いじめのある世界に生きる君たちに
③権力欲
人間には「他人を支配したい」という権力欲があります。
他にもいろいろな欲があります。眠りたいという睡眠欲は一人で満足させられ、他に迷惑はかけません。食べたいという食欲も同じようなものですが、他人の食べ物を奪ったり、他のいのちを犠牲にするので、睡眠欲ほど無邪気とはいえません。成長するにつれ異性への情欲もでてきますが、基本的にはこれは二人のあいだのことで、思いとおりにならず悩むことも多いでしょう。
しかし、権力欲にはこれらとは比較にならないほど多くの人たちをまきこみます。その快楽は、思い通りにならないはずのもの思い通りにすることです。その範囲はどんどん広がり、もっと大きい権力、さらにもっと大きい権力へという具合にきりがありません。きりがないということは、「これでよい」と満足できる地点がないということです。権力欲は他の欲望と違って、真の満足、真の快さがありません。
睡眠欲も食欲も情欲も、満足する地点があり、満足すれば止みます。ただし例外があります。睡眠欲はともかく、食欲や情欲が際限なく追求される場合です。その多くは、欲望が権力の手段となりさがった時におきます。情欲が相手を支配する手段となる場合です。その時、情欲自体の純粋な快楽は失われ、相手の気持ちにかまわず相手に自分の欲望を受け入れさせることが目的になります。
むろん、権力欲を消滅させることはできそうもありません。ただし、権力欲をコントロールして、より幸せな社会をつくる道がありそうです。人類はまだその道筋を発見したとは言えませんが、考える値打ちのあることだと思います。
権力欲のコントロールは遊びと似ています。小さな子どもはむりやりでも勝てばよろこびますね。でも小学生になるとそれでは満足できず、ルールに従うことに真の満足を感じるようになると、わたくしの尊敬するアメリカの精神科医ハリー・スタック・サリバンは指摘しています。とすれば、「ドラえもん」の主人公たちは5年生ですから少し遅れていますね。ドラえもんは小道具を使って、一生懸命ルールに従うことの楽しみを教え、むき出しの権力欲は損であることを教えているのだと思います。
ルールに従って遊ぶ快さといえば、コンピューターゲームがそうでしょう。ただ相手は精密機械ですが。少し横道にそれますが、もし相手が人間なら、相手が思いもしないような行動にでたり失敗したり、笑い合ったり気持ちが弾んだりします。そこにはぐらぐらする橋の上でたえず揺れながらもバランスをくずさないような、生き生きとした人間関係があります。相手が精密機械ではそういうふうにはなりません。
③権力欲
人間には「他人を支配したい」という権力欲があります。
他にもいろいろな欲があります。眠りたいという睡眠欲は一人で満足させられ、他に迷惑はかけません。食べたいという食欲も同じようなものですが、他人の食べ物を奪ったり、他のいのちを犠牲にするので、睡眠欲ほど無邪気とはいえません。成長するにつれ異性への情欲もでてきますが、基本的にはこれは二人のあいだのことで、思いとおりにならず悩むことも多いでしょう。
しかし、権力欲にはこれらとは比較にならないほど多くの人たちをまきこみます。その快楽は、思い通りにならないはずのもの思い通りにすることです。その範囲はどんどん広がり、もっと大きい権力、さらにもっと大きい権力へという具合にきりがありません。きりがないということは、「これでよい」と満足できる地点がないということです。権力欲は他の欲望と違って、真の満足、真の快さがありません。
睡眠欲も食欲も情欲も、満足する地点があり、満足すれば止みます。ただし例外があります。睡眠欲はともかく、食欲や情欲が際限なく追求される場合です。その多くは、欲望が権力の手段となりさがった時におきます。情欲が相手を支配する手段となる場合です。その時、情欲自体の純粋な快楽は失われ、相手の気持ちにかまわず相手に自分の欲望を受け入れさせることが目的になります。
むろん、権力欲を消滅させることはできそうもありません。ただし、権力欲をコントロールして、より幸せな社会をつくる道がありそうです。人類はまだその道筋を発見したとは言えませんが、考える値打ちのあることだと思います。
権力欲のコントロールは遊びと似ています。小さな子どもはむりやりでも勝てばよろこびますね。でも小学生になるとそれでは満足できず、ルールに従うことに真の満足を感じるようになると、わたくしの尊敬するアメリカの精神科医ハリー・スタック・サリバンは指摘しています。とすれば、「ドラえもん」の主人公たちは5年生ですから少し遅れていますね。ドラえもんは小道具を使って、一生懸命ルールに従うことの楽しみを教え、むき出しの権力欲は損であることを教えているのだと思います。
ルールに従って遊ぶ快さといえば、コンピューターゲームがそうでしょう。ただ相手は精密機械ですが。少し横道にそれますが、もし相手が人間なら、相手が思いもしないような行動にでたり失敗したり、笑い合ったり気持ちが弾んだりします。そこにはぐらぐらする橋の上でたえず揺れながらもバランスをくずさないような、生き生きとした人間関係があります。相手が精密機械ではそういうふうにはなりません。