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第579回 兵馬俑の「超技術」を知る

2024-06-07 | エッセイ
 若い頃、機会に恵まれて、中国・西安の郊外にある「兵馬俑坑(へいばようこう)」を訪れました。紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝の墓を守る軍団の「俑(=人や馬を模した焼き物)」という程度の予備知識はあり、テレビの映像、本からの情報などにも馴染んでいました。でも、ホンモノの俑を目の当たりにした感動は格別で、昨日のことのように思い出します。
 1974年に、井戸掘り作業中の農民が、頭部を発見したのを端緒に発掘が進み、現在、約8000体の兵馬俑が発見されています。1号から4号までの4つの坑で現在も発掘が進められていて、あと数十年はかかるとも言われています。私も目にした最大規模の1号坑のほぼ全景です。

 そのとてつもないスケールだけでも驚嘆に値します。でも、「古代世界の超技術」(志村史夫 講談社ブルーバックス)を読んで、兵馬俑には超絶的な技術が発揮されていることを知りました。ポイントを絞り、コンパクトにご紹介します。どうぞ最後までお付き合いください。

 まずは、基本となる像の造形です。人を模した俑では、文官、楽士などもいますが、武官、兵士が中心です。背丈の平均は、180cm、重量は200キロになるものがあり、将軍から歩兵まで、あらゆる階級、兵科の俑が揃っています。左から、歩兵、将軍、軍吏、跪射兵の例です。(本書から)

 一体を作るだけでも大変な労力と技術を要するはずですが、粘土を型に嵌めて大量生産という方式ではありません。一体一体が手作り、オーダーメイドというのが驚異です。その証拠がこの画像(同)。様々な顔、表情で、全てにモデルがいた、ともいわれています。

 粘土による兵士俑の大まかな製作過程を、著者はこう説明しています。
①まず、帯状の輪を重ねて積み上げ、土台となる足と胴の部分を作ります。
②その上で、頭部、腕、手、鎧(よろい)などのパーツを製作します。
③頭部、顔は、モデルに合わせて細部まで彫刻を施し、入念に仕上げます。
④陰干しして、ある程度乾燥した段階で、各パーツを組み合わせ、最後に頭部を嵌め込みます。
 かくして、個性的な兵士の原型が完成です。

 ついで、焼き上げの準備工程に入ります。まず、各パーツを均一に乾燥させておかなくてはなりません。ムラがあるまま焼成すると割れてしまいますから。また、熱を加えることで、粘土は収縮しますから、それも計算に入れて、接合部には適切な空洞部分を設けておく必要もあります。
 それらのハードルを乗り越えて、いよいよ「焼き上げ」です。これだけの大きさの像を、大量に焼くのですから、窯も巨大なはず。その全体を長時間にわたって温度管理する技術、知恵などは、我々の想像をはるかに絶します。

 現在、私たちが目にする「俑」は、灰色をしています。しかし、完成時には、見事な彩色がなされていた、というのも驚きです。先の画像の跪射(きしゃ)兵(立膝で弓を射る兵士)が、1999年4月に2号坑から発見された時、全身が鮮やかに彩色されていることが世界を驚かせました。下地に黒の生漆(きうるし)を用い、自然鉱物顔料で彩色されていました。ほとんどの俑では、2千年以上の時を経て、漆と顔料は剥がれ落ちましたが、奇跡的にこの俑では残っていたのです。著者は写真で見ただけですが、皮膚は緑と白の上に肌色を重ね塗り、鎧は紺色、その紐は赤だったといいます。残念ながら、本書にその画像はありません。著者が見た写真とは違うようですが、日本で公開された彩色俑の画像をネットで見つけました。こちらです。

「驚異の地下帝国 始皇帝と彩色兵馬俑展」(2006年8-10月 江戸東京博物館)の展示品です。さすがに多少剥落はしていますが、往時の鮮やかな色彩をご想像ください。

 さて、最後にこれぞ「超技術」というべきものを紹介しなければなりません。
 それは、青銅(銅と錫(すず)の合金)製の武器で、兵馬俑坑では、なんと4万点も発見されています。青銅器時代は、エジプト、メソポタミア、中国などで、紀元前3000年頃から始まっていたとされます。銅は自然に産出しますが、錫は、錫石を珪石、石灰石などと合わせて加熱、溶解などして産み出されます。その上で、両者を厳格な温度管理の元で混合させた「青銅製品」が4万点ですから、気が遠くなります。そして、極め付けは、これらの青銅武器に施されている「クロームメッキ」です。緑青(ろくしょう=サビ)を防ぐため、10~15ミクロンのメッキがされていることがX戦分析でわかりました。20世紀に、ドイツで確立した技術がすでに使われていたことになります。そのため、発見された長剣は、光沢があり、重ねた新聞紙を切ることが出来たというのです。まったく言葉を失います。

 いかがでしたか?膨大なマンパワーを動員し、最先端の「超技術」で実現させた始皇帝のケタ外れの権力、スケールをあらためて思い知らされました。それでは次回をお楽しみに。
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