ランドセルが今も生き残っている謎について、大いに邪推 その2

2016年02月26日 | うだ話

  前回(→こちら)の続き。

 「いまだに、なんでランドセルなんていう、ダサくて値段の高いものが売れてるんやろう」

 という素朴な疑問に、私とともに

 

 「森羅万象、世の中のことを下世話に邪推する」

 

 ことを旨とする「邪推会」という組織を結成した友人マツムシ君は、



 「学校に【男らしいヤツ】がいてるに決まってるやんけ!」



 バシッと決め打ちしてきた。

 といわれてピンときた。

 なるほど、そうかそういうことか。不肖この私、邪推会ナンバー2の男として、そこはぬかった。

 そんな「商売上手の陰謀」なる、つまらない結論に飛びつくとは。

 うっかり太平の世に流されて、「よこしまに世界を解釈しよう」という熱い心を失うところであった。

 といわれても、読者諸兄にはピンと来ないかもしれないので、ここに説明すると、我々の言う「男らしい」の定義は以下のエピソードに集約されている。

 これまた現在はどうか知らないが、私が中学生くらいの時(昭和から平成に切り替わるくらい)、女子の体操服といえば男子のような短パンではなく、ブルマが主流であった。

 ところがこのブルマ、女子生徒からは相当に不評であった。

 できれば別の、それこそ男子と同じような、短パンのようなものにしてほしいという意見が、大勢を占めていたのである。

 これは、うちの学校だけではなく、けっこう全国的に女子の総意であったらしく、その後日本中の学校で「ブルマ廃止」を求める運動が起こったらしいのだ。

 テレビのニュースか新聞で見た程度なので、くわしいことはわからないが、教育委員会に嘆願書が提出されたり、女性議員がそのことを問題視したりと、それなりに大きな話であったらしい。

 私は男子なので関係ないといえばないのだが、そこまで嫌がってるんだったら、廃止したらええやん別に。

 くらいに思っていたものだが、後にある新聞だったか雑誌だったかの記事を読んで、そう簡単に割り切れるような問題ではないことを知ることとなる。

 ある県の学校でも、ご多分にもれず「ブルマをやめてほしい」という女性側からの意見書のようなものが、提出されたそうだ。

 普通ならそこまでされたら「じゃあ、そうしましょか」となりそうだが、その学校の校長先生はそうではなかった。彼は男らしかった。

 その校長は机をドンと強く叩くと、意見書を持ってきた人に


 「ブルマ廃止だと! ふざけるな。そんなことをいってるのはどこのどいつだ! ここに連れてこい、俺が話をつけてやる!


 大激怒したそうである。

 オレが直接話をつけてやる! 熱い、実に熱い先生である。

 校長自らが直談判。昨今、役人や大企業のトップが、組織の失態において責任逃れに汲々とする中、自ら出て行こうとするこの校長はまさにである。

 ブルマ廃止。それは、よほど校長氏の教育理念に反する態度だったのだ。

 そして、その理念というのは、まあごく自然に考えたところで、おそらくは


 「オレはブルマが好きだ」


 ということであろう。他に、特に納得のいく合理的結論というのも思いつかないし。

 オレの趣味を邪魔するなと。この校長先生はきっと「正直は美徳」をモットーに生きておられるのだ。

 戦後民主主義教育において我々は、画一化ではなく「自分らしく生きる」ということが大事だと教えられた。

 そこからいえば、この先生はまさに身をもって「自分らしさ」を体現したともいえる。

 世間の声に屈することなく、また他人にどう思われようとも、自らのを貫き通す。まさに男の中の男ではないか。

 もうおわかりであろう。いまだランドセルが現役でいられるのは、ブルマと同じく、



 「ランドセル廃止だと! 誰がそんなことを言ってるのだ! オレが直接話をつけてやる!」



 といった、「男らしい」先生とか権力者だとかが、どこかにいるせいなのだ。

 まったく、わが友は大したヤツだ。そんな根拠もない下世話な邪推を、こんなにも堂々さわやかに披露するとは、まさにエースの仕事。

 やられたぜ、相棒! ランドセルのCMに出演して、さわやかな笑顔を振りまいてギャラをもらっていた体操のお兄さんは、日本の教育者のアブノーマルな性癖に感謝すべきであろう。

 こうして私は、またもや一つの真理を得た。

 このように我々は、今日も世界にあまねく広がっているさまざまな謎を、ややこしく解釈しては悦に入っている。

 みなさんも、根拠なき妄想を求める問いがあれば、ぜひ邪推会までご連絡いただきたい。



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