マタイの福音書11:16-17
『この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、
こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』』
イエスに対して無関心な人々は、イエスを知っているのは知っていますが、自分とはまったく関係ない人だと思っています。
日本では無関心な人が圧倒的に多いです。
救いの話をしても、自分が救われなければならない罪人である認識がまったくありません。
真面目に生きて先祖供養さえすれば悪い所には行かないだろうと軽く考えています。
普段から神の事も、自分が罪人であることも、死後の世界も関心がなく、目の前の生活だけに関心がある人が多いです。
その姿は神の目にはとても高慢な姿です。
目が見えていない姿です。
そして神に対しては不信仰の罪を犯している姿です。
神は罪に対して正しくさばきを行う方です。
そのことを忘れてはいけないです。
ヨハネの黙示録20:14-15
『それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。』
【祈り】
主よ。主を知るチャンスを逃さず、信じるチャンスを逃さず、信じる者になりますように。
【聖句をノートに書きましょう】
-無関心-
- 創世記19:14
- 第1サムエル記15:24
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