日本共産党が出している雑誌に、「月刊学習」というものがあります。2月号に、ワタナベ・コウさんという漫画家が、「画家いわせきちひろ 共産党員としての足跡」と題して、イラスト入りで、10ページにわたって書いている。
私は東京で育った人間であるから、東京で、不破哲三さんに先駆けて、松本善明さんが1960年代に衆議院議員になったこと、その奥さんが「いわさきちひろ」という絵本画家をしていることを知っていました。しかも善明さんより7歳も上の、姉さん女房だということも知っていました。しかし、それ以上のことは何も知りませんでした。
今回の連載を読んで、いわさきちひろ(岩崎知弘)さんは、本当に筋金入りの共産党員だったことを知りました。少し、紹介します。
ちひろさんは、長野県に生まれ、1946年に長野県松本市の共産党の演説会に参加し、その後少したって、自分から入党を申し出たそうです。
私などは、大学2年生のとき、学生運動の中で、友人に、半ば、強引に勧められ入党したのです。
絵や書は高校時代(府立第6高等女学校)に身につけたようです。その後、紙芝居の仕事をしたりしているうちに、絵本の仕事をするようになり、絵本作家となりました。
松本善明さんとは、共産党の集まりで知り合い、1950年1月に、2人だけの結婚式をあげたとのことです。1950年代の初めは、レッドパージなどで、共産党は苦難の時代でした。そのとき、善明さんは、弁護士になる勉強をし、弁護士となりました。
1952年、東京練馬区に新居が完成しました。ここが今は、「ちひろ美術館」となっているそうです。
私は、近いところだからいつでもいけると、まだいっていません。今年9月の選挙が終わったら、いきたいと考えています。
左利きの画家ちひろさんは、1歳児、2歳児、3歳児、4歳児の違いを、描き分けられたといわれています。
1974年、55歳でなくなられました。
しかし、いわさきちひろカレンダーは、今でも人気です。