今日の茨城新聞には、標記の記事が載っている。
上郷高校といえば、私が60歳で笠間高校を定年退職し、再任用で赴任した学校である。もともとは養蚕を主として農業高校であったが、豊里町からつくば市にかわったころから、普通高校になっていた。
真壁高校もそうであったが、農業高校というのは、農場をもっており敷地は広いが、玄関の出入り口は狭く、高校野球の時など、バスも校内にははいれず、路上で待ち合わせる状況であった。
つくば市にある学校であったが、つくば市とは隔離されたガラパゴスに入り込んだような雰囲気だった。
だから、高校野球の応援は、いまだにチョウラン(学生服の裾のながい服)をきて応援する団長をみて、30年前にタイムスリップした感を覚えた。
もうすぐ石下高校と統合するとのことで生徒数も少なく、広すぎるグランドが、さみしかった。
その上郷高校も私が去ったあと、石下高校と合併に、廃校になった。
その上郷高校の跡地が、陸上競技場に変わるという。時代は変遷する。
上郷高校といえば、私が60歳で笠間高校を定年退職し、再任用で赴任した学校である。もともとは養蚕を主として農業高校であったが、豊里町からつくば市にかわったころから、普通高校になっていた。
真壁高校もそうであったが、農業高校というのは、農場をもっており敷地は広いが、玄関の出入り口は狭く、高校野球の時など、バスも校内にははいれず、路上で待ち合わせる状況であった。
つくば市にある学校であったが、つくば市とは隔離されたガラパゴスに入り込んだような雰囲気だった。
だから、高校野球の応援は、いまだにチョウラン(学生服の裾のながい服)をきて応援する団長をみて、30年前にタイムスリップした感を覚えた。
もうすぐ石下高校と統合するとのことで生徒数も少なく、広すぎるグランドが、さみしかった。
その上郷高校も私が去ったあと、石下高校と合併に、廃校になった。
その上郷高校の跡地が、陸上競技場に変わるという。時代は変遷する。