今日の東京新聞・本音のコラム欄には、文芸評論家・斎藤美奈子氏が、「無責任な追悼」として書いている。私も同感なので、紹介したい。
無責任な追悼
斎藤美奈子
石原慎太郎氏は暴言の多い人だった。「文明がもたらしたもっとも有害なものはババア」「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」。暴言の多くは、外国人、障がい者、静的マイノリティなどに対する差別発言だったが、彼は役職を追われることも、メメディアから干されることもなかった。そんな「特別扱い」が彼を増長させたのではなかったのか。
彼は生涯現役の作家だった。晩年に至ってもベストセラーを連発した。だが、私は石原慎太郎の姿勢には私は疑問を持っている。
朝日新聞で文芸時評を担当していた2010年2月。「文学界」3月号『再生』には下敷(福島智『盲ろう者として生きて』)。当時は書籍化前の論文)があると知り、両者を子細に読み比べてみたのである。
と、挿話が同じなのはともかく表現まで酷似している。三人称のノンフィクションを一人称に書き直すのは彼の得意技らしく、田中角栄の評伝小説『天才』も同様の手法で書かれている。これもまた「御大・石原慎太郎」だったから許された手法だったのではないか。
各紙の追悼文は彼の差別発言を「石原節」と称して容認した。二日の本紙(注・東京新聞のこと)「筆洗」は「その人はやはりまぶしい太陽だった」と書いた。こうして彼は許されていく。負の歴史と向き合わず、自らの責任も問わない報道って何?
(文芸評論家)
無責任な追悼
斎藤美奈子
石原慎太郎氏は暴言の多い人だった。「文明がもたらしたもっとも有害なものはババア」「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」。暴言の多くは、外国人、障がい者、静的マイノリティなどに対する差別発言だったが、彼は役職を追われることも、メメディアから干されることもなかった。そんな「特別扱い」が彼を増長させたのではなかったのか。
彼は生涯現役の作家だった。晩年に至ってもベストセラーを連発した。だが、私は石原慎太郎の姿勢には私は疑問を持っている。
朝日新聞で文芸時評を担当していた2010年2月。「文学界」3月号『再生』には下敷(福島智『盲ろう者として生きて』)。当時は書籍化前の論文)があると知り、両者を子細に読み比べてみたのである。
と、挿話が同じなのはともかく表現まで酷似している。三人称のノンフィクションを一人称に書き直すのは彼の得意技らしく、田中角栄の評伝小説『天才』も同様の手法で書かれている。これもまた「御大・石原慎太郎」だったから許された手法だったのではないか。
各紙の追悼文は彼の差別発言を「石原節」と称して容認した。二日の本紙(注・東京新聞のこと)「筆洗」は「その人はやはりまぶしい太陽だった」と書いた。こうして彼は許されていく。負の歴史と向き合わず、自らの責任も問わない報道って何?
(文芸評論家)