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菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

仮説実験授業は高校教育に有効か(2)

2019年01月13日 20時47分31秒 | 仮説関連
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仮説実験授業を知らない方のために、簡単な説明を書いておきます
 
仮説実験授業とは何か

 基本的な考え方
1.仮説実験授業とは、科学上の最も基本的な概念や原理、原則を教えることを意図した授業である。
2.科学的認識は、対象に対して目的意識的に問いかけるとい意味に「実験を通してのみ成立する。
3.科学的な認識は社会的認識である。

授業成功・失敗の基本的基準
1.クラスの過半数の生徒たちがこの授業をおもしろい、楽しいということ。
少なくとも「つまんない」「いやだ」という生徒が例外的にしかいないこと。
2.生徒たちの圧倒的多数が、この授業がわかるということ。
3.先生がこれをやってみたいと思うほどの楽しさ、おもしろさがあること。

具体的なやり方
 問題を書いたプリントをそのつど配り、予想に手をあげてもらい、意見を言い合い、その後、実験により、正解を確認する。そして、次に進む。
 (仮説実験授業のABCより)
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2.笠間高校で授業にかけた受業書の生徒の評価と感想 (略)

3.高校での実践上での問題点

 以上の実践報告に見られるように、どの受業書にも生徒の評価は、3以上が80%を占めています。高校で、仮説実験授業が有効であることは、この事実一つでも証明されていると思いが、実施する上で、小・中学校では見られない、いくつかの問題点も見られるので箇条書きに書いてみます。

★小・中学校の実践では、予想をとったあとに、意見を言ってもらい、それに基づいて討論するとの報告が大部分をしめています。私が、1980年代に「力と運動」を実践したとき、討論が全くなかったため、この実践は失敗であると思い、仮説からいったん退却しました。しかし、全国の高校の実践では、討論はほとんどおきていないという報告がされています。討論はおきなくとも、生徒はこの授業を歓迎しているのです。

★小・中学校での「正答主義」が貫徹しているため、間違えた意見(答え)を言ってはいけない。また、笑われるとの習慣がしみついていて、予想に手をあげるのにも躊躇があります。しかし、なれてくれば、その懸念は払拭されます。

★教科書にそって授業をやり、黒板の文字をノートに写すのが勉強だという習慣が身につきすぎていて、まじめな生徒ほど、はじめだけではあるが、仮説実験授業に抵抗を示します。

 (つづく)

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仮説実験授業は高校教育に有効か(1)

2019年01月13日 09時31分22秒 | 仮説関連
この論文は、いまから17年前、私が55才のとき、高知県で開かれた、全日本教職員組合の主催の「全国教育研究集会」に、茨城県の代表として、理科分科会に参加したとき、提出したレポートです。
 長いものですので、何回かにわたって掲載します。


 

  仮説実験授業は高校教育に有効か
―学習指導要領にとらわれず、生徒の関心のある授業を積み上げをー
―試され済みの仮説実験授業の「受業書」を使うことの有効性についてー
   
茨城県立笠間高校 菊池伸浩 
             
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 本文の構成(目次)
1、はじめに(私が仮説実験授業に出会い、取り組むまで)
2,笠間高校で授業にかけた受業書と生徒の評価と感想
①もしも原子がみえたなら ② 空気の重さ ③ 空気と水 ④ 自由電子がみえたなら
⑤ 三態変化  ⑥燃焼 ⑦溶解 ⑧ イオンと食べ物 ⑨ 電子レンジと電磁波
⑩ 生物と種 ⑪ 宇宙への道 ⑫ 虹と光  ⑬ 2倍3倍の世界
(この部分は、長くなりすぎますので、今回は省略します)

3,高校で実践上での若干の問題点
4,本校で見られる問題点
5,教師が仮説実験授業をはじめる理由
6,教師が学習指導要領を離れられない理由
7,学習指導要領にとらわれない授業をはじめた教師の特徴
8,教材研究の成果をまとめ、積み上げ、それを活用することの重要性
9, まとめ
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1,はじめに(私が仮説実験授業に出会い、取り組むまで)

 板倉聖宣氏(元国立教育研究所)らが、仮説実験授業を提唱(1963年)してから30年余がたった。私は、板倉聖宣氏が提唱した当時から、この教育方法には関心があったが、高校教育には導入できないと思い、ながめる程度であった。
真壁高校、鬼怒商業高校、笠間高校(いずれも進学校ではない)と異動するなかで、教科書にこだわる授業には意味がないと判断し、自分流の授業をやってきたが、今ひとつ上手くいかなくて、何かいいほうがないかと考えていた。
 
 そこで学んだ「仮説」を再度研究してみようと、1993年、川崎氏で行なわれた体験講座に行った。そこで「真似ることの重要性を学んだ。ものまねを嫌い、独創性が重要とされる教育の世界で、「いくら良いものだ」といっても、そのまま真似ることには、抵抗がある。特に、授業研究に力を入れている「教研型」教師には、その傾向はつよい。仮説実験授業そのものをやることには、かなりの決意が必要であった。しかし、「真似ることから、工夫があり」、「発展を生むのであり」、「真似ることそのものがその人の主体性にかかわることであり、決して卑しむことではない」とり、教えられ、これならやって見ようと、1994年から、鬼怒商業高校で試みた。

注)教師の創造性を重んじる「教育研究集会の発表」なので、「真似たら上手くいった」という発表には、ずいぶん気を使った。

 実際にやってみて、一番以外だったのは、「授業の評価を生徒に聞いた」結果だった。
仮説実験授業では、授業の成功、失敗の判断基準は、生徒に聞いて判断するということであった。必ず、生徒に紙をわたして、楽しいかどうかを、5,4,3,2,1で5段階評価をしてもらうということになっています。その基準にしたがって、私も、はじめての仮説実験授業で、評価をとりました。そこでわかったことは、ふだん黙っていて無関心でいたような生徒から、意外な評価をもらってことでした。本当に、聞いてみなければ、わからないものであると、つくづく感じました。

 私は、生徒一人一人が主人公といいながら、「生徒の目や顔つきでわかる」といって、実際に聞くことをしていませんでした。また、1(楽しくない)や2(あまり楽しくない)の評価を多かったら、がっかりするのを恐れていたのかもしれません。しかし、この生徒に聞くということは、とても大事であるし、5(とても楽しい)や4(まあまあ楽しい)の評価が多かったことが、私を急速に仮説実験授業にのめり込ませることになりました。そして、ついには笠間高校では、ほとんど全部を「仮説」でやり通すことになってしまいました。ちなみに3は(ふつう)です。

 仮説実験授業は、今では多くの先生方の知るところとなっています。そして、全国で行なわれている体験講座には、多くの先生方が参加し、民間の教育研究集会としては、屈指の規模ではないかと思われます。しかし、参加される先生方の多くは、小・中の先生方で、高校の先生は、あまり多くはありません。このレポートは、笠間高校での7年間の実践報告です。
 
(つづく)
  

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仮説の思い出・「カーボン紙を使って報告書を」という時代錯誤を変更させた話

2019年01月10日 21時53分14秒 | 仮説関連


「カーボン紙を使って報告書を」という時代錯誤を変更させた話
  
  笠間高校  菊池伸浩
 
これは、私が笠間高校の進路指導部長のなったときの話。つまり、2004年話です。新年度の4月、県は学校基本調査を実施しています。進路指導部長と事務職員2人が県庁舎の講堂集められ説明を受けます。事務職員は学校の基本的なこと、私は生徒の進路の詳細を報告するので、その説明を受けるのです。「年中行事」ですから、真新しいことはありません。
 
 ところが、最後に、この文書は「カーボン紙をつかって、コピーして、2通出してください」と言ったのです。
この説明は聞き捨てできません。
 私は、隣の事務員に「カーボン紙なんて、今どきないだろう」というと、「このときのために、カーボン紙をとっといてあるのです」というではありませんか。

 「ワープロが全盛の今どき、なんでコピーではいけないのか」との疑問がわいてきました。そこで、手をあげて質問しようとすると、「恥ずかしいから、やめてよ」とわきで止めるのです。しかし、ここで引くわけにはいきません。県全域から100校以上200人近くもいて、だれも「なぜ、コピーではいけないのか」と質問する人がいないのです。
 
 そこで、私は、立ち上がって質問しました。ところが、答弁者は、はじめて説明会に参加した新人でした。「わかりませんので、調べてから、あとでファックスでお知らせします」
 「何言っているんだ。ここは県庁だよ。すぐ部署に帰って、聞いてくればいいんだよ。5分ぐらい待っているから」
 しかし、結局はまともな、答弁はありませんでした。

納まらないのは私です。学校へ帰ってすぐ、文部省に電話をいれました。
「今どき、カーボン紙で資料を提出しろなんて指導をしているのですか」
「いいえ、私らは、きちんとデータさえいただければ、コピーでもいいし、なんなら、フロッピーでもいいですよ」
 
 折り返し、すぐ、県教育委員会に電話を入れ、このことを伝えますと、「文部省がいいというなら、私らは、もちろん結構です」
 ということで、事務室にしまってあったカーボン紙は、お役御免になったというわけです。

何事も、技術の進歩を頭にいれて置かなければ、「変な言い伝え」が生きているのです。

私が子どもの頃は、きちんとした文書は「黒インクを使ったペンを使う。ボールペンは禁止でした」
それは、ボールペンの「インクが粗悪」で、長時間たつと「分離」して消えることがあったからでした。

また、私が、教員に成り立ての頃は、「ゼロックスのコピーは、ビニール袋に入れて運ぶのは禁止でした。それは、静電気で、インクが消えてしまうことがあったからです」
時代が変わると、機械も進歩するのです。それを認めず、いつまでも、自分の頭で考えることなく、古い習慣をかたくなに守り続けてはいけないという教訓です。

このことがあってからは、私への県教育委員会の対応は、変わりました。

注)この話を書くきっかけを作ってくれたのが板倉聖宣氏です。コピー機全盛の時代に、いまでもカーボン紙を使って、研究論文を書いている、東大の教授がいるとの話を聞いたからです。偏差値が高いことと時代の変化を受け入れることは別なことなのです。

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仮説の思い出 正義の押しつけは本当にコワイ

2019年01月10日 20時50分12秒 | 仮説関連


読点(、)とコンマ(,)をめぐって、正義の押しつけは本当にコワイ
     笠間高校  菊池伸浩


 学校で公文書の書き方をめぐって、「いざこざ」があったとき、あなたはどのように対処しますか。
本校(笠間高校)では、教頭と事務長がかわり、突然、公文書の書き方が細かく注意されるようになりました。事務室はもちろん、職員室でも「ぶつぶつ」言う人が現れました。
 「点でもコンマでもどうでもいいのになあ」という声が聞こえてきます。
まあ、そんなに気にすることはないだろうと、思っていたら、ついに私のところにもやってきたのです。
 
 昨年度の報告文書を数字だけかえて、管理職に出したところ、「横書きの公文書では、『、(読点』ではだめで、『,コンマ』にせよ)というのです。また、「別紙」というのは紙が1枚のときで、複数のときは「別添」という言葉を使うと言うのです。

 事務長にその根拠を聞きますと、「公用文の書き方」という冊子をもってきて、詳しく説明してくれました。たしかに、事務長の言うことには間違いはありません。教科書をみても、横書きの文はみなコンマを使ってあるのです。
 しかし、私はすんなり受け入れることはできませんでした。私は、日本語は縦書きでも横書きでも、句読点である以上、「読点=、」「句点=。」が正しいと思っていて、疑ったこともありませんでした。

 そこで広辞苑を見ると、 「コンマは欧文の句読点の1つ」となっているのです。ならば、「横書きの日本文書は、「句点=。」ではなく、「ピリオッド=.」にしないのかと、つい文句を言ってしまいした。しかし、そんな疑問には、管理職は答えてくれません。

 そこで、今度は、教育委員会総務課に電話をいれて、「なぜ、県の公用文書の書き方例には、“横書きはコンマ”にすると決めたのですか。どういう理由でそう決めたのか」と聞きました
 ところが、「コンマを使う決めたことは事実」だが、どういう理由でそう決めたかは、わからないので、調べて後日電話をするというものでした。
 また、「読点は日本語上でも間違っていないと思うがどうか」と聞いたところ、「もちろん、読点を使った文書でも受け付ける」との回答でした。さらに、「末尾が半角ずれた文書でも受け付けるには支障はない」との回答を得ました。
 
 パソコンで、「ワード」を使っている方は、経験あるかと思いますが、どうかすると「半角ずれることがあるのです。その事務長は、「半角のズレ」も、朱をいれて、書き直しを要求していたのです。

 さらに、念のために、親しい管理職の友人4人に、電話をいれ聞いてみました。どの管理職も「そんなことは気にしないで、公文書を見ている」と答えてくれました。
 ただし、「事務長は、学校における文書取り扱い責任者である」から、「私の口から、それが悪いとはいえない」とも言われました。
 
 私は、この経過を文書にして、全職員に配布しました。そして、もし、どうしてもきちんとやりたいのなら、年度初めにきちんと説明し、よくわからない人がいる現状なのだから、公文書の書き方について講習会を開くべきではないか」という提案をしました。

 この問題は、「たいしたことないのに、いやたいしたことではないから」、多くの教職員にストレスを与えました。
 1つは、文章を書くという、文化の問題を、他人にあれこれ言われたことにあると思います。私にしても、34年間「読点」でやってきたのに、突然、「コンマでなければ、管理職の印は押せない」となれば、ムッとするのは当然ではないでしょうか。

 でも、一番の問題は、正義(善意)の押しつけにあると思っています。
直される方には、いままで通ってきた文書が、「、=読点」を「赤い,コンマ」に直されて、「もう一度かきなおしてください」となれば、「こんなのどうでもいいじゃん、勘弁してくれよ」となります。

 しかし、管理職は、「大学を出た先生が、公文書1つ満足にかけないのでは困る。ここで私がきちんと直してあげなければ」とう善意が、「押しつけ」になって表れたのだと思います。

 正義(善意)の押しつけは、本当に怖い。
これが今回の一番の教訓ではないでしょうか。

 その後、県教委の方の話では、「国(文部省)の文書にも「読点=、」がある文書を、かなり発見したということです。国の法律文は「縦書きが原則」のため、ふだんは「、」を使っており、それをそのまま、横書きに変換するため「、」のままの場合が多いそうです。
                          2003年5月7日記
 注)これは、高教組(茨城県高等学校教職員組合)の定期大会に、「軽い資料」として配布したものです。ところが、反響が大きく、「よくいってくれた」という礼状までいただいたので、紹介いたしました。

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板倉氏の講演から学ぶ「理科離れ克服の道」

2019年01月09日 17時59分36秒 | 仮説関連
板倉聖宣氏の講演から学んだこと



 このレポートは、茨城県教育研修センターの研修講座で、「理科研究のレポート」を提出するように言われたとき、提出したものです。
どうして、私が、「教科書をはなれて」、仮説実験授業をするようになったかを、板倉氏の講演を参考にしながら、コメントをくわえるという形で提出したものです。県からは、このレポートに対しては、なにも異論は出ませんでした。
 板倉氏の講演は、「理科離れ克服の道」と題したものです。氏の国立教育研究所の退官記念講演でもありました。

★板倉氏
 「国立の研究所で、しかも教育内容を改善するために研究するのであれば、指導要領は無視するしかない。指導要領準拠でやったら、教育内容を改善することなどできっこない。
 
【コメント】 私の勤務した学校(真壁・鬼怒商・笠間)は、教科書通りには授業がすすまないのがわかっていたから、学習指導要領はほとんど無視して授業を進めたのは正解であった。

★板倉氏
 日本国民の大部分は、小学校3~4年程度の学力だと考えています。教育学者の方々も、理科に関しては小学校4年生程度の学力があるに過ぎないと思います。それで十分生きていけます。それでかまわないのですが〈科学に対する好奇心をなくす〉ということだけはあってほしくない。小学校4年生の学力でいいから〈科学に対する興味を失わず、必要になったら科学を学び直す〉という形でいてほしいと思っています。

【コメント】 この子らの関心をあつめる授業は、受験勉強とはちがう。

★板倉氏
 「自分には理解できっこない」と思うと、多くの人々は科学の進歩が怖くなって、その進歩を無条件で支持できなくなってしまうのです。科学の内容は、普通の人たちが端から端まで全部理解できるはずはありません。けれども、「俺だってちょっと努力すれば理解できそうだ」という可能性を示しておかないと、人々に嫌われるようになりかねないのです。
 
【コメント】 だれだって、わからないことは好きになれない。

★板倉氏
 科学教育の実験プランを考えるときは、一般に安い道具を使って簡単明瞭な実験をすることが大切だと思っています。簡単な構造なもので何か面白い現象がおこれば、これはファンダメンタルな現象ということになるでしょう。そういうファンダメンタルな現象なら、多くの人々の興味の対象になります。この働きは自分にも理解できそうだということになります。

 【コメント】 教員なりたての頃、PSSC物理の全盛時代で、「記録タイマー」をつかって、落下運動の解析に3時間もかけたのは何だったのか。
★板倉氏
 生徒自身に実験させるようにすると、授業がたのしくなるという人がいますが、その楽しさは、〈解放されるから楽しい〉というのが大部分です。
 
【コメント】 そうかもしれない。そういう時間もあってもいい。

★板倉氏
理科離れを克服する最良の方法は、教師にとっても、生徒にとっても楽しい授業をするようにすればいいのです。
 
【コメント】 教師にとって楽しい授業をさがしてやっています。

★板倉氏
理科離れをいう人は、何かというと、今の若い人たちは、子どもたちは好奇心がないと考えています。しかし、昔と今では興味関心のあり方が違っているだけなんです。好奇心はどういうものであるかという研究は全然進んでいません。実は仮説実験授業の研究はそこから始まっているのです。

【コメント】いままでの授業よりは、生徒は仮説実験授業に興味をしめしています。
 
★板倉氏
教育は創造だという人がいますけども、教育の基本的精神は〈ものまね〉です。人間は自我があるから、うまく模倣するためには創造性が必要なんですね。

【コメント】他人のつくった仮説の受業書をそのままやるのは、はじめ抵抗があったが、模倣することも他人にまねできない創造だと思い、いま仮説実験授業を続けています。何を模倣するかは、あくまでも自分の決断ですから。
           (1995年10月 記)

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