自由と責務(後半)
自民党草案は次の通りです。
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(信教の自由)
第二十条 信教の自由は保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない。
(表現の自由)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3 検閲はしてはならない。通信の秘密は、侵してはならない。
(国政上の行為に関する説明の責務)
第二十一条の二 国は、国政上の行為につき国民に説明をする責務を負う。
(居住、移転及び職業選択等の自由党)
第二十二条 何人も、居住、移転、及び職業選択の自由を有する。
2 全て国民は、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を有する。
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現行憲法では、宗教団体が「政治上の権力の行使をしてはならない」という規定がありますが、草案では除外しました。
つまり、宗教団体が選挙を通じて政権与党を構成し、これにより政治権力を行使しることを認めたことになります。
また、現行憲法は、宗教活動の禁止を決めています。ところが草案では、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものにものびついてはこの限りではない」との但し書きをつけています。
これは、国家と宗教の「完全分離」を求めず、「ゆるやかな分離」を容認する方向に向かうものです。
これによって、政治家の靖国神社参拝などに道を開くものになる可能性が大きくなってくるでしょう。
「第二十一条は、集会、結社の自由等を保障する」と
言いながら、2項では、「公益を害する」ものは認めないと縛りをつけたことは、政府の方針と違うものはダメという可能性が大きいものです。原発再稼働反対などの集会も許されなことになりかねません。
「国政上の行為に関する説明の責務」も何かいいことのように思われるかもしれませんが、「知る権利」の側からみると逆転現象です。
為政者というのは、「責務」があるからと言って、すべてを説明するわけではありません。ここは、「国民の知る権利」を保障して、情報を開示する姿勢が大事なのです。