『死刑台のエレベーター』は良質のコメディ映画である。
フランスのルイ・マル監督といえば、『地下鉄のザジ』は大好きだし、『さよなら子供たち』は胸苦しく切ない傑作で、どちらも何度も観た。
この『死刑台のエレベーター』も、やはり私のお気に入りで、こないだテレビでやってたのを見て、もうこれで4回目の鑑賞だが、またも最後まで笑いっぱなしで大いに楽しめたのだった。
というと、
「おいおいちょっと待て、この映画は《フィルム・ノワール》ではないか。マイルス・デイヴィスの音楽もけだるく、どこにも笑いのはいる余地などないだろ」
なんて意見があるかもしれないが、それはまったく正しい。
ノエル・カレフ原作のこの物語は、犯罪劇であり、全編シリアスな展開のはずなのだが、それでもなぜか、私にはこの映画が喜劇に見えて仕方がないのだ。
まず引っかかるのが、主人公が「やらかす」シーン。
ストーリーは、主人公であるモーリス・ロネ演じる、元フランス軍落下傘部隊の英雄ジュリアン・タベルニエが、雇い主である社長を殺そうとするところからはじまる。
なぜ、そんなことをするのかと問うならば、なんとモーリスは社長の奥さんとつきあっている。
いわゆる不倫の恋というやつだ。
そこで、奥さん役のジャンヌ・モローに、
「こんなことしてても、未来がないやん。なあアンタ、ウチのこと愛してるんやったら、ウチのこと縛りつけてるあのダンナを殺して。ほんで、二人で楽しゅう暮らそうや」
不倫を発端にした事件。
ビリー・ワイルダーの『深夜の告白』、ジェイムズ・M・ケイン『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』とか、ノワールには付き物の設定だ。
そこで、モーリスは殺人を決行。
アリバイ工作も完璧にし、オフィスのベランダからロープをのぼって社長室に忍びこみ、見事社長を自殺に見せかけて殺すことに成功する。
愛ゆえの、命をかけた犯罪だ。
あとはモーリスとジャンヌ姉さんが完全犯罪を遂行できるのか、それとも警察に事が露見してしまい、ふたりは哀れ、ひき裂かれてしまうのか。
そうしたドキドキ感でぐいぐい引っぱっていく、サスペンスフルな展開を期待するであろう。
ところがどっこい観てみると、思ってるのと、ちょとばっかし雰囲気がちがうのだ。
どう、ちがうかといえば、モーリス・ロネの犯行現場における証拠隠滅シーン。
見事殺人をやりとげ、指紋もすべてふき取り、密室の状況もこしらえて、完全に自殺としか見えない場を作り出す。
さてホッとしたと、愛するジャンヌ姉さんの元に走ろうと車に乗りこんだところで、ふと上を見上げて、そこで気づくのである。
「あ、ロープ回収するのん、忘れてた」
ここでまず、スココココーン! とコケそうになった。
おいおい、そんな大事なもん忘れてどうする。
そう、自室のベランダから社長室の階に、忍者のごとくよじ登るときに使ったロープが、思いっきり出しっぱなしに。
下から見ると、マヌケにプラーンとぶら下がったままなのだ。
潜入に使ったロープなんて、「密室殺人」をするのに、一番現場に残してはいけないアイテムではないのか。
むしろ、忘れようにも、忘れようがないアイテムだと思うが。ようウッカリしましたな。
オレオレ詐欺師が、自分の本名を名乗ったりするレベルのうかつさである。
こんなスットコなミスを犯す男が主人公で、この映画は大丈夫なのか。
そう思ってしまったのが運の尽き。
いったん、
「主人公がマヌケ」
という、すりこみがあたえられてしまうと、そこからがいくらダイアログ・ディレクターがシブいセリフを書こうと、ジャズメンがクールなラッパを吹こうと、
「すべてがギャグに見えてしまう」
というギアを切り替えることは、できなくなってしまったのだった。
(続く→こちら)