へブル11:24-25
『 信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。』
イエスを信じない人たちは信じる人たちに言います。
“あなたたちは何が楽しみで人生を生きていますか?”
彼らは、自分たちの人生の方がずっと楽しいと思っています。
救いを受けるまでは罪悪の日々がとても楽しく見えます。
たしかに罪には楽しみがあります。
人々はなぜ罪を犯すのでしょうか?
罪を犯す人にとって罪を犯すことは楽しいからです。
快楽のために人を殺す人たちもいます。
もし罪が汚なく醜いものと感じるなら、また恐ろしいものと思うなら、罪を犯すことはしないでしょう。
罪が楽しく、快楽があるから犯します。
しかし、罪の快楽の前にくる言葉があります。はかないことです。
罪を犯した後には、罪の虚無と苦痛の実を結びます。
罪の代価を払わなければなりません。
ですから聖書は“はかない罪の楽しみ”と言います。
ローマ6:23
『 罪から来る報酬は死です。』
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※
◆ おすすめページ ◆
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※