A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記205 「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

2008-10-09 00:23:27 | 書物
タイトル:わたしたちに許された特別な時間の終わり
著者:岡田利規
装画:小金沢建人
装幀:新潮社装幀室
発行:新潮社
発行日:2007年2月25日
内容:
第2回大江健三郎賞受賞作
「私はついにこの一冊にめぐりあった」(「群像」2008年5月号選評より)

あ始まったんだねやっぱり戦争。
イラク空爆のさなか、渋谷のラブホで四泊五日。

これが外国語に翻訳されたものを読む、世界のあちらこちらの読者たちは、この瞬間・場所の総体が、2003年の(自分らの場所と)じかにつらなっている渋谷、新宿のあたりであることを、しっかりしたリアリティーにおいて把握するだろう。そう私は信じます。
大江健三郎 「群像」2008年5月号 選評より

岸田戯曲賞受賞、「チェルフィッチュ」で演劇界に衝撃を与えた新鋭が、小説の世界に切り拓いた新しい地平。各紙誌絶賛!

この本はすごく面白い。これを書いた人の存在はずっと消えない、と言ってもいいくらいの価値がある。
保坂和志 「新潮」2008年4月号

見慣れた渋谷の景色を「彼女」が外国の街のように眺めるラストシーンがすごくいい。
斎藤美奈子 「朝日新聞」2007年4月22日朝刊

これは「イラク戦争」について日本語で書かれた、もっとも優れた小説だ。いや、もっと、それ以上のものだ。
高橋源一郎 「週刊朝日」2007年3月23日号

本書帯より

購入日:2008年9月28日
購入店:横浜赤レンガ倉庫1号館 横浜トリエンナーレ2008特設ミュージアムショップ
購入理由:
横浜トリエンナーレ2008に参加しているチェルフィッチュの演出家・岡田利規による初の小説集。もともとはチェルフィッチュにより2005年に「三月の5日間」として上演された戯曲を小説化したのが本書。併録に初のオリジナル小説となる「わたしの場所の複数」を収録。
チェルフィッチュの存在は、森美術館で昨年行なわれた<六本木クロッシング2007:未来への脈動>展(2007年10月13日-2008年1月14日)で初めて具体的にその存在を知った。その時は、しっかりと映像作品を見る時間がなかったため、あまり印象には残らなかった。
そして先日、<横浜トリエンナーレ2008>の横浜赤レンガ倉庫1号館会場で、チェルフィッチュの舞台作品「フリータイム」のDVD上映を見る機会があり、私は唖然としてしまったのだ。それは、舞台上の女性が亡き祖父と映画「ゴッドファーザー」の思い出について語る件だった。そのひとり言のような、誰かに話しかけているかのような独白に、演劇特有の妙なテンションの高さがまったくなく、淡々とした語りでありながら、終りがないような先が見えない物語に聞き入って(見入って)しまったのだ。そして、舞台上にいる俳優たちの会話とまったくクロスしない不可思議なダンスにも見える所作がユーモアを発していて、先を見続けたい誘惑に駆られたのだ。以前、快快(ファイファイ)の公演を見たときにも同じような感覚を感じたが、快快(ファイファイ)にはダンスがあり、音楽があり、映像があった。だが、チェルフィッチュのこの「フリータイム」には、ひそやかな音楽こそあるものの、あとは淡々とダラダラ続くような「会話」があり、ダンスにもならない動きがあるだけなのだ。ここには、セリフになろうとする前の「言葉」、ダンスになろうとする前の体の「動き」のようなものが現われていた。まるで、帰り道に1人で頭の中の考えを整理するため、ひとり言をつぶやく行為のように。
入口でもらったパンフレットを見ると、その日にチェルフィッチュの公演があるというではないか。急遽予定を変更して見なければと思う。そして、チェルフィッチュの演出家・岡田利規の初の小説集をミュージアムショップで見つけ手に取ってみる。そこには私が敬愛する保坂和志氏のコメントがあった。なにかがつながった気がして、まずは買うことにした。これからなにがどうつながっていくかはわからないが、反応してしまった身体には正直でありたい。