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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

尊貴な者の墓域「大宮遺跡」

2017-08-05 14:25:36 | 史跡・遺跡
杉並区大宮、和田堀公園の一角、善福寺川の南崖上に位置し昭和44年、杉並区教育委員会による発掘調査によって、弥生時代終末期の方形周溝墓3基が近接して発掘された「大宮遺跡」がある。昭和54年(1979)東京都指定遺跡となった。第一号基の主体部から軟玉製の勾玉1個とガラス小玉12個、周溝中から底部穿孔の弥生式土器10個体、第三号基の周溝中からは弥生式土器2個体が発見・出土した。本遺跡で発掘調査された方形周溝墓群は、都区内で初めての発見の事例であり、方形周溝墓の主体部から豊富な玉類が出土、「方形の四方を溝で囲んだ土器時代の古代人の墓」として同時代の「墓制」を知る上でも極めて学術的価値が高いものである。特に壺形土器の配列や底に穴をあけた形状(穿孔土器)からこの遺跡が住居跡でなく、「尊貴な者(族長=祖神)の墓域」、「祭祀遺跡」であると判明した。大宮遺跡から発掘されたものは後に埋め戻され、出土品の一部が大宮八幡宮の「清涼殿」に展示されている。古代人の暮らしに想いを馳せたひと時。(1708)


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かつては永福寺村持ちの鎮守であった「永福稲荷神社」

2017-08-05 10:06:22 | 神社
杉並区永福に永福寺村持ちの鎮守であった「永福稲荷神社」はある。創建は享禄3年(1530年)。永福寺の開山秀天和尚が永福寺境内の鎮守として伊勢外宮より豊受大神を勧請し創建。明治維新後は永福寺から分離、明治11年(1878年)には町全体を守るように社殿を西向きに建て直され、明治40年(1907年)10月には北野神社を合祀した。主祭神は宇迦之御魂命。永福町駅より下高井戸駅方面へ数分の左側に鎮座している。「石鳥居」と、朱塗の「両部鳥居」を抜けると正面に朱の鮮やかな「拝殿・社殿」、拝殿前に「社務所」、左側境内に「天王社」、「白山神社」、「白鳥神社」、「天神社」の境内末社が祀られている。社殿の先奥に「万歳山永福寺」の本堂がみえる。(1708)」






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