今日の東京新聞23面には、「硬軟巧み 慎太郎流 演じ続けた『ポピュリスト』」の見出しで、嶋田昭浩記者が、「評伝」として、書いている。私が関心を持った部分を書いて紹介したい。
「忘れられないのは2006年6月23日のことだ。話が国家神道から天皇制に及び、天皇制について『・・・その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきでものである』という共産党の見解をそらんじてみせた石原さんは『まさにそのとおりだよ』と賛意を示した。共産党攻撃とは対照的な言葉だった。
静かに己の思案をまとめている時には、他人のものの見方にも耳を傾け、かなり柔軟指向を重ねているとうに見受けられた。作家としての繊細な感受性の大本である。しかし、ひとたび政治の世界に踏み入れば、言動が一変する。
『君が代』について選挙期間中には私の取材に「古色蒼然」と話し、産経新聞のアンケートにも「歌詞は滅私奉公みたいで嫌い」と答えていたのに、知事就任後は都の行事での君が代斉唱を厳格に課した。
この矛盾をどう読み解くべきなのか。自著などで何よりも『個性』を重んじていた石原さんは、「歌詞は滅私奉公みたいで・・・・」こそが本音のはず。ただ、保守系の新興宗教団体をバックに政界いりしただけに、常にその支持層に受ける政治姿勢を表に出す必要性を意識していたのだろう。
若い頃、演出家の故浅利慶太さんとともに日生劇場の創設に関わり、映画の脚本・演出はのみならず主演も務めた石原さんは、演じることにもこだわりがあった。わが身の本質とは別に、何が喝采を博するのか、支持者の欲求を的確に見抜き、その期待に沿って演じてきたと思う。そこに究極のポピュリズム(大衆迎合主義)を見た気がする。
「忘れられないのは2006年6月23日のことだ。話が国家神道から天皇制に及び、天皇制について『・・・その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきでものである』という共産党の見解をそらんじてみせた石原さんは『まさにそのとおりだよ』と賛意を示した。共産党攻撃とは対照的な言葉だった。
静かに己の思案をまとめている時には、他人のものの見方にも耳を傾け、かなり柔軟指向を重ねているとうに見受けられた。作家としての繊細な感受性の大本である。しかし、ひとたび政治の世界に踏み入れば、言動が一変する。
『君が代』について選挙期間中には私の取材に「古色蒼然」と話し、産経新聞のアンケートにも「歌詞は滅私奉公みたいで嫌い」と答えていたのに、知事就任後は都の行事での君が代斉唱を厳格に課した。
この矛盾をどう読み解くべきなのか。自著などで何よりも『個性』を重んじていた石原さんは、「歌詞は滅私奉公みたいで・・・・」こそが本音のはず。ただ、保守系の新興宗教団体をバックに政界いりしただけに、常にその支持層に受ける政治姿勢を表に出す必要性を意識していたのだろう。
若い頃、演出家の故浅利慶太さんとともに日生劇場の創設に関わり、映画の脚本・演出はのみならず主演も務めた石原さんは、演じることにもこだわりがあった。わが身の本質とは別に、何が喝采を博するのか、支持者の欲求を的確に見抜き、その期待に沿って演じてきたと思う。そこに究極のポピュリズム(大衆迎合主義)を見た気がする。