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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

下溝天応院の末寺曹洞宗寺院「秀珍山宝光寺」

2017-01-16 18:25:26 | 寺院
相模原市上溝元町に江戸時代には寺子屋を開き教育の場でもあった曹洞宗の寺院「秀珍山宝光寺」はある。曹洞宗の本山は福井県の「永平寺」、神奈川県の「總持寺」で下溝の「天応院」の末寺である。寺伝によればここは天文年間(1532~1547)、当時地領であった大石源左衛門定久が出家して真月斉道俊と称し娘の向西尼とともに上溝本郷に向西庵という庵を結び修行、その後慶長年間(1596~1615)に名主佐藤対馬が今の地に移し、名も「宝光寺」としたのが開基のようだ。本尊は「釋迦牟尼佛」である。「山門」を抜けると正面に「本堂」があり堂内は文殊菩薩、達磨大師、普賢菩薩、虚空蔵菩薩等の諸仏を祀る。境内右手には「庫裡」、「鐘楼」、本堂左手には「平和聖観音像」、「聖徳太子像」、地蔵菩薩、子育て地蔵がある。そして上溝地区の著名人「片野湘雲」(日本画家)と「井上篤斉」(医者)の碑がある。当寺の末寺として本町地区の「常宿寺」、元町地区の「高巌寺」の2ヶ寺がある。(1701)










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曾我兄弟の墓がある「塩海山知足寺」

2017-01-16 09:07:49 | 寺院
二宮町二宮の桜で知られる吾妻山の東麓に京都市東山区の浄土宗総本山知恩院の末寺「花月院知足寺」はある。開基は二宮弥太郎朝定。創建は鎌倉時代と推定される。鎌倉時代末期には衰退するも室町時代の亨録年間(1528~1531)に然誉恵公が復興して現在に至るようである。寺号の知足とは足ることを知るであり「私たちが今現に生きていることが出来るのは、仏さまのお陰と気付いた時、感謝の心を持って何事にも努力しなければならない」という教えである。本尊は阿弥陀如来。国道1号線より葛川にかかる「塩海橋」を渡り直進すると突き当りに寺門(標石)がある。右に入ると「山門」があり正面に「本堂」がある。本堂の右に「庫裡」がある。山門左手に原石鼎・コウ子夫妻の句碑が建てられている。また本堂前に二本の梅が紅く咲き始めていた。当寺境内の墓地を通り抜けた先に姉が曾我兄弟の菩提を弔うために建てた「曾我兄弟の墓」4基がある。当寺は福祉事業の一環で幼稚園も経営している。(1701)










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