拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

先生、貴方の外にもう一方「先生」とお呼びしたい方が…

2006-03-13 20:53:02 | 漫画
世界的人気を誇る日本最強の少年漫画『DRAGON BALL』。今夜は私も大好きなこの漫画についてダラダラと描こう。読んでない人は読んでからこの記事を読んでいただくことをおすすめする。まあ、この記事を読んだ後でドラゴンボール読んだって200%楽しめるけど。
この漫画にはまるきっかけは、遠い昔に父親が言った一言に由来する。「ドラゴンボール描いてる人は、お父さんの実家の近くに住んでるんだよ。ドラゴンボールはそこで生まれてるんだよ」。この一言で、なんとなく好きで見ていた漫画に物凄い親近感が湧き、一気に熱が上がったのを覚えている。以下そのときの会話。方言も再現。
私「え?ご近所ってこと?知り合いってこと?」父「え、いや知り合いじゃないよ。…住んどる町が隣どうしっていう…」私「ああそう…でもすごい!鳥山先生って愛知県に住んどるんだぁ」……くだらない回想録はこのへんにしておこう。うむ。
さて、『DRAGON BALL』は読んでみればわかるとおり、物凄くシンプルなバトル漫画だ。「悟空が仲間とともに、ひたすら強いやつと戦いまくる」と単純に要約可能である。そんな誰にでもわかる単純な話でもって、膨大な数の人間を巻き込み楽しませ大ヒットさせた鳥山先生は偉大としか言いようが無い。だって、今売れてる少年漫画といえば、いろいろと入り組んだ世界観を構築してあの手この手で読者を引き込もうとするものばかりだ。もちろんそのような漫画を否定する気は全くない。私の大好きな「HUNTER×HUNTER」や、大好きとまではいかなくてもまあそれなりに好きな(蛇足。普通に好きって言えばいいのにね)「DEATH NOTE」なんて最たる例だし。私が言いたいのは、あそこまで単純な話を大ヒットさせるのは相当難しいのだな…ということだ。
いまだに根強い人気を誇り、熱いファンを生み出し続けるドラゴンボール。そんな名作の生みの親である鳥山先生は、作品といくらか距離を置き、かなり冷静にドラゴンボールと向き合っていたことはファンの間では有名。「カラー原稿を描くときにキャラの色を確認する以外は漫画を読み返さなかった」「サイヤ人編以降はとにかく連載を終わらせたくてしょうがなかった」「プラモデル作りに没頭してて、漫画は一日半で一気に描いてた」「桃白白って誰でしたっけ?」などなど…。思い入れの薄い発言が目立つ。「表面上そっけないフリしてるだけじゃないのか?」と思われるかもしれないが、「編集部を説得してなんとか最終回を迎えることを許してもらった」という旨の最終巻のコメントを見る限り先述の発言は本気である。
でも、作品への態度はそっけなかったとしても、作品へのこだわりが薄かったかといえばきっと全然そうではなかっただろう。登場人物たちが乗り回す車やバイクや飛行機などは殆ど鳥山明オリジナルデザインだったようだし、サイヤ人たちの生い立ち・特徴、フリーザ軍の戦闘服の素材や、戦闘力を計る「スカウター」の性能などもきっちり設定してあったらしい。作品には出てこないいわゆる「裏設定」はいくらでもあったと思われる。こうした設定は、シンプルな話を影で支えた功労者かもしれない。
読むたびに感心させられる、「未来版トランクスと現代版トランクスの性格の違い」の書き分けもそんな「裏設定」一つだと思う。過酷な未来を生きたトランクスはストイックだが、現代版は、悟空達が平和を取り戻した後の世界で育ったため元気でワガママ。さらに言えば、未来トランクスが常に敬語を使うのは、戦いを教えてくれた師匠悟飯の礼儀正しさの影響だろう。対して現代トランクスの師匠は父ベジータなので、口調は荒い。さらに父を尊敬するあまり、よく腕組みをするベジータの癖まで真似している。細かい。こういうキャラやセリフの細かい書き分けは探せばいくらでもでてくるだろう。単純明快なのにいくらでも深く掘ることが出来る最強の漫画、それが『DRAGON BALL』。

長けりゃいいってもんじゃないぜ~