大阪人が二人寄ったら漫才になる、なんて都市伝説があります。そんなユーモアを大事にする土地柄でしょうか、川柳という文芸が盛んで、関心も高い気がします。私も実作まではとても至りませんが、いろんな作品を読むのは好きです。
大阪出身の作家、田辺聖子さんも、愛好家のおひとりで、造詣も深いです。お気に入りの川柳を集めたエッセイ「川柳でんでん太鼓」(講談社文庫)を再読し、川柳の面白さ、奥深さにあらためて触れました。こちらの本です。
で、その中から、大阪弁を使っている句を、私なりの(勝手な)解釈と解説で紹介しようと思い立ちました。川柳自体の面白みに加えて、大阪弁独特のニュアンス、バラエティなどをお楽しみいただければと思います。
★会社でのスカタン妻も子もしらず★(岩井三窓)
「スカタン」というコテコテの大阪弁がすべてです。例えば「駄目ぶり」と置き換えれば、ごくありがちな句になります。
「スカタン」だからこそ、いろいろ想像が広がります。仕事ができないのに加えて、いつもボーッとしてる、人の話を聞いてるのか聞いてないのかよく分からない、いつも誰かと仕事以外の話をしてる、そのくせ、酒は大好きで、飲み会になると張り切る、でもまあ、どこか憎めない・・・そんな大阪的人物が浮かび上がってきませんか。
★院長があかんいうてる独逸(ドイツ)語で★(須崎豆秋)
好きです、こういう句。ドイツ医学を学んだというからには、かなりのご高齢のはず。ごく日常的な場面でも、ついつい、というか、自慢げにドイツ語が出てしまうという微笑ましい人物を想像させます。
毎度のことながら、英語の"No”にあたる"Nein(ナイン)”との発言でも出たんでしょう。お決まりのドイツ語に、まわりのスタッフも、いつものことですから、半分あきれ、イヤミっぽく「あかんいうてる」と大阪弁に訳してるのが笑えます。
★救急車うちの子供はうちにいる★(富士野鞍馬)
「うち」という大阪弁独特の言葉をうまく使い分けています。もともとは、「外」に対する「内」だったのでしょう。最初の「うち」は、主に女性が愛用の「自称」ですが、ここでは自身も含めた家族をイメージさせます。
後ろの「うち」は、私が住む場所、つまり自宅、我が家ということになります。「うちの子やなくてよかった」川柳だから許されるホンネ丸出しで、「うち」の二度使い・・・達者な句です。
★春雨へ女房と濡れるあほらしさ★(川村良郎)
若い女の子との相合い傘みたいなワクワク感はないでしょう。でも、いくら自分の女房だからといって、「あほらし」というのがナゾ。きっと、こんな「あほらしい」やりとりがあったのかなと想像しています。
「春雨やから、濡れていこか?」「なにを月形半平太を気取っとん(てるの)。私は濡れるのイヤやから、アンタ先にひとりで帰ってんか」
★飲まず打たず買わず残らず小商人★(石川ことえ)
句意はどうということないと思います。「小商人」(こあきんど)というのがなんとも辛辣です。「商人」(あきんど)も充分に大阪の匂いがしますが、「小」を付けるだけで、ぐっと濃厚になります。自分の領分を守るのが精一杯で、商売を広げて、儲けるだけの才覚や商才はない、だから「残らず」。
う~ん、辛いですね。こんな人たちが、世の中を支えてるんですけど。
★立話(たちばなし)長うて犬も坐り換え★(橘高薫風)
「長うて」の大阪的「う音便」だけで取り上げました。いや~、こういう楽しい句に行き当たるから、「読む」だけでも充分に幸せな気分に浸れます。
いかがでしたか?まだネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。