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この人たちはみな世人が芸術を愛した時代に生きていました。彼らは一般の趣味の中に浸っていました。しかるにわれわれの時代では世人は絶対に芸術以外に生きています。芸術はもう群衆のためにあるのではないのです。古代人は彼らのまわりに芸術家がまったく偉大であるになくてならぬ空気を持っていました。今日はもう公衆に偉大がない。公衆は落ちた。そこが疵です。われわれは決して公衆に支えられてはいません。三四十年のうちには、お仕舞いになるでしょう。
高村光太郎訳、高田博厚・菊池一雄編『ロダンの言葉抄』岩波書店(岩波文庫)1960年、12頁。
この言葉が現代においてもまったく古びていない事実に驚きを感じる。
高村光太郎訳、高田博厚・菊池一雄編『ロダンの言葉抄』岩波書店(岩波文庫)1960年、12頁。
この言葉が現代においてもまったく古びていない事実に驚きを感じる。
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