりで、メールすら使っている人はほとんどいない。

 もちろんスマホなどなく、すぐれたAIなども望むべくもない。

 やれることといえば、棋譜並べ詰将棋くらいで、あとはすべて手探り。

 なので羽生も谷川も、序盤戦術では経験豊富なトップ棋士に差をつけられるも、その後に抜群の終盤力でひっくり返す勝ち方が多かった。

 藤井聡太も、もし昭和にデビューしていたら、おそらく、そういう戦い方になっていたことだろう。

 それは、ドラマチックではあるが「荒い」ようにも見えたわけで、藤井聡太は、その時期が短かった印象があるのだ。

 ということで、前回は羽生善治「四段」のデビュー戦を見ていただいたが、今回も、まだ若き「野生時代」における羽生将棋を見ていきたい。

 


 1986年、第45期C級2組順位戦の1回戦。

 森信雄五段との一戦。

 

 「中学生棋士」

 「未来の名人」

 

 としてプロ入りした羽生の順位戦デビュー戦だが、この将棋がいきなり大苦戦でスタート。

 森の振り飛車に、後手番の羽生は急戦で対抗。

 6筋での斥候から、やや振り飛車さばけ形に見えるところ、羽生も美濃囲いの弱点であるに味をつけ、背後をうかがう。

 

 

 

 図は森が▲65歩と打ったところ。

 △63金などと逃げると、▲55歩が死んでしまう。

 かといって△65同銀と取るのも、▲同銀△同金に、▲11角成▲62歩▲63歩と連打してから、▲54銀など好調な攻めが続く。

 すでに後手が困っているようだが、ここで羽生が勝負手を繰り出す。

 

 

 

 

 

 

 △86歩▲同歩△75歩(!)が、おどろきの手順。

 ▲65歩に、どう対応しても不利なら、そもそも無視すればいいじゃん、と。

 まるで「パンがなければケーキを食べればいいのよ」と言い放ったアントワネットのようだが、やむを得ないとはいえ、ここで金取り放置して手を進める度胸も並ではない。

 とはいえ現実に、をなんの代償もなくボロッと取られるのはかなり痛い。

 ▲64歩△76歩▲88角に、羽生は△77桂と、筋悪な手でねばりにかかる。

 

 

 

 一目、変な形だが、飛車を責めながら角道遮断して、ちょっとイヤな手ではある。

 飛車を逃げ回るようでは、後手に挽回をゆるしてしまうが、ここで先手に好手があった。

 

 

 

 

 

 

 ▲65銀とぶつけるのが、いかにも感触のよい手。

 私レベルなら飛車取りにビビッて、反射的に逃げてしまいそうなところだが、

 

 「逃げる手以外に、なにかないか?」

 「今、まるまる金得だから、飛車を取られても、そんなに痛くないかも」

 「それに△69の成桂は重い形だし」

 「△69桂成と取らせれば、▲88にある角道が開通するし、なにかワザがかかりそうだぞ」

 

 なんてことを、あわてて指さないで考えてみることが、アマ級位者が有段者になる道への一歩であろう。

 ▲65銀△69桂成なら、▲54銀が好調子。

 羽生は△65同銀と取るが、▲同飛とさばいて、△77空振りさせて、気持ちいいことこの上ない。

 森は今では『聖の青春』の村山聖九段をはじめ、山崎隆之八段糸谷哲郎八段などを育てた存在として知られるが、かつて1980年の第11期新人王戦決勝に進出。

 そこでも、後に竜王獲得にA級9期とバリバリのトップ棋士に成長する、島朗四段を破って優勝している。

 見事なジャイアントキリングで、その隠れた実力者ぶりを、ここぞとばかりに見せつける展開となっている。

 ますます苦しくなった羽生は、をなんとか突破し、も入手して必死に逆転のタネをまくが、森は乱れず、寄せの網をしぼる。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 先手はが強力なうえ、▲54桂も自然な攻めで、玉も左辺が広く、問題なく優勢に見える。

 このあたりの差が、まだ「荒い」と評されたゆえんだが、実は話はここからが本番なのだ。

 続く2手こそが、若き日の羽生将棋の真骨頂だった。

 

 

 

 

 

 

 △93角▲57桂△82金が、すごいがんばり。

 とにかくを追い払って、どこかで△64飛と眠っていた大駒をさばいて勝負ということだろうが、角打ちはともかく、△82金はいかにも異筋

 セオリーにない手で、一目はいい手には見えないが、逆に言えば常識に反している手とは

 

 「相手が読んでいない手」

 

 である確率が高く、そういうサプライズで相手のペースを乱すのが、羽生流の逆転術だった。

 事実、この局面で森が誤った

 △93角には、▲57桂ではなく強く▲84銀と打って合駒すべき。

 また金打にも、▲74竜などゆっくり指せば、先手玉は左辺が広くて攻め手がなく、やはり先手が勝ちだった。

 そのはずが、森は▲42桂成、△同金に▲53竜と一気の寄せをねらう。

 これがまさかの、弟子の糸谷哲郎八段

 


 「なにやってんですか、師匠!」


 

 悲鳴をあげるという暴発で、△同金、▲45桂△41桂と受けて、後手陣は一発ではつぶれない。

 

 


 それでもまだ、先手にチャンスがある終盤だったが、落ち着いて行けばいいところを、勝ちをあせり、前のめりになる姿勢では、羽生少年の圧倒的終盤力に足元をすくわれるのは見えている。

 その後は森の乱れに乗じて、羽生がひっくり返し、最後はなんと△92の地点まで転がっての逃げ切り。

 

 

 

 序中盤での荒削りな部分を、魔術めいたアヤシイ勝負手と、一度ひっくり返せばテコでも動かせない終盤の底力

 それこそが羽生将棋

 デビュー2年目くらいから「順当勝ち」が多くなった藤井五冠とちがって、このハラハラさせるような戦いぶりこそが、昭和から平成にかけての「天才」に頻出する勝ち方だったのだ。

 

 (中村修王将との熱戦に続く) 

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