無償で読む無数の読者たちの中から、ある日、そのテクストを「自分宛ての贈り物」だと思う人が出てくる。著作者に対して反対給付義務を感じて、「返礼しないと、悪いことが起きる」と思った人が出てくる。そのときはじめて著作物は価値を持つ。そのような人が出てくるまで、ものを書く人間は待たなければならない。書物の価値は即自的に内在するのでなく、時間の経過の中でゆっくりと堆積し、醸成されてゆくものだと僕は思っています。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、187頁。
悪いことが起きるかわからないが、私も「自分宛ての贈り物」だと感じた数多くの書物や美術に対して反対給付義務を感じている。見れば見るほど、読めば読むほど、書けば書くほどたくさんの書物や美術に返礼をしたくなる。
私のテクストのほとんどは無償で読めるわけだが、それを「自分宛ての贈り物」だと思う人は同時代ではいないだろう。だが、著者は死んでもテクストは生き続ける。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、187頁。
悪いことが起きるかわからないが、私も「自分宛ての贈り物」だと感じた数多くの書物や美術に対して反対給付義務を感じている。見れば見るほど、読めば読むほど、書けば書くほどたくさんの書物や美術に返礼をしたくなる。
私のテクストのほとんどは無償で読めるわけだが、それを「自分宛ての贈り物」だと思う人は同時代ではいないだろう。だが、著者は死んでもテクストは生き続ける。
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