深い泉の場合と同じに、奥深い人間のなかに何かが落ちると、それが底に達するまで長い時間がかかる。はたの人間はふつう長くは待てない性分なので、とかくこういう人たちを無感動で冷酷だと――あるいは退屈だとも見なす。
(フリードリッヒ・ニーチェ『ニーチェ全集6 人間的、あまりに人間的Ⅱ』中島義生訳、筑摩書房/ちくま学芸文庫、1994年、p.498)
無感動で冷酷、退屈な人、かつてそう言われたりしたこともありましたっけ。
実際は、ただ鈍感で、物事を理解したり、考えたりするのに時間が途方もなくかかる人間なだけなのですが。しかし、気が長いというのは美術にとって大事な要素かもしれない、とぼんやり思ったりする今日この頃です。
(フリードリッヒ・ニーチェ『ニーチェ全集6 人間的、あまりに人間的Ⅱ』中島義生訳、筑摩書房/ちくま学芸文庫、1994年、p.498)
無感動で冷酷、退屈な人、かつてそう言われたりしたこともありましたっけ。
実際は、ただ鈍感で、物事を理解したり、考えたりするのに時間が途方もなくかかる人間なだけなのですが。しかし、気が長いというのは美術にとって大事な要素かもしれない、とぼんやり思ったりする今日この頃です。