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菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

上郷高跡地に陸上競技場の報道にふれて

2019年05月10日 18時57分48秒 | 仮説関連
 今日の茨城新聞には、標記の記事が載っている。
上郷高校といえば、私が60歳で笠間高校を定年退職し、再任用で赴任した学校である。もともとは養蚕を主として農業高校であったが、豊里町からつくば市にかわったころから、普通高校になっていた。
 真壁高校もそうであったが、農業高校というのは、農場をもっており敷地は広いが、玄関の出入り口は狭く、高校野球の時など、バスも校内にははいれず、路上で待ち合わせる状況であった。
 つくば市にある学校であったが、つくば市とは隔離されたガラパゴスに入り込んだような雰囲気だった。
 だから、高校野球の応援は、いまだにチョウラン(学生服の裾のながい服)をきて応援する団長をみて、30年前にタイムスリップした感を覚えた。
 もうすぐ石下高校と統合するとのことで生徒数も少なく、広すぎるグランドが、さみしかった。
 その上郷高校も私が去ったあと、石下高校と合併に、廃校になった。
 その上郷高校の跡地が、陸上競技場に変わるという。時代は変遷する。




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学校と川の思い出

2019年05月06日 06時18分48秒 | 仮説関連
 今日の茨城新聞のトップ記事は、結城市をながれる「田川」の治水について書いている。私は、真壁農業高校、鬼怒商業高校、笠間高校と3校を勤務してきたが、その3校とも川とは縁が深かった。

 まず、真壁農業高校。ここは学校の真ん中に、通称・逆川が流れていた。真壁高校のさきで桜川と合流する。逆川という名前からして、桜川とは逆向きの流れである。
 普段困ったのは、球技大会で、サッカーやソフトのボールが、川に飛び込んでしまうことである。私は、一計を案じ、球技大会のときには、長い網を用意して、ボールを拾えるようにした。
 
 一番大きかった水害は、1986年の小貝川水害のときである。このときは、桜川が氾濫し、真壁高校の校庭はプールとなってしまった。幸い、夏休みであったので、授業には直接影響はなかったが、校舎も床上浸水し、Pタイルの貼り替えを行なった。プールとなった校庭には魚が泳いでいた。水が引くのに、3日間かかったと記憶している。

 20年間勤務していた真壁高校(途中で農業高校から普通科のある高校に変わった)から初めて転記したのが鬼怒商業高校であった。ここは、学校の中には川はなかったが、すぐ脇を田川が流れており、すぐ下流の栄橋近くで、鬼怒川に注いでいた。
 私は6年間しか勤務しなかったので、水害には遭わなかった。しかし、さきの関東・東北豪雨ではおおきな被害を受けた。

 次に転勤した笠間高校でも、すぐ脇を涸沼川が流れていた。ここでは、上流の福田という集落に産廃処分場(今のエコフロンティア笠間)をつくる計画が持ち上がり、地元の方たちと一緒になり、「処分場建設反対運動)に取り組んだとき、涸沼川にそって、友部の取水場まで歩いたことがある。笠間高校には12年間勤務した。


 

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筑西市議選最終日 宣伝カーを8時間運転 疲れました(その3)

2019年04月20日 20時45分45秒 | 仮説関連
 

 他人が食べているのを見ると、私もお腹が空いてきました。そこで、事務所に帰って食事休憩です。
 午後からは、三浦さんは関城に行くということで、私は協和を回ることにしました。今日は、井出蛯沢から小栗へ向って出発です。いつもは、小栗から南上していたのですが、逆に回るのです。習慣というのは恐ろしいもので、道を間違えてばかりです。
 小栗では、事務所の中からも、手を振っていただきました。
 
 そこで、新治地区を回るときは、いつものスタート場所・久地樂からはじめました。とにかく、細い道をくまなく回りますから、気を使います。
 
 その後、桑山方面を回りました。桑山は、栗崎、堀の内、清水、赤法化、巽内を走りました。
 全部は回りきれませんでしたが、日没の6時には終わりました。
 実に走行時間8時間。なんとか体が持ったので、安心しました。

 

 


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午前中だけ、小栗・新治地域を流し宣伝

2019年04月17日 19時39分57秒 | 仮説関連


 今日は、午後からは議会広報委員会があるので、午前中だけ、協和地区を流し宣伝しました。
選挙告示以後、協和地区に入るのは初めてなので、どんな反応があるか、興味をもって走ってみましたが、明野や関城と同じように、他の候補者カーとは行き会わないのにびっくりしました。
 とにかく、12時まで、協和地区を回って、帰途につきました。




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桜川市の人口減少の実態を分析してみると

2019年04月10日 19時00分03秒 | 仮説関連
桜川市の常住人口4万0011人に(2019・4・1)


 桜川市の人口減少が止まりません。人口統計には、住民基本台帳によるにものと常住人口によるものがありますが、実態を示すものとして常住人口が利用されています。茨城新聞にも毎月、人口動態が掲載されますが、その数字は常住人口が使われています。

 桜川市発足時(2005年)は4万8400人であった人口が、14年間で8400人減ったことになります。毎年600人減ってきていたのです。それを分析してみました。

●2005年 4万8400人 
 最初の5年間は、年平均545人

●2010年 4万5673人   
次の5年間は、年平均608人

●2015年 4万2632人   
次の4年間は、年平均655人

●2019年 4万0011人   

毎年、人口減少の幅が、大きくなっています。



幼児の減少も進んでいます
 
0歳児 1歳児 2歳児 3歳児 
174人 198人 249人  227人 

4歳児 5歳児
270人 248人
        この数字は、出生時の数字です。


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